怒りが快感になっていたヴェトモン

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AFFECTUS No.189

昨秋2019年9月、ある一つのニュースがファッション界を駆け巡る。ノームコア以降のファッションを激変させたと言える張本人デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が、自ら創業かつデザイナーを務めてきたブランド「ヴェトモン(VETEMENTS)」を去るというニュースが瞬く間にメディアから発信された。

ヴェトモンが設立されたのは2014年、デビューコレクションは2014AWシーズンだった。デムナ・ヴァザリアはストリートを軸に据えたスタイルで、ファッション界に猛威と言えるほどの凄まじさで世界を支配する。僕がデムナのデザインで最も価値があると思ったものはストリートとモードの融合ではなく、はたまたマルジェラスタイルとストリートの融合でもなく、それはアグリー(ugly:醜い)という価値観の提示だった。

これまで美しくないとされてきた醜さの中にこそ、これからの新時代を彩る美しさが潜んでいるのではないか、それを世界に自覚させよう。そんなメッセージすら感じる、ファッション界伝統のエレガンスとは異なるアグリースタイルをストリートスタイルを軸にマルジェラのコレクションから発想を得たビッグシルエットと一体化させることで、デムナはヴェトモンを通して僕らがこれまで抱いてきたファッション観を揺さぶる。

「美しさとは何か?」

そう問いかけ、僕らがどう答えるのかを楽しんでいるように。

だからデムナのデザインに僕はいつも「怒り」を感じることが多かった。アメリカンフットボールのプロテクターを服の中に仕込んだようなシルエットや、壁の上からジャケットを纏わせたような歪で硬いコンクリートシルエットは「この服のどこにエレガンスを感じろというのだ!」という怒りを芽生えさせるのに十分な醜さを僕に感じさせた。

しかし、不快な感情であったはずの怒りも、デムナのデザインを幾度も見ていくうちにやがて快感へと変わっていく。「もっと俺を怒らせてくれ!」と思うほどに。

「さあ、次はどんな美しい醜さを見せてくれるんだ」

それが僕にとってのデムナのデザインを見る楽しみだった。

美しい醜さがあるからこそのヴェトモンが、デムナ離脱後も継続されるのか。僕の関心はそこへ向かう。2020年1月、デムナが去って以降初となるヴェトモンの2020AWコレクションが、デザインチーム体制となってパリで発表された。

ストリート&マルジェラスタイルのビッグシルエットが代名詞となっているヴェトモンだが、デビュー当初は異なるスタイルを発表していたことを覚えている方はどれくらいいるだろうか。マルタン・マルジェラが発表していたクラシックスタイルを、デムナが現代的にアレンジした「モダナイズされたマルジェラ」というスタイルが、デビューから2シーズン発表されていた。

今回のデムナ離脱後初となるコレクションを見ていたら、僕は初期のヴェトモンスタイルを思い出す。あのモダナイズされたマルジェラスタイルが、今ここで再び発表されているような感覚だ。

今、ファッション界はストリート以降のスタイルとして、エレガンスへの回帰が始まっている。そのようなデザインコンテクストをしっかりと理解したように、2020AWシーズンにおけるデムナ不在の新ヴェトモンはコレクションを発表する。僕はデザインにうまさを感じたが怒りは感じず、デザインの潮流に乗ってデビュー時よりもストリートのエッセンス強めで再構築された、6年前よりもさらにモダナイズされたマルジェラスタイルという印象を抱く。

正直に言おう。僕個人の思いを言えば、物足りなかった。それもかなりだ。怒りが感じられないヴェトモンに僕の感情は、揺れ幅が大きく振れることはなく、淡々とコレクションを眺める結果になってしまった。僕がヴェトモンに望んでいるのはうまいコレクションではなく、美しさの真意を問いかける、美醜の基準を問いかけるコレクションであったことを改めて思う。

これはデムナが離脱したがゆえの結果なのだろうか。いや、それは違うと僕は考える。コレクションが発表されるブランドがバレンシアガであれヴェトモンであれ、実は近年のデムナのデザインから僕は以前のようなレベルの怒りを感じることは皆無になっていた。

デムナが去ったからヴェトモンが変わったのではなく、すでにヴェトモンにいたころからデムナ自身に変化が生じていたのだ。これは僕だけが抱く印象なのか、それは定かではない。しかし、エレガンスへの回帰が始まった時期から僕は、デムナのデザインに平坦な印象を抱くようになっていたのは確かだった。

難しさを感じる。ファッションデザインの難しさを。

デムナはディレクターを務めるバレンシアガで、以前よりもスーツスタイルを軸にしたクラシックを成分強めに発表するようになっている。それは、変化の始まったデザインのコンテクストを意識したからではないかと推測する。ファッションは時代と呼応する生き物。時代の変化を無視していたら、プロフェッショナルなデザイナーとしては生きていけない。

いくら素晴らしい実績があろうとも、移り変わる時代の価値観を捉えてデザインへと昇華する術を持たなければ、過去に人気のあったデザイナー、つまり「今は売れないデザイナー」として低評価が下され、ビジネスにも如実な結果として返ってくる。だから、ファッションがどのように変遷しているか、世界はどんな価値観へ移っていくのか、そのコンテクストを読み解くことはファッションデザインにおいて重要なスキルである。それを無自覚に行える天才デザイナーが多数いるのも、ファッション界という世界だ(天才が多数いるというのも不思議な話だが)。世界の変化に無関心ではいられないのがファッションであり、最先端で激しい競争が行われているのがモードだと言える。

ここで疑問を感じる。時代のスタイルを取り入れることが、ファッションデザインの正解なのだろうか。現在なら、久しぶりにトレンドに浮上したジャケットをコレクションに取り入れてスタイルを作ることが正解なのだろうか。

時代のスタイルを意識しながら、時代のスタイルに飲み込まれない反逆のスタイルを発表することで、世界の変化を捉えたモダンデザインとして価値を得ることは不可能なのだろうか。いや、可能なはずだ。僕はそれを実現させてきたのが、デムナ・ヴァザリアだったのではないかと思う。

だから僕はデムナが去ってしまったヴェトモンには、時代のスタイルににじる寄ることなく時代のスタイルを反逆的にデザインして欲しいと願う。それはデムナに対しても思う。その思いは、ヴェトモン以上に強いと言っていい。

常に立場は美醜の醜に起き、醜さの美しさを永遠に訴え続けて欲しい。時代がエレガンスを欲する今なら、そのエレガンスと同様の美しさがこれまであなたたちが否定してきた醜さの中にもあると、訴えて欲しい。時代の大きな畝りににじりよらず、時代に飲み込まれず、時代を作る。それがヴェトモンであり、デムナ・ヴァザリアというデザイナーではないだろうか。

どうか世界をもっと怒らせてくれ。

怒りという快感に僕の感情を浸らせてくれ。

〈了〉

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