美しくない服を着ることで現れる個性

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AFFECTUS No.24

メイドインジャパンを特集した最新号の「ギンザ(GINZA)」2016年12月号。今回のギンザで最も印象に残ったページは、メインであるはずのメイドインジャパン特集ではなく、女優の木村佳乃が「ヴェトモン(Vetements)」を着ていたファッションフォトだった。その写真には、僕がこれまでテレビドラマや映画で何度も観てきた木村佳乃の姿よりも、ずっと魅力的な木村佳乃が写っていた。

彼女が着ていたヴェトモンの服は、身体のラインを綺麗に見せるシルエットとは真逆のビッグシルエットで、フェミニンな要素はまったくない。例えばオートクチュール黄金期に端を発する王道エレガンスと、撮影に用いられたヴェトモンを照らし合わせれば、その違いは一目瞭然だ。ヴェトモンの服に伝統の美しさを感じることは難しい。だが、そんな服を着た木村佳乃の姿が僕にはとても魅力的だった。可愛さや綺麗さとは別の、彼女だけが持つ「何か」が立ち上がっていたように思えた。そして同様のことを僕は「セリーヌ(Celine)」からも感じている。

近年のセリーヌはもはやトレンドセッターではない。現在のフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)のコレクションは、「クロエ(Chloé)」時代やセリーヌ初期のような「着たい!欲しい!」という実需的感性を刺激する服を作っているようには見えない。今のセリーヌは、時代のニーズを捉える服ではなく、例え否定されてでも新しい価値観を提案しようとするアヴァンギャルドなブランドに変貌した。

2017Resortコレクションを見た時には驚いた。1980年代のメンズスーツのシルエットが発表されていたからだ。誇張されたショルダーラインのジャケットとボリューミーなタックパンツは、日本ではバブルと呼ばれていた1980年代にトレンドとなったシルエットである。2017Resortコレクションのセリーヌでは、1980年代メンズスーツのシルエットが、現代の女性に向けた服として提案されている。他のルックにしても、あえて異物を取り入れたようなデザインが多く、一目見て素直に美しいとは思えない服ばかりだ。

ヴェトモンとセリーヌの服を見て思うのは、服を着る女性の個性をより強く濃く立ち上がらせるには、美しさや可愛さを感じさせる服ではいけないのではないかということだった。異物のある服こそ、女性の魅力、女性固有の魅力を最も強く濃く引き出すのではないだろうか。

異物で着用者の個性を引き出す服は、ファッション史を振り返るとヴェトモンやセリーヌ以外にも存在していたことが確認できる。代表的な服は、「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」が1997SSコレクションで発表したこぶドレスだ。

ただし、個人的にはこぶドレスは造形が強烈すぎるがゆえに、着る人の個性を霞ませているように感じる。異物を取り入れながらも、着る女性の個性を霞ませずに立ち上がらせる服として僕が最高レベルに感じる服は、1989SSコレクションでマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)が発表した袖山を詰めたジャケットだった。袖が異様に盛り上がるジャケットは、ファッション史に残る名作だと言っても過言ではない。マルジェラの名作は前述のジャケットだけではない。初期のマルジェラの服には異物を取り入れたリアルな服が多く、その服を着たモデルたちが素晴らしく魅力的だ。

あるモノが持つ要素とは真逆の要素を持ってくると、そのモノが持つ本質が魅力的に立ち上がる。世界にはそんなルールがあるようだ。お汁粉やスイカに塩をかけると、より甘さが際立つように。それは服も例外ではないことは、「初期(あえて強調)」のマルジェラの服が教えてくれる。

綺麗さや可愛さを感じずに、服を着た自分の姿を見て「なんだかいい」と思える服。なんともやっかいな服だ。そんな複雑なことを考えず、単純に可愛い、綺麗と感じる服を着ればいい。だが、その一方で、綺麗さや可愛さといった従来の服の価値観から離れた服を着たい、見たい、とも思う僕がいる。

ウェブの進化とSNSの登場で、遠くへの憧れよりも自分の価値観と共感できるモノやヒトと共に過ごすことが楽しく心地いい現代には、美しくない服を着て、自分にしかない何か=個性を立ち上がらせることを試みてもいい。新しい時代の、新しい価値観で服を着てみる。そんな服の楽しみが、これからの時代にはあってもいい。

〈了〉

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