JUST GOU ITから見えるストリートのDNA

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AFFECTUS No.146

今、ファッション界のメインストリームは何か。そう問われ、ストリートと答えることに異論はないだろう。それほどにストリートの存在は、デザイン的にもビジネス的にも巨大なものになっている。このストリート旋風の仕掛け役となっている企業がニューガーズグループ(New Guards Group)だ。

ミラノで創業されたこの企業は、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)のオフ-ホワイト(Off-White)、フランチェスコ・ラガッツィ(Francesco Ragazzi)のパーム・エンジェルス(Palm Angels)、へロン・プレストン(HERON PRESTON)といったストリートブランドを次々に仕掛けては成功させ、ファッション界にストリートの波を引き起こしている。

そのニューガーズグループが、今年新たなブランドをローンチした。ブランド名は「キリン(KIRIN)」。韓国出身の人気女性DJ、ペギー・グーが立ち上げたシグネチャーブランドである。

グーは韓国で生まれ、その後ファッションを学ぶためにロンドンへ渡る。しかし、そこで音楽に魅了され、活動の拠点をクラブカルチャーの最高峰ベルリンへと移し、DJとしてその名を世界に轟かすことになっていく。2019年5月現在、グーのInstgramアカウントのフォロワー数は約77万人で、彼女の人気は上昇の一途を辿る。

HIGHSNOBIETYの記事(EXCLUSIVE: Peggy Gou Just Launched Her Own Label, KIRIN)によると、DJを始める以前からファッションの魅力に取り憑かれていたグーは、自身のブランドをスタートさせることを常に考えていたようだ。しかし、グーにとって非常に重要なDJ活動やプロデューサーの仕事が多忙のため、ブランドを作るために必要な生産やブランド作りのプロセスを学ぶ時間が取れず、チームを作ることができずにいた。当時のグーの状況を考えると、彼女のビジョンを現実とするにはまだまだ時間が必要に思われた。

だが、必要だったはずの時間がショートカットされる。ニューガーズグループからグーへのアプローチによって。

ニューガーズグループは傘下のブランドの生産をバックアップする体制が整っているため、インディペンデントでブランドを設立するのとは違い、デザイナーはファッションビジネスで多大な時間と資金を必要とする生産面の確立にエネルギーを注ぎ込まずに、そのエネルギーを自身のクリエイティビティの発揮に全振りできる。

ファッションの専門教育を受けたわけではなく、ファッションデザイナーとして豊富なキャリアがあったわけではないヴァージル・アブローや、フォトグラファーやモンクレールのアートディレクターであったフランチェスコ・ラガッツィの例を見るに、ニューガーズグループが重視するのはファッションデザイナーとしてプロフェッショナルの経験が豊富かどうかよりも、クリエーターとしての資質が優れているかどうかに感じられる。

「グーはどんなデザインを発表するのか」

ニューガーズグループとグーがタッグを組んでブランドを立ち上げることを知った時、多くの人がそう思ったのではないだろうか。Instagramにポストしている彼女のファッションスタイルを見ればおおよその想像はできるが、自身がデザイナーとなった際にどうアウトプットされるのか、そこへの興味はあったと思う。

そしてキリンはローンチされ、全貌があきらかになった。

公開されたルックには、アジアとヨーロッパのファッション観、スポーツとクラシック、洪水のように溢れたグラフィックのボリューム、1960年代を思わす近未来感あるカッティング、韓国の伝統からモチーフを得たアニマルプリント、ルームウェアにスーツと、グーの作り出したキリンの世界にはあらゆるファッションがかき集められ、境界を設けず各々のファッションが融合、いや融合というよりももっと乱雑な、各々のファッションの要素が切り取られ、要素の強い個性が混じり合わないままコネクトされたミックス感が立ち上がっている。

キリンのスタイルを見て真っ先に浮かんだ言葉はストリートだった。しかし、ストリートといっても、フーディやTシャツといったアイテムやグラフィックがあるにせよ、グーのデザインにはスケータースタイルの匂いはほとんど感じられない。ジャケットやトレンチコートが取り込まれ、シルエットの多くもビッグシルエットではなくナチュラルな量感を盛り込んだスマート&スリムなシルエットで、モードな匂いが前面に出ている。

なぜキリンのスタイルからストリートを感じたのか。

近年はストリート=スケータースタイルという印象が強くなっているが、ストリートのデザイン構造を詳細に見ていくと、ストリートのDNAは「ゴチャ混ぜ感」にある。

そのゴチャ混ぜ感がスタイルに現れると、いわゆるストリート色が感じられてくる。極端にいえば、その構造を使ってデザインすればパリオートクチュールのドレスであってもストリート色が帯びてくるのではないかと思う。服の外観は贅沢で古典的美しさが見られるのに、その印象はストリートというふうに。

ゴチャ混ぜ感といっても、ただ混ぜ合わせるだけではなくて、そこにはデザイナーの解釈をユーモアと並列させて忍び込ませることがポイントになっている。

グーのInstagramアカウントに、ストリートのDNAを最も強く感じさせる写真がポストされている。ナイキ(NIKE)のロゴTシャツをアレンジしたアイテムで、自身の名前「Peggy Gou」のスペルを使って「JUST DO IT」を「JUST GOU IT」に、ナイキのロゴマークswooshにグーの「G」をアレンジしたマークが胸にプリントされた白いTシャツを着るグーの姿に、ストリートのデザイン構造がわかりやすく表現されていた。

すでに世の中に知られ、誰もが見たことのある大きな存在(この場合、ナイキというブランドと、ナイキの象徴となるロゴマークとメッセージ)をピックアップし、自身のシグネチャー(この場合、グーのGとGOU)をスライドさせ、既知の大きな存在の見方をズラした世界を見せる。

個人から体制への風刺。

それがあってこそのストリートウェア。単にフーディやスウェット、ロゴ入りのTシャツをビッグシルエットで作っているだけでは表層をなぞっただけの「ストリート風デザイン」になってしまう。デザインの中に体制への風刺が入り込んでこそ、ストリートウェアは完成する。

1994年、シュプリームがケイト・モスを起用したカルバン・クラインのポスターにブランドロゴ「Supreme」のステッカーを貼っていくプロモーションは、まさにストリートと呼ぶにふさわしい行動だった。その後もシュプリームは、ルイ・ヴィトンや NCAA(全米大学体育協会)、NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)と、体制を風刺したアイテムを次々と発表しては騒動を起こし続ける。

騒動を起こすだけ起こして、グレーゾーンを超えていくだけなら、ただのならず者でしかない。社会にノイズを鳴ら続けるからこそのクールな存在。しかし、そこにユーモアを添えながらギリギリを攻めていく。それをファッションで体現していくことが、ストリートのDNAだと言える。

しかし、転換点が訪れる。2007SSシーズンに行われたシュプリーム(Supreme)とルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のコラボである。このコラボはビジネス的には大成功だったが、ストリートのDNAを揺るがすものだったように感じられてくるし、当時少なからずシュプリームファンから批判があったのにも納得ができる。

シュプリームとルイ・ヴィトンのコラボが示すように、近年ストリートブランドが大企業とコラボするケースが増加している。だけど、ビジネス的に手を組む大企業が増えていけば、かつてシュプリームが示したような「体制を風刺する」というストリートのDNAの表現が事実上難しくなる。

ストリートブランドはビジネス的に見れば、小規模の企業であることが多い。小規模のファッションブランドがさらに売上と利益を伸ばすには、認知度を上げる必要がある。そのために大企業とコラボを組むことは有効なアプローチだ。

今、ストリートのDNAは変質してきた。個人から体制への風刺から、個人が体制を凌駕する時代へ。小さな存在である個人(ストリートブランド)が、そのカリスマ性で体制(大企業)を惹き寄せ、存在感を高めていく。ヴァージル・アブローを見ていると、それが今のストリートのDNAに思えてくる。

そんな時代にあって、グーはオールドタイプのストリートのDNAを表現する。個人から体制への風刺というDNAを。だが、グーが対象にした体制はナイキのように具体的存在ではなく、もっと捉えどころのない大きな「何か」だった。発表されたルックを見るに、グーがキリンで示した体制への風刺は「ロゴビジネス」に思えた。より厳密に言うと、ロゴビジネスに対する大量の批判の声、ということになる。

「一つのブランドロゴを胸にプリントしただけの普通のTシャツが、なぜ何万円もするのか」

安易にお金儲けに走っているように見えるロゴビジネスの手法に、批判の声があるのはたしかだ。中には嫌悪感を示す人もいるだろう。とりわけストリートブランドには、ロゴTシャツを販売するブランドが多い。

そんなロゴビジネスへの批判を風刺するように、グーはキリンで逆張りのデザインを見せる。ブランドロゴの「KIRIN」を様々なフォントで展開し、そられのロゴを赤・黄・黒・青と多彩な色と組み合わせて表現する。完成したバラエティに富んだブランドロゴを、通常では考えられないボリュームのプリントで服の表面を埋め尽くす。ド派手でクレイジーな服の誕生だ。

しかもその服を、シャツとパンツで上下合わせてスタイリングするというアグレッシブさ。グー自身もブランドロゴのKIRINを大量にプリントしたオープンカラーシャツとパンツの着用姿を、Instagramにポストしている。

安易で単一のロゴ使いに批判があるなら、複雑で大量にロゴを使い、そのアイテムを上下で合わせた過剰なスタイルで表現する。大量の批判の声には、大量のロゴで応える。ロゴファッションにはクリエイティビティがある。

グーのキリンには、ストリートのDNAがたしかにあった。しかもオールドタイプと言えるDNAが。いや、これはニュータイプなのかもしれない。かつてはシュプリームがそうであったように、体制とは対象の多くが企業や団体だった。しかし、グーのそれは社会。社会の声や空気を風刺するというニュータイプのストリートのDNAが、社会問題に関心を向けるZ世代が時代の中心となる今、生まれる可能性がある。

カジュアルでルーズなストリートウェアには、外観の印象とは裏腹に知性が込められている。「売れそうだ」というビジネス的判断から、安易にストリートに手を出すのは危険だ。ストリートウェアをデザインするということは、知性を晒すことになるのだから。

ストリートウェアはソーシャルなファッションデザインであり、そして新時代のストリートウェアは、カジュアルな服の裏に隠れたデザインの持つ知性が社会に問題を問う。本物のストリートウェアを作るには、知性を磨くしかない。

今すぐに。

JUST DO IT.

〈了〉

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