AFFECTUS No.141
2015AWデビューから最速で人気ブランドの座に駆け上がっていった「オーラリー(AURALEE)」。デビューから2年後の2017年には、南青山に直営店をオープンさせるほどの短期間での急速成長であった。
デザイナーの岩井良太は「ノリコイケ(NORIKOIKE)」や「フィルメランジェ(FilMelange)」などのカットソーに定評あるブランドでパタンナーやデザイナーとしてキャリアを積み、テキスタイルコンバーターのクリップクロップからオーラリーをスタートさせた。
完全に個人で独立したブランドではなく、クリップクロップという会社のサポートがあったにせよ、大手企業の資本と比較すれば予算は小規模であったと思われる状況で、この短期間で大人気ブランドに成長させた手腕は見事としか言いようがない(*現在はクリップクロップ社の事業から独立し、株式会社オーラリーを設立)。
オーラリーは公式スケジュールの参加ではないが、2019AWシーズンで初めてパリコレクション期間中に現地でプレゼンテーションを行い、本格的なパリ進出への第一歩を記した。このプレゼンテーションは、東京都と繊維ファッション産学協議会が主催する「ファッション プライズ オブ トウキョウ(FASHION PRIZE OF TOKYO)」の第2回受賞者の特典として、アワードの支援を得ての発表になる。第1回の受賞者には「マメ(MAME KUROGOUCHI)」の黒河内真衣子が選出され、同様にアワードの支援を得てパリでの発表をスタートさせている。
日本で圧倒的な支持を得てきたオーラリー。そのデザインといえば、最高にこだわり抜いて開発した最高級のオリジナル素材をシンプルなシルエットに乗せていくという、装飾性が皆無に近い服である。
素材へのこだわりの深さは、デザイナー自らが原料を探すためにオーストラリアやニュージーランド、モンゴルへ毎シーズン出張するほど。ここまでの素材へのこだわりは、コレクションブランドでもそうそうないだろう。チェックなどの柄を用いた素材はあるが、現在のトレンドであるデコラティブでアグリーな装飾性とは無縁なデザインがオーラリーの特徴だ。
ただし、僕が思うにオーラリー最大の武器は素材ではなく、そのスタイルにある。
ナチュラル&リラックスなカラーパレットに、ほんのりと混ぜられた色気。セクシーと言うほどの色っぽさではなく、ほんのり微かに匂う類の色気だ。そのスタイルは少年っぽく、ストリートに通じる空気もどことなく流れている。
オーラリーの服は複雑なディテールがあるわけでない。そのシンプルさはパリコレクションで発表し、評価を得ている「サカイ(sacai)」「カラー(kolor)」「ファセッタズム(FACETASM)」といった、他の日本ブランドのデザインと対比すれば顕著になる。
パリで評価される日本ブランドの特徴は、複雑性と重層性にある。素材・パターン・ディテールといったあらゆる要素が緻密で複雑に作られており、その要素を幾重にも重ねていくという重層性が表現されている。
「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」や(現在の)「ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO)」のデザインは、まさにその象徴と言えよう。
先駆者たちのデザインを見ていると、パリが日本に求めているのは自分たちの王道エレガンスとは異なるエレガンスの提示に思えてくる。パリのコンテクストからいうと、オーラリーのデザインは異質だ。素材とシルエットの美しい関係性を探求するデザインは、現在パリで活躍する日本ブランドたちが備える複雑性と重層性とは異なり、「侘び寂び」に通じる日本の美意識が垣間見えてくる。
特に現在のファッションデザインは、デコラティブ(装飾的)が鍵になっている。オーラリーのデザインは、パリのコンテクストから見ると外れている。しかし、逆に言えば、現在のコンテクストに対するカウンターとなり、別軸の解釈を示すデザインとも言えよう。
パリでオーラリーが発表した2019AWコレクションは、パリだからと気負うことなく、日本で見せていたスタイルをそのまま見せた。
キャメル・オフホワイト・グレーといったオーラリーお馴染みの優しく柔らかいカラーコンビネーション、見るからにして滑らかで肌触りの気持ち良さそうな綺麗な質感の素材を、ステンカラーコートやテーラードジャケットといったベーシックアイテムに乗せてシンプルなシルエットで見せていく。スタイリングも奇を衒うわけではない。いつもと変わらないAURALEE STYLEがそこにはあった。
オーラリーは、ファッションの醍醐味であるファンタジーを見せるわけではない。ありふれた日常を上質に快適にする。僕たちが過ごす特別も驚きもない毎日、けれど欠かすことのできない大切な毎日を気持ち良く過ごすための服だ。
ただ、以前と比べて少し変化を感じた。パリで発表されたコレクションを見ると、以前よりもブランドのイメージする人間像が大人になっていた。デビュー当初からの印象は、先述したようにもう少し少年っぽくカジュアルで、どことなくストリートに通じる気配だった。デビューから歳月を重ね、その分オーラリーの人間像も大人になったようだ。
オーラリーのデザインはデコラティブ&アグリーに対するカウンターとなり、そのデザインをパリという場で発表した意味は大きい。一方で、デザインそのものは、創造性を世界で最も激しく争うパリのコンテクストから見ると、おとなしく見えてしまう。
例えば、パリコレクションに参加するブランドでオーラリーと同系統と言えるブランドとして「AMI(アミ)」と「ルメール(LEMAIRE)」があげられる。両ブランドとも、プリントやロゴ、緻密なディテールといった装飾性は皆無に近く、ベーシックアイテムをベースに素材とシルエットの美しいバランスをデザインしている。パリの中でもかなりのシンプル派に属するデザインであるが、それでも両ブランドと比べてもオーラリーの簡潔さは抜けている。
アミとルメール、よりオーラリーのテイストに近いのはオリエンタルな香りもするルメールだろう。2019AWシーズンに発表されたルメールのコレクションを見ると、オーラリーと同種の匂いを感じるが、シルエットと衿などの服のラインのカットにモード感が滲む。ベーシックアイテムをベースにしているが、通常のベーシックアイテムにはないシャープなライン取りを行い、セクシーの濃度も濃い。
ルメールのシルエットは、オーラリーのシルエットに比べて布と身体の距離感が近い服が多く、またそのラインを強調させるように膨らむシルエットも混ぜて、コントラストを作っている。それゆえ、ボディラインのメリハリが生まれ、服が身体をなめるようなムードが漂い、オーラリーよりもセクシーに感じられる。
改めてオーラリーがパリで発表した2019AWコレクションを見ると、身体をゆったりと自然に包むシルエットが、ルメールに比べてニュートラルな印象を強める。メンズ・ウィメンズの両カテゴリーを同時発表し、スカートを男性に履かせるといった、わかりやすいジェンダーレスデザインがあるわけではないが、中性的で性別が抽象化されている印象を受ける。そういった要素も含み、パリコレクション期間中に発表されたブランドたちのコレクションと比較し、オーラリーにはダイナミズムの点で物足りなさがあるのは事実だ。
一方で、別の視点も見えてきた。ここからが今回の本番と言っていい。長い前置きだった。
オーラリーに限らず、東京の若手ブランドに僕が感じている印象に私小説的趣がある。
「私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された」Wikipedia「私小説」より
東京で発表される若手ブランドのデザインには、世界のコンテクストからは距離を置いてデザイナー自身の身近な世界の景色を服に投影させたような、近視眼的視点が感じられてくる。
そこで今回、ふと思い出したことがある。ファッションとはまったく関係ない世界の出来事だ。
2004年第130回の芥川賞である。
この時、受賞した小説家の一人が当時19歳の綿矢りさだった。それまでの芥川賞最年少記録(1967年第56回 丸山健二 23歳0ヶ月)を大幅に更新する記録で、大きな話題となった。受賞作品は『蹴りたい背中』であり、この小説は陸上部に所属する高校1年生の女子高生を主人公とし、同級生でアイドルファンの男子高校生との関係を書いた作品である。
こう書くと恋愛要素を感じられるかもしれないが、二人の間に恋愛感情はない。ただし、主人公の女子高生は同級生の男の子へある思いを抱くようになる。それが「彼の背中を蹴りたい」という衝動だ。
当時、この小説への批判が多少なりともあった。世界が狭すぎると。あまりに閉じられた世界で、作品の核が「背中を蹴りたい」という深みも濃さもない内面世界である。例えば、夏目漱石の『こころ』や三島由紀夫の『金閣寺』とは、心的世界の深さの違いは一目瞭然である。
この時、綿矢りさだけでなく金原ひとみ(当時20歳)が『蛇にピアス』で同時受賞したこともあり、マスコミが二人の若い女性の芥川賞同時受賞にフォーカスし、話題先行になっていた面もある。社会現象と言っていいほどだった。
そのような状況で、僕自身も『蹴りたい背中』に対して本当に面白いのかという疑問を感じていた。綿矢りさは高校在学中に第38回文藝賞を17歳で受賞したことで文壇にデビューし、芥川賞受賞以前から話題の小説家でもあった。
しかし、百聞は一見にしかず(この場合は一読か)。当時の僕は『蹴りたい背中』を読むことにする。そして読了後、次のように思う。
「面白い。こういう面白さがあったのか」
純文学ゆえ小説には壮大な物語や展開があるわけではないし、また先述のように『蹴りたい背中』はとても狭い世界と心象風景を描写した小説であるため、ダイナミズムはない。しかし、主人公の女子高生の「彼の背中を蹴りたい」という、一見不可思議に思える衝動、だが人間なら一度は持つであろう他人とは異なる衝動の機微を追う文章に、僕はこういう視点の小説があるのかと驚いた。
たしかに世界を変革することはない小説だ。作品世界の狭さゆえ、好き嫌いもわかれるだろう。だが、小説の価値をそのような「大きさ」ばかりに求めていいのだろうか。世界は狭くとも、そこには不可思議に思える視点が見えることがあり、それを描写することにも価値があるはず。『蹴りたい背中』、いや綿矢りさの視点は小説のコンテクストに楔を打ち込むように思えた。
今回、オーラリーについて書き進めているうちに、当初は感じなかった視点が生まれだした。それが「大きさ」以外の価値を求める価値である。ファッションデザインでは、コンテクストの解釈と提示がモードの歴史を更新させてきた。だが、そういった大きな枠からは外れた、もっと個人の価値観に焦点を当てるファッションの価値もあるのではないかと。それをモードという舞台で提示してもいいのではないかと。
過去にその動きはあった。アントワープ・シックスの登場である。モードの歴史を辿ると、デザインの価値は造形にあったと言える。クリスチャン・ディオールのニュールックはその代表だ。ココ・シャネルのデザインも外観はとてもシンプルだが、女性が働いて自立することが当時の常識では考えられなかった時代背景を考えると、メンズウェアやスポーティなジャージー素材を用いたシンプルで動きやすく快適な服は、アヴァンギャルドだった。
しかし、アントワープ・シックスをはじめとするアントワープ派の服には、外観上に革新的な造形や素材が見られないケースも散見される。チープな素材を使うことも多いし、シルエットもシンプルだ。アントワープのデザイナーたちが革新的だったのは、アイデンティティを濃厚に表現した世界観の独特さにあった。自らの価値観を形成してきたカルチャーを、服へと具体化したデザインは濃く深く強烈であった。
服そのものではなくイメージで惹きつける。そういうデザインアプローチである。
その意味で現在の日本の若手ブランドが見せる私小説的傾向は、アントワープの系統に属するものとも言える。しかし、日本の若手ブランドのデザインはアントワープほどシリアスではなく、いい意味で軽く、それは現在のリアルを捉えている。
現在、インターネットは欠かすことのできない世界になった。テクノロジーは日々発展し続ける。SNSやNetflix、Amazonはユーザーの好みにパーソナライズされ、マスに大ヒットする商品・サービス・ブランドは生まれにくい。このような世界の仕組みの中では、人々が認識する世界の距離感も否応なく限定されてくる。
この時代背景を考えると、日本の若手ブランドが見せる私小説なデザイン(なんと名称すればいいだろう)は、とてもリアルで時代との一致が感じられる。それはオーラリーも同様である。
オーラリーの服を見ていると、デザイナーの岩井良太が好む快適で穏やかな日常を視覚化した服に見えてくる。オーラリーのデザインには、コンテクストを意識したモードな姿勢は見られない。先ほど、オーラリーには現在のデコラティブ&アグリーのコンテクストに対するカウンター要素を含んでいると述べたが、それはコンテクストを意識した結果から生まれたデザインには感じられない。現在のAURALEE STYLEは、2015年のデビュー時から一貫して発表されているものだ。
現在、パリで発表する日本ブランドのデザインの多くが、コム デ ギャルソン的な複雑性と重層性を備えている。パリも日本のモード=コム デ ギャルソン的と捉えている節がある。しかし、それだけが日本のモード・美意識ではない。以前、僕はコム デ ギャルソン的エレガンスとは異なる日本の美意識として、「侘び寂び」に通じる簡素で、ありのままの美しさを述べた。だが、今では私小説的デザインこそがパリモードに提示する日本の美意識として、より価値があり面白いのではないかと思えてきた。
モード史の大きなうねりとは距離を置いた、デザイナーが直接に経験した事柄を素材にして服に具現化したデザイン。アントワープよりも軽やかで現実的、デジタルネイティヴ世代へ訴えて共感を起こすデザイン。それはデコラティブ&アグリーへのカウンターよりも上位の、モード史へのカウンターだ。オーラリーのパリ初コレクションから見えてきたのは、日本の新しいデザインの可能性だった。
次期2020SSシーズンでオーラリーは、パリメンズコレクション期間中に発表予定である。いずれ公式スケジュールで参加できるようになるまで、発表を継続して欲しいと願う。パリのコンテクストとは異質のデザインに、どんな反応が見られるのか僕は知りたい。
〈了〉