ジョン・ガリアーノはマルタン・マルジェラと同じ道を辿る

AFFECTUS No.198

「メゾン・マルジェラ(Maison Marigiera)」が進化を見せ始めた。僕は今、そう実感する。ジョン・ガリアーノ手がけるメゾン・マルジェラのことを「これはマルジェラではない」と否定する話は、もう終わりにしよう。僕たちが呼ぶところのマルジェラというブランドは、二度と戻ってこない。たとえ、仮にマルタン・マルジェラ本人が復帰したとしても、それは叶わない願いだろう。それほどに、マルタン・マルジェラが1989SSシーズンにデビューしてからおよそ10年間に渡るコレクションは、奇跡の産物だった。

ガリアーノは、マルタンが去った以降、過去のコレクションを焼き直しているだけに思えた「メゾン・マルタン・マルジェラ(現メゾン・マルジェラ)」に、創造性を吹き込むことに成功している。マルタンが引退してからはデザインチームがコレクションを制作したが、当時のコレクションにはたしかにマルジェラらしいエッセンスはあっても既視感が多く、「一体どうした?」と疑問が浮かぶクオリティであった。いくら素晴らしいデザインであっても、過去のデザインにアレンジを加えて発表するだけでは、人の心に響かないことを僕は学ぶ。

だが、ガリアーノは自分の武器をメゾン・マルジェラと一体化させ、時間をかけてブランドに創造性を取り戻す。

以下、ガリアーノのデザインについて所見を述べていきたいと思う。独断的・偏見的になることがあるかもしれない。あくまでこれは、僕自身の個人的解釈であることをあらかじめ断っておきたい。だが、世界で自分一人、そう思える自らの世界を勇気を持って語っていくことが、テキストに独自性を加える上で重要だろう。

インターネットによって誰もが自由に発言できるようになった。だが、その反動で自分の考えとは異なる考えに対して、過剰なまでに批判的に反応することが増えてしまった。インターネットの力によって様々な視点と解釈に触れる楽しみができたのに、このままでは自由な意見が控えられ、無難な意見ばかりになるリスクが高まる。

「あなたの考えに共感はできないけど、異なる考えが共存する世界には共感する」

この姿勢が大切なんだろうと思う。

話がずれてしまった。本題に戻ろう。

僕にとってのガリアーノは、「歴史」と「コスチューム」という二つの言葉が浮かぶ存在だった。ガリアーノはシグネチャーブランドの活動も行なっていたが、クリスチャン・ディオールで辣腕を奮っていたころの記憶が鮮烈である。まるでガリアーノ自らタイプスリップして、服装史の中から自身の目に適った衣服をデザイン素材として時代を横断して収集し、それらの衣服が持つ素材・色・装飾など構成要素を、ダイナミックなシルエットに乗せながら人体の上で畝るように組み合わせ、劇画的なスタイルをいくつも作り出してきた。

歴史から着想を得てデザインする点で、ヴィヴィアン・ウエストウッドと共通点があるが、ガリアーノはウエストウッドよりも大胆さと迫力で上回る。

ガリアーノがディオールで生み出したスタイルは、服装の外観はニュールックを生んだクリスチャン・ディオールの甘く美しいスタイルとは異なれど、迫力と大胆さでもってスタイルを作り上げる腕力はディオールと重なるものがあった。僕はディオール時代におけるガリアーノのデザインを見ていると、服というよりもコスチュームと呼ぶ方がふさわしく思えてくる。すべてがあまりにドラマティック。それが僕が思うディオール時代のガリアーノである。

ガリアーノはディオール時代に披露していたダイナミズムを、メゾン・マルジェラでも継続させている。いや、訂正しよう。厳密に言えばガリアーノは変化を示している。ディオール時代が「歴史」を軸にしていたなら、メゾン・マルジェラでガリアーノが軸に据えているのは「性別」である。

直近のメゾン・マルジェラ2020SSコレクションを改めて見てみると、僕にはこんなことが感じられてきた。ウィメンズウェアは女性が男装をしているようで、メンズウェアは女性が男装している服装を男性が着用している。このような印象だ。

メンズウェアは女性的ニュアンスがとても強い。2020SSコレクションにおいてメンズウェアで象徴的に登場したスタイルに、男性モデルがショートパンツにロングブーツを組み合わせたものがある。太腿を露わにしながらロングブーツを履いてランウェイを歩く男性モデルは、街を颯爽と歩く女性の服装を連想させる。ただ、たしかに女性の服装を連想させはするのだが、男性的なキレと強さを併せた服装の匂いが感じられてくる。

一方、ウィメンズウェアを着用する女性モデルは、エレガントでフェミニンというステレオタイプな女性の服を嫌うかのように、マニッシュな香り漂うスタイルを披露している。先ほどメンズウェアで取り上げた、ショートパンツにロングブーツという組み合わせもウィメンズウェアに登場するのだが、男性モデルが着用している姿とは打って変わって、ランウェイを歩く女性モデルの姿からはまるで男性が着用しているような印象を受ける。

改めて言おう。

ガリアーノのマルジェラは、女性が着用しているにも関わらず男性が着用しているイメージがあり、男性が着用しているにも関わらず女性が着用しているイメージがある。ただし、男性モデルの姿からは、女性が男装する際に着る服を男性が着用しているイメージが漂う。

自分で書いていても、イメージが絡み合い、不鮮明になっていく。ガリアーノのマルジェラは、性別が錯綜しているのだ。現在ガリアーノがウィメンズウェアで披露するデザインは、伝統的に女性の魅力と思われていた優雅さ・華やかさ・可愛らしさが消えている。それを思うと僕は、初期のマルタン・マルジェラのデザインを思い浮かべる。

マルタンも女性の魅力を消していた。それは色気である。初期のマルタンの服を着る女性モデルからは、色気が感じられない。1989SSデビューコレクションでは女性モデルが白いボトムを穿きながら、上半身は服を一枚も纏わず、両腕で自らを抱きしめるように胸を隠しながら裸で登場する。

本来その姿にはエロティシズムが感じられてもおかしくない。しかし、マルタンのデザインには性的刺激が皆無である。特に初期は。まるで人形が服を着て歩いているような冷たい印象すらもある。これはマルタン本人の性質でもあったかもしれないが、結果的には1980年代へのカウンターにもなった。

80年代、それはファッション史上、最も煌びやかな時代であった。派手で装飾的、権力と欲望が渦巻く時代。そんな時代を装った80年代のファッションはパワフルでゴージャスだった。そんな時代を忌み嫌うかのように、マルタンは人間の欲望を刺激しないファッションを披露する。古着をモチーフに新しいデザインとして発表する手法は代表的だ。

ガリアーノ手がける現在のマルジェラは、かつてのマルジェラとは言えないデザインになっている。僕もそれは強く実感する。だが、現在のマルジェラのコレクションを詳細に見ていくと、マルタンとは完成したスタイルは異なるが、それまで魅力と思われていた女性の特徴を消失させている点で、マルタンとガリアーノには共通点がある。

現在のガリアーノは「男性に女性の服を着せる」「女性に男性の服を着せる」というストレートな手法よりも複雑な手法を用いて、ジェンダーレスが注目される現代のトレンドをデザインしている。結果的にその手法から生まれたスタイルは、複雑かつ混迷的であるがゆえに、性別が錯綜し、一体性別とは何なのか、男性とは?女性とは?という疑問が僕の中に渦巻くほどになった。

ファッションデザインには、世の中の課題を解決するだけでなく、世界に新しい疑問を提示する側面がある。特にモードにおいては「疑問をデザインすること」が最も価値がある。疑問をデザインし、世界を新しいステージへシフトさせていく。それがモードがこれまで果たしてきた役割だった。

ジェンダーレスという現在ファッションにおいて重要なトレンドを、ガリアーノも彼流の解釈でデザインしている。かつてのマルタンと同じく、それまで魅力とされてきた女性の特徴を消失させることで。そしてガリアーノは、女性の特徴を消失させたウィメンズウェアを男性に纏わせ、男性の特徴である硬質的強さも失わせている。

今、ガリアーノはマルタンと同じ道を辿る。世界に疑問を投げかけるという方法で。

〈了〉

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