AFFECTUS No.132
「シンガポールの国宝」と言われるデザイナーがいる。そのデザイナーの名はテセウス・チャン(Theseus Chan)。1961年生まれのシンガポール人である彼は、シンガポールのナンヤン芸術学院でグラフィックデザインを学び、卒業後10年に渡りキャリアを積んだのち、1997年に自らのデザイン・スタジオ「ワーク(WORK)」を設立する。
チャンのクリエイティビティは世界から注目されることになり、様々なブランドやクリエーターとのコラボレーションが行われる。コム・デ・ギャルソン、アンリアレイジ、トーガ、「世界一美しい本を作る男」ゲルハルト・シュタイデルなど、コラボレーターは枚挙に暇がない。
2000年にチャンが創刊したインディペンデントマガジン『ヴェルク(WERK)』で、彼は実験的かつ挑戦的印刷加工技術で雑誌の定義を揺らす。
紙をバーナーで焦がす、ページごとに違うサイズで裁断する、シワ加工した紙を鋲で打ち付け焦げ目を入れる、高濃度のインクを何重にも重ね印刷する……。僕たちが雑誌と聞いた時、想像することのできない技術アプローチで作り上げ、ヴェルクは雑誌の形態を保持しながらも僕たちに驚きをもたらすデザインに仕上がっている。
なぜ、今回ファッションデザイナーではなくグラフィックデザイナー(アートディクレター)にフォーカスしたかというと、チャンが手がけてきた雑誌ヴェルクを見ていて、あることを感じ、そのことについて言及したいと思ったからである。
あることとは、デザインで人の心が揺れるとはどういうことなのかという、デザインの構造についての話である。
僕はチャンの手がけたヴェルクを見た時、純粋に面白さを感じた。大胆な手法で雑誌の外観を変革させていたことに、ただただ驚いた。デザインによって心が揺れたのである。
同時に僕はこうも感じた。
「なぜ、面白いと思ったのだろうか?」
僕は面白さの理由を探ることで、デザインの構造が見えるのではないかと考えた。
理由としてまず挙げられるのが、ヴェルクは僕が雑誌に抱いていたイメージを超えていたことである。紙でバーナーで焼いたり、焦げ目がついた雑誌というものを僕は想像したことすらなかった。綺麗な紙にグラフィックとテキストが施されたもの。そういうデザインが僕の中にある雑誌のイメージだった。書店で見かける雑誌がそうであるし、あるいはアートディレクターのアレクセイ・ブロドヴィッチが手がけた、1950年代の素晴らしく美しいアメリカのハーパーズ バザーがそうであった。
チャンの作り上げてきたヴェルクは、紙を破壊的に加工したり、サイズの異なるページを綴じるなど、僕が抱いていた雑誌のイメージには存在しなかったものである。
つまりデザインで人を魅了するには、それまで対象物(今回は雑誌)に抱かれていたイメージにはない新しいイメージを植え付けることが必要になる。
ただし、単に奇抜で大胆であればいいというわけではない。
例えば、大きな岩石に文字を打ち付けて「これが雑誌です」と提示されても、驚きはしても「新しい雑誌」という新鮮さを感じることは難しい。その理由は、岩石が雑誌という形態から離れすぎているからだ。
デザインで人の心を揺らす条件として、以下が考えられる。
1.対象物の形態をある程度なぞる。
2.それまでの対象物になかった要素を入れる。
3.2の要素は大胆に表現する。
これを今回のヴェルクを例に雑誌で置き換えるとこうなる。
1.四角の形・四角の紙を何十枚も綴じたもの
2.紙を焦がす
3.バーナーを使う
こうすることで、人が見た瞬間に「雑誌」と理解しながらも、それまでの雑誌になかった要素が取り入られていることを一瞬に把握して新しさを感じ、心が揺れるという状況=「面白い」という心理が発生する。
そう考えると、デザインとはデザイナーが自身のイメージを形にするだけでなく、デザインする対象物に人々がどんなイメージを抱いているのかという心理を把握する必要がある。
なぜ、私がこのようなことに関心を抱くのかというと、近年のコム デ ギャルソンのウィメンズコレクションが理由である。これまで何度か言及しているが、近年のコム デ ギャルソンのウィメンズウェアは巨大な布の塊とも言える造形のデザインをショーで発表していた。
そのデザインは確かに迫力があり、驚くものだ。しかし、僕は新しさを感じなかった。なぜ新しさを感じないのかと僕は疑問に思った。その理由を、僕はトレンドとかけ離れていたからだと結論した。ここでいうトレンドとはファッションデザインの歴史の流れ・文脈・コンテクストである。
このコンテクストに乗らないと、いくら創造性あふれるデザインであっても、新しさを感じることは難しい。現在のファッションデザインのコンテクストはストリート・カジュアル・アグリー(ダサい)・デコラティブ(装飾性)、そして2019AWシーズンではエレガンスが浮上したが、これらのコンテクストを把握した上で、デザイナー自身の解釈を加えたデザインをすることで消費者は今という時代に合う服だと無意識に捉え、興味を抱く心理が働き始める。
川久保玲は2019SSシーズンにそれまでの巨大な抽象造形のデザインをやめる。その理由をこう述べている。
「もはやこのアプローチは新しいものではない。見たことのない新しいことを探して探して、でも見つけられなかった」VOGUE( OCTOBER 2, 2018)より
スーパーリアルのノームコアから、ヴェトモンのデムナ・ヴァザリアが先導してきたコンテクストはストリートをベースにした「リアリティあるデザイン」だった。その流れに対して、近年のコム デ ギャルソンのアプローチは新鮮さを失っていた。おそらく今のファッションは、見たことのないものが新しくない時代である。
最初にテセウス・チャンのグラフィックデザインを例に出したが、人々が対象物に抱くイメージを把握することは、デザインの重要なポイントになる。商品企画でよく「ターゲットを設定する」と言うが、より詳細に述べるとターゲットが対象物(商品)に抱くイメージを把握することだと言える。これはファッションデザインでも重要なことだ。コンテクストから影響を受けて、消費者は現代のファッションに魅力を感じる。その時、ターゲットとなる消費者はブランドがデザインするカテゴリーのファッションにどのようなイメージを抱いているのか。そのイメージを把握し、どう壊すか。その壊し方にデザイナーの個性が表れる。
このアプローチを意識的に行うことで、新しいファッションデザインが生まれるのか否か。僕はそこに強い興味を抱く。
今回は抽象的な話になってしまった。だが、ファッションデザインの価値を捉える上でポイントになると感じ、書くことにした。
一度「テセウス・チャン」という名前を検索し、彼がどのような雑誌をデザインしてきたのか、実際に見ていただけたらと思う。
〈了〉