ザ・ノース・フェイスとハイクが矛盾を超える

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AFFECTUS No.181

今日は、僕の体験した服に関係する光景から語りたい。その前に、まずはプロローグと言えるものから話していきたいと思う。

僕が生まれ育った神奈川県川崎市は、この約20年で再開発が成功し、劇的な変化を遂げて街の価値が急激に高騰している。JR川崎駅近隣には、大成功を収めている商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」をはじめとして、飲食店など興味を惹きつける多くのお店が出店するようになり、以前の工業都市の印象が強い川崎では考えられないほど、明るく賑やかな空気が街を包んでいる。今月12月14日、遂にはラゾーナ川崎プラザに「Apple Store」がオープンするまでになった。

しかし、街が急速にお洒落さを増していく中、追いついていないように感じるのがファッションだ。渋谷や代官山、青山、銀座など、不動産価値の高い街には魅力的なファッションブランドとセレクトショップが、数多く出店しているケースが多い。特にモードなブランドがショップに登場してくると、街のお洒落度と人気は高まっていく。

街の価値が高まるということは、不動産価格が高騰し、その価格を購入できる高所得者が移り住んで来ることになる。人は所得に余裕ができてくると、ファッションへの興味が増していく。たとえ、ファッションには興味がないという人であっても、その行動を探っていくと、外観を飾ることへの興味はないという意味になっているケースが多いように思う。

だが、デザインはベーシックであっても、着る服に上質さや確かな作りを求めるようになっている。ファッションに興味がないと思われている「アップル(Apple)」創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、iPhoneのプレゼンではハイネックのカットソーとジーンズという、いつも同じ服装でステージに立っていた。しかし、ジョブズの着用していたカットソーが「イッセイミヤケ(Issey Miyake)」であったことは有名な話だ。

先ほど川崎はお洒落度が急速に増していると述べたが(もちろん、表参道や銀座に比べればまだまだである)、ただしそれは、駅近隣の商業施設といった地域に限定され、駅から離れれば、以前の川崎に匂っていたアンダーグラウンドな空気が今も感じられる場所が数多く残っている。だから、僕は川崎でファッションに魅了される経験がいまだに少なかった。しかし、ある風景がこの川崎でモードな体験をもたらす。

今年の3月に遭遇した光景を、9ヶ月経った今でも鮮明に覚えている。その日、僕は川崎駅に向かって歩いていた。改札が目前まで迫って来ると、前方から若い男性が歩いてきたことに気づく。その若者の姿が放つ空気に、意識は一瞬にして持っていかれた。

彼は黒いロングのフードコートを着用していた。黒い生地で仕立てられたコートは、若者の歩行に合わせて軽やかに舞い、流麗なシルエットは硬質なメンズウェアとは思えないほど軽やかで美しく、僕は驚くほかなかった。「いったいなんなんだ、この服は……」。一瞬が何十秒にも感じられるほどの驚きだった。

前方から歩いて来る若者との距離が縮まり、僕の視線は彼が纏うコートの左胸に印字されたロゴを捉える。そのロゴを見て僕は納得する。ロゴにはこう印字されていた。

「THE NORTH FACE」

若者が着用していた黒いフードコートは「ザ・ノース・フェイス(The North Face)」と「ハイク(Hyke)」のコラボライン「The North Face×Hyke」だった。コートの色と形をを鮮明に焼き付け、のちに調べてわかったのは、彼の着用していたコートが「GTX MILITARY COAT」と言われるアイテムだったということだ。

ザ・ノース・フェイスとハイクのコラボラインは2018SSシーズンに始まり、2019AWシーズンに終了した。たった4シーズン、2年間だけのコラボコレクションである。しかしそのインパクトは、発売されるたびに即SOLD OUTを繰り返す大人気となった。ハイクでは展開されていないメンズラインも本格展開され、それがさらなる人気に拍車をかけたように思う。

あの日僕は、若者が着ていた服にわずか数秒で高鳴る体験をした。シルエットの流麗さに目を奪われるいなや高まったテンション。それはまさしくモードだった。華やかな色使いやプリントがなくとも、シルエット一つで服はモードになる。ハイクとザ・ノース・フェイスはそのシンプルな事実を証明する。

「世界で最も美しい服とは何か?」

こう訊ねられたら、あなたならどう答えるだろう。人によって答えはきっと異なるはずだが、僕なら「裸」と述べるだろう。人間は、服を纏わない裸である状態が最も美しい。身体の上に布を形作る作業を繰り返していくうちに、僕は裸という答えに到達した。

服を立体裁断で形作っていると、頭の中で裸を想像しながら作業を行うことになる。そのイメージ体験は、人間の身体が持つ造形的美しさに気づかせる。アートの歴史を見ると、アーティストは人間の身体を、性別を問わずnudeを絵画や彫刻に表現してきたことが見て取れる。ミケランジェロ、ルノワール、ピカソ、その名を耳にしたことのある偉大な芸術家たちは表現の完成形は異なれど、人間の裸を表現することに幾度となく挑戦していた。

偉大な芸術家たちが裸の表現へ挑戦する気持ちに、恐れ多いが僕は共感してしまう。それほどの魅力が身体にはある。「服を着ることは、人間の造形を醜く見せていくこと」。元々の美しさを覆い隠す「服を着る」という行為に、僕はいつからかそんな気持ちを抱くようになった。服で人を美しく見せる。そこには矛盾がはらんでいる。どうすれば、裸を超えられるエレガンスを持つ服を作れるのか。どうしたらこの大いなる矛盾を超えられるのか。そしてこの矛盾を超えることが、モードに課せられた使命の一つだと僕は考える。

あの日、川崎で若者の身体を通して僕が見たものは、ハイクがザ・ノース・フェイスと共にモードに課せられた矛盾を超えた瞬間だった。モードは服を着るだけでなく、服を見ることによっても高揚感を体験できる。服を着ることから生まれるエレガンスには、人の心を魅了させる魔法が込められている。「まさか、こんな場所で」。そう思える場所であっても、魅惑的なコートに出会ってしまったなら、服のもたらすエレガンスに心を激しく揺さぶられる。モードはたった1着の服で、どんな場所であっても、あなたがいるその場所を美を鑑賞する場に変えてしまう。

いつかあなたも体験するだろう。いや、すでに幾度となく体験しているかもしれない。服が、街の一角であっても美を鑑賞する場に変える力を。再びその瞬間を体験した時は、不意に高鳴った心を慈しむように、余韻を味わって楽しんで欲しいと僕は思う。

〈了〉

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