ボーディの新しい古着

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AFFECTUS No.188

「ニューヨーク」

この都市の名を聞いた時、どのようなファッションイメージを思い浮かべるだろうか。モダン、クール、アーバン。ファッション的表現を用いれば、そんな形容をする人もきっと多いだろうと思う。僕もその一人だ。しかし、あるニューヨークブランドがそのイメージを裏切る。

昨秋、そのブランドは2020SSメンズコレクションでパリデビューを飾り、パリで2回目のショー開催となる最新2020AWコレクションではニューヨークブランドのイメージを裏切る自身のスタイルにさらなる磨きをかけたコレクションを発表する。ブランドの名は「ボーディ(Bode)」。アトランタ出身のエミリー・アダムス・ボーディ(Emily Adams Bode)が2016年に立ち上げたメンズウェアブランドである。

女性デザイナーがメンズウェアからブランドを立ち上げるケースは珍しく、しかし、彼女のデザインは保守的なメンズウェアに新しい風と匂いを運んできた。彼女の服を見ていると、緊張感という言葉とはほど遠い、懐かしく、牧歌的な匂いがしてきて、カントリーな優しさや穏やかさに留まらないシックなカッコよさも服に滲ませている。だが、カッコよさとは言ってもニューヨークの洗練とは別種のもので、アフリカやカリブのカッコよさと言った方がよりイメージに近い。

エミリーのデザインにおいて重要なアプローチは、テーブルクロスやアンティークキルトなどのヴィンテージ素材を使い、ハンドワークで作るものだ。そのため、ボーディのコレクションには一点のみの限定アイテムもある。

ヴィンテージ素材を使用するという、このアプローチ自体ファッションデザインにおいて特別珍しい方法ではない。これまでも同様のアプローチを行ったブランドは数多く、具体的な名前をすぐに思い出せないほど何度も耳にしてきたデザインアプローチだ。それでも僕が彼女のデザインに惹かれたのは、完成した服に古さと新しさの配合に美しい調和を感じたからだった。

2020AWコレクションを例に見てみよう。

シルエットは適度なリラックス感を盛り込んだスマートなシルエット。ビッグシルエット以降も継続するボリューミーなシルエットのコンテクストをなぞりながら、ニューヨークブランドらしい端正なラインを服のカッティングに織り込んでいる。テーラードジャケットにパンツのセットアップスタイル、ステンカラーコート、ワークジャケットやシャツにニット、メンズウェアの王道アイテムをしっかりと抑え、服のフォルム自体に奇抜さを持ち込むことは決してない。

だが、素材使いは違う。非常にアグレシッブだ。先述したようにメンズウェアは保守的でもある。そんなメンズウェアの硬さを解きほぐすようにボーディは、素材使いに遊び心を見せる。ただし、ポップでハッピーと言ったアメリカ的陽気さとは違う別軸の明るい軽快さ、おおらかで楽しげなカリビアンとも言える陽気さを。

グリーン、ブラウン、レッド、ブルー、イエロー、ネイビーなどを用いたカラーパレットは明るくも土着的なくすんだ色のトーンでアフリカの民族衣装を思わせ、そんなエスニックなムードが迫ってきたかと思ったら、アルファベットや数字をセットアップスタイルへ大胆にプリントして現代ストリートの空気を滲ませたり、トップスに羊が2匹プリントされたパジャマテイストのセットアップや色とりどりの大きな星柄のパンツから発せられるカントリームードは、祖父母の代からアンティークを集める一家で、古いものに囲まれて育ったデザイナーであるエイミーのアイデンティティを垣間見せ、現代ファッションのコンテクストに乗ることで古着屋のヴィンテージウェアとは異なる、今という時代の香りを匂わす「新しい古着」が生まれている。

エミリーがデザインする服を見ていると、彼女がアメリカの古着屋で自分が惚れ込んだメンズウェアを集め、それらの服を解体し、現代の時代感を背景にエミリーのセンスで作り直された服、それがボーディなんじゃないかと思えてきた。そんな手作り感が感じられるからこそ、僕はボーディに牧歌的なムードを感じるのかもしれない。

デザインはシンプル。けれどエミリーの背景とメンズウェアの背景、そして現代のファッションデザインの流れが巧みに混じるという複雑味があり、こんなにも様々な要素が入り組んでいるのに重々しさとは無縁で軽快かつ陽気。牧歌的素材使いが時間の経過というノスタルジイも併せ持っていて、成熟という品格が似合う現代的アフリカンウェアとも呼びたくなる。

多く重いにもかかわらず、明るく軽く見える。

究極的にボーディを抽象化すれば、そういうことになる。結局のところ、ファッションデザインで重要なのは服を作るアプローチよりも、完成した服の姿=フィニッシュが重要ということ。アプローチの面白さが完成した服の面白さに繋がるのはまぎれもない事実だが、アプローチが普遍的なものであっても、最終形に形とするフィニッシュのセンスに優れていれば、服は魅力的になる。方法論に囚われていると見えない真実だ。

もしボーディを着た男性を街で見かけたら、僕は思わず微笑んでしまいそうだ。ファッションは服を着用する人間が楽しむもの。けれど人間が着た服は、周囲の人を楽しませることもできる。ファッションは服を着る自分も楽しめるし、服を着た自分と出会うみんなを楽しませることもできる。

ファッションを楽しむ人が集まれば街は表現者の集いとなり、それは一種の美術館なのかもしれない。世界で一番オープンで自由、入場料無料で誰もが鑑賞でき、誰もが制作者になれる美術館だ。ボーディを着て街を歩けば、あなたの歩く道がランウェイになる。

〈了〉

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