AFFECTUS No.200
暗闇の中、振動を会場へと響かせる荘厳なチェロの弦。リズムは急転する。一気に速度を増し、弦は音を激しく鳴り響き続ける。会場に光は灯され、ショーはスタートする。King Gnuの常田大希によるチェロの演奏によって「N.ハリウッド(N. HOOLYWOOD)」2020AWコレクションは幕を開けた。始まりからコレクションのスタイルが訴えられてくる。それはクラシック。
ニューヨークでN.ハリウッドは、成熟した男たちのためのエレガントなウェアを披露する。白いシャツに黒いネクタイ、テーラードコートを纏った姿にカジュアルな匂いは皆無。シンプルながらも存在感を際立たせるダンディズムを尾花大輔はデザインする。だが、次第に気づいていく。そのように感じたことが、僕の思い違いであることに。
渋く褪せた赤いカーペットを歩くモデルたち。常田が演奏するチェロの音はスピードと共に不穏さを重ねていく。その変化が、このコレクションをクラシックと呼ぶことに違和感を覚えさせた。テーラードジャケットが幾度も登場し、黒をメインカラーとしたファッションスタイルはクラシックと呼んでも差し支えないはず。だが、今回のN.ハリウッドからは従来のクラシックとは異なる空気が感じられてきたのだ。尾花はいったい何を始めたというのだろう。
一つの理由に気づく。モデルたちの首に締められていたネクタイが、彼らの首元から消えている。ショーの冒頭から登場した、クラシックスタイルを印象付けるネクタイルックはいつのまにか姿を消し、シャツもスタイリングから減少していることが明確になる。代わりに登場するのはハイネックのニットやカットソー、フードといった、尾花のシグネチャーを成すカジュアルルックの代表アイテムとディテールだった。シリアスなメンズウェアは成熟さそのままに、装いにルーズなニュアンスを添えていく。
会場に鳴り続ける弦の不穏さは、N.ハリウッドが提示するクラシックが反転したことを教える。
世界はクラシックを保ったまま、スタイルはカジュアルへと移行していたのだ。同じように見えた世界はいつしか変化を遂げていた。そのことを暗示するかのごとく、低く地を這うようにチェロの音は会場を支配していく。
尾花は明らかにわかる姿でデザインの変化を見せるのではなく、意識の中へ刷り込ませるように変化を浸透させ、違和感を感じ始めてようやくコレクションの何かが変わったことを気づかせた。巧みで誘導的なデザインを、ファッション伝統の美しさに乗せて見せる手法に僕はマジックという言葉が浮かぶ。
尾花はニューヨークコレクションというステージで、ショーを観賞する人々の心理を遊ぶ。クラシックというイメージを増幅させているのは、間違いなく宮田の演奏するチェロだろう。しかし、クラシックに見えたこのコレクションは、尾花のシグネチャーであるカジュアルを一層輝かせるための手段に過ぎなかった。
僕らは騙されている。目に見えたことが正解とは限らない。正解は視覚から得られたものとは別の世界にある。そんな可能性はきっと世の中にある。
尾花がこのコレクションに隠したマジックは一つだけではなかった。ショーが進行するにつれ、僕は一人の男性の二面性が感じられてきた。それは若さと成長。ショー序盤に登場したN.ハリウッド流クラシックスタイルは、いわば成長した男性の姿であり、ショーが終盤に近づくにつれ、男性は若かりし頃の姿へと回帰していく。それがクラシックテイストのカジュアルスタイルだ。
時間を逆行するコレクション構成は、先へ先へと急ぎ、そのことが最大の価値であると思える現代を皮肉るようだ。
「そんなに急ぐことに何の意味がある?」
今、僕らはこれまでの価値観を再考せねばならない局面に立っている。
これまで正しいとされてきた価値観と習慣は、これからも正しいのだろうか。その疑問をこれまでに深く時間をかけて考えたことがあっただろうか。
N.ハリウッドといえば、僕はまっさきに古着のイメージを思い浮かべる。だが、今回の2020AWコレクションは僕がN.ハリウッドに抱いていたイメージとは真逆の、王道でシリアスなクラシックを見せた。
「N.ハリウッドで、これほどにクラシックを感じることができるとは」
そのような驚きに襲われ、そしてその驚きは新鮮であった。
これまで耳にしたこと、目にしたこと、感じたことを、今改めて問い直す必要がある。暮らし方を、働き方を見つめ直す時がきている。
尾花がニューヨークで発表したコレクションは、ファッションを通じて見せた未来の世界と言ったら大げさかもしれない。しかし、僕はこう言いたい。先を急ぐことに価値を置かない未来があってもいいだろ、と。自分のスタイルを保持したまま、生き方を変えることはできる。これからの時代のための生き方を。
チェロは演奏を終え、ショーは閉幕する。デザイナーと演奏者は暗幕へと姿を消していく。
〈了〉