メリル・ロッゲは上品で下品なファッションという矛盾を作る

AFFECTUS No.207

毎シーズン多くのブランドがデビューするファッション界。新ブランドのデビューがゼロのシーズンなど過去にない。そう断言することが大げさに思えないほど、ブランドは次から次へと生まれてくる。すでに実績あるブランドの中に混じり、実績はおろか知名度も遥かに劣る新ブランドがデビュー早々に注目を集めることは、僕たちが想像する以上に困難である。

各ブランドから毎シーズン発表されるルックは膨大な量がネット上に流れていき、その全てを追いかけることはもはや不可能。けれど、次なる新しさを求めるファッション界の激流において目が止まるということは、そのブランドにしかない価値を確立できた証拠になる。勝負は一瞬。その一瞬で魅惑的な価値を感じさせたブランドだけが、成功への階段を上っていく。

2020AWシーズンにデビューしたメリル・ロッゲ(Meryll Rogge)は、確実に階段を上り始めた。2020年4月、早速NYタイムズ「T Magazine」にて彼女の特集記事が組まれる。コレクションからルックがピックアップされ、ロッゲのキャリアを辿り、彼女の肉声も掲載された記事だ。新人でありながらデビューシーズンにT Magazineで特集記事が組まれたことが、ロッゲへの注目度の高さを物語る。

しかし、ここで疑問を感じた人もきっといるだろう。なぜロッゲが注目されるのか、彼女のデザインの何が魅力なのかと。その疑問は最もである。だから、僕なりにメリル・ロッゲというデザイナーについて、彼女のデザインの価値について言葉にしたい。

僕がデビューコレクションのルックを見るなり、惹かれたのは色使いだった。しかし、僕はロッゲの色使いにポジティブな印象を感じて惹かれたわけではない。むしろ逆だ。感じたのはどこか猥雑的とも言える「けばけばしさ」であった。さらに、色の組み合わせが持つけばけばしさを、光沢感ある素材が促進させる。ピンク・イエロー・レッドの三色が斜めのボーダー上に配されたニット、シャイニーな素材に乗せられたグリーン・ミント・レッドが色展開されたジャケットやシャツは鮮やかさを奏でることで意識を引っ張るのではなく、派手で品格が劣るが故に僕の意識を掴む。

では僕がロッゲのファッションに汚さや醜さを感じたのかといえば、それは否定する。これまた逆なのだ。彼女のファッションにはスマートなエレガンスがある。その理由はシルエットにある。1970年代的スレンダーなシルエットに、現代のビッグフォルムがコート・ジャケット・トップスなど上衣に取り入れられ、今着たい・欲しいと思うトレンドが表現されると同時に、70年代的シルエットは酪農家のトラクターが通る牧歌的なロッゲの故郷という、ノスタルジックなロッゲの世界観を表現することにもなり、他の誰とも異なるそのデザイナーだからこその独自性と誰もが関心を抱きたくなるトレンドの融合が適っていた。

ファッションは「今」という共通の時代感覚を感じさせることで、人々の心を「着たい」「欲しい」と揺さぶることができる。だが、そのデザイナーだからこその世界を体験できなければ、ファッションは人々を購買と着用へは掻き立てない。この矛盾を成立させることがファッションデザインであり、ロッゲはそれは現実にしていた。

スレンダーシルエットが原色系を用いる色のけばけばしさを柔和し、エレガンスへと印象をシフトさせる。僕はロッゲのデザインに「上品な下品」という言葉を用いる。矛盾したファッションは、矛盾した表現を生み落とす。存在し得ないものを存在させたからこそ価値が作られ、その価値に人は無意識に吸い寄せられる。新しい価値というのは、人間が自覚するよりも前に圧倒的パワーで心に揺さぶりをかけ、気付いた時にはすでに惹き込まれている。

しかし、デビューコレクションで話題を呼ぶも、その後存在感が薄まり消えていくデザイナーが多いのもファッション界。果たしてロッゲはどちらの道を歩むのだろうか。成功への階段を踏み外すのか、それとも成功への階段をどこまでも上り続けるのだろうか。この残酷な現実もファッションである。僕らはそれら残酷を楽しむ。

〈了〉

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