AFFECTUS No.184
水墨画が描かれた画仙紙を洋服へと仕立てかのような、オリエンタルな美とオクシデンタルな美が波紋状に一体化したニューウェア。ルーク・メイヤー(Luke Meier)とルーシー・メイヤー(Lucie Meier)のカップルは、「ジル・サンダー(Jil Sander)」を新しいステージへ到達させている。その思いはシーズンを重ねるごとに強くなり、先ごろフィレンツェのピッティ・イマージネ・ウオモ(Pitti Imagine Uomo)にて発表された2020AWメンズコレクションで、新たに強まる。
二人がデザインするジル・サンダーに、強烈な印象を僕は感じるわけではない。初見で思うことは、いつもこうだ。
「悪くない」
一目で気持ちが高鳴るほどの高揚感には襲われない。ポジティブな印象をひっそりと佇むように感じる。けれど、その印象は時間を重ねるごとに、コレクションを繰り返し見るごとに変わっていく。徐々に、少しずつと。
ジル・サンダーというメゾンの精神がそうであるように、メイヤー夫婦のジル・サンダーも過剰な装飾や複雑精緻な細部の作り込みはせず、衣服全体を捉えて佇まいを美しくする仕掛けを施している。今回その仕掛けを最も感じたのは、ニットのロングベストをスタイリングしたルックだった。
ルークとルーシーが継続させているリラックスシルエットは2020AWシーズンでも健在で、適度なボリュームを含んだシルエットは上質な素材の品格と相成って、モデルの歩行に合わせて美しく揺れ、二人が捉えていたジル・サンダーのエレガンスとはこのことだったのかと思わせる。そしてルークとルーシーが提示する上質かつ品格あるエレガンスの質を、ニットのロングベストがさらなる上質へと導く。
ワイドパンツというほど幅広ではなく、かといってストレートパンツと呼ぶには幅広なシルエットのパンツは裾が15cmほどもロールアップされ、シックな印象のパンツにジーンズを連想させる穿き方で新しい印象を植え付ける。ベージュのパンツの上には、スタンドカラーの白いロングシャツが合わされ、先述のロングベストがライトグレーとVネックのディテールでレイヤードされている。
パンツのロールアップに、シャツとベストのロングレングス。縦へのラインが強調され、全体に細長くほっそりとした印象を作り出している。そこに、これまで取り組んできた量感美しいシルエットという横のラインが組み合わさり、ルークとルーシーが提示するジル・サンダーのエレガンスがより美しく映えることになった。
鮮烈な色使いやプリント、複雑で大胆な造形に頼らなくとも、シルエットのコンビネーションでモードを作り上げることができる。それを二人は証明している。そして、このアプローチこそが僕が二人の作り出すジル・サンダーに強烈なインパクトを感じさせずに、しっとりと「良さ」を感じていく理由だった。
プリントを使わないわけではない。今回のコレクションにも、紙に絵の具が染み入ったような色調の茶・墨・ピンクで描かれたプリントが施されている。過去のコレクションでも、ブランドロゴを用いたストリートなデザインを発表している。しかし、それでもルークとルーシーのジル・サンダーから僕が受ける印象は刺激とは無縁だった。
「ヨーガン レール(Jurgen Lehl)」というブランドがある。ポーランド生まれのドイツ人であるヨーガン・レールが、1972年に日本で立ち上げたブランドだ。後年ヨーガン・レールは石垣島に移住し、六本木の自宅と沖縄の別宅を行き来しながら服をデザインしていくように、都会の生活を愛しながらも、より自然の営みと美しさを大切にした人物だった。残念ながら、ヨーガン・レールは2014年沖縄の石垣島で自動車事故により亡くなってしまったが、現在も続くブランドは彼の精神が宿った服を作り続けている。
ヨーガン・レールは天然素材を愛する人だった。時の経過が美しいことを実感させるテクスチャーの素材と、東洋の衣服を思わす布がゆったりと揺らぐシルエットは最先端ファッションとは異なる魅力を放ち、彼の生活がそのまま衣服へと具現化されたような優しさと慈しみにあふれ、精神の成熟した女性たちの心を捉えて多くのファンを獲得している。
僕はルークとルーシーが手がけるジル・サンダーを見ていると、ヨーガン レールを思い出す。現在のジル・サンダーには明らかにオリエンタルな美が感じられ、今回の2020AWコレクションでもフィナーレに登場したルークとルーシーは全身黒の服を着用し、とりわけルークの髪型が坊主だからか、禅僧を僕に連想させる。
モードとは遠く離れた世界を生きるヨーガン レールと、モードの中心で生きるジル・サンダー。交わることのない二つの世界が一つになり生み出したエレガンス。それが、今の僕にとってのジル・サンダーだった。
人は強烈で刺激的なものに反応しやすい。そしてそれを「良い」と思うことが多い。しかし、世界にはまた違う良さがある。たしかに、一瞬にして気持ちが高ぶり感動する体験は面白く刺激的だ。だが、しっとりとじっくりと、味わうように知っていく「良さ」も世界にはあり、それにも心を捉える面白さがある。
疑おう。今、目にしたものから受けた強烈な刺激が、本当に面白さから来ているものなのかを。自分の求める面白さと気持ちよさは何なのか。強烈な刺激だけが面白さではないことを。
ルークとルーシーはジル・サンダーというメゾンを通して、次々に時代の新しさを追い求めていくモード界で、スローな美学を発信する。
〈了〉