メンズウェアの解体と更新を行うオールモストブラック

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AFFECTUS No.219

新世代の日本ブランドとして注目され、シーズンを重ねる毎に人気を高めていくメンズブランド「オールモストブラック(ALMOSTBLACK)」。デザイナーは日本人デュオ、中嶋峻太と川瀬正輝の二人だ。中嶋と川瀬が出会い、2015AWシーズンにデビューするオールモストブラックが掲げるブランドコンセプトは「ポスト ジャポニスム」。

ブランド名は日本語で「褐色(かちいろ)=限りなく黒に近い藍色」を意味し、日本の美術と伝統工芸によって育まれた美意識と、音楽とアートにフォーカスした世界のカルチャーをミックスさせ、それらデザイン要素をミリタリーやテーラードといったメンズウェアのスタンダードにスライドし、多用されるグラフィックデザインがパンクな匂いを強烈に放っている。

上質の素材をシンプルにデザインする傾向が強く、またそういったブランドが人気を集める昨今の若手日本ブランドにおいて、異色のデザインかつ存在感と言えよう。オールモストブラックのコレクションを見ていると、視覚インパクトの強さゆえにグラフィックに目を奪われがちになる。だが、ここでは別の側面からオールモストブラックのデザインについて語っていこうと思う。

ファッションデザインのベースに服の造形があげられる。歴史をたどっても、造形に焦点が当てられてデザインに言及されることが多く、服の造形はファッションデザインにおいて極めて重要な要素を持っている。しかし、歴史に残るほど異彩を放つデザインの多くはウィメンズウェアであり、メンズウェアがファッション史に影響を及ぼすほどのデザインを見せた例は驚くほど少ない。

メンズウェアがファッション史に楔を打ち込んだ例として、真っ先にあげられるのがラフ・シモンズ(Raf Simons)とエディ・スリマン(Hedi Slimane)である。彼らは、男性の魅力が強さだけでなく、内面に潜む繊細さも男の魅力なのだとファッションを通して訴えることで、21世記の新しい男性像を作り上げた。

男性の女性的側面に光を当てたラフとエディのデザインを、さらに促進させた解釈のメンズウェアを見せたのがジョナサン・ウィリアム・アンダーソン(Jonathan William Anderson)だ。アンダーソンは、筋肉質な男性モデルにスカートやフリルシャツなど、ウィメンズウェアの代表的アイテムをメンズテイストにすることなく、ウィメンズウェアとしての特徴そのままにストレートに男性モデルへ着用させ、性別の境界を曖昧化して男性の衣服と「生き方」に大きな自由をもたらす。結果、時代にジェンダーレスの発端者といえる先見性を示した天才がアンダーソンだった。

メンズウェアが時代に大きな変革を生み出す時は、ウィメンズウェアのように服の造形で成し遂げるのではなく、既存の男性像を変える仕掛けによってインパクトをデザインしている例が多い。近年その例外と言えるのが、極大なビッグシルエットを強烈にアピールした「ヴェトモン(Vetements)」である。しかし、ヴェトモンから登場したビッグシルエットは、誤解を恐れず言えばシルエットを極端に大きくしただけの(そのレベルが常軌を逸していたが為にインパクトがあったのだが)、平面的なものである。ウィメンズウェアの歴史的デザインの造形に見られるような、立体的な造形のデザインというわけではなかった。

メンズウェアの歴史的文脈から現在のオールモストブラックのコレクションを見ていくと、新しい男性像を打ち出しているような先端性は感じられない。オールモストブラックはもっとプロダクト的、メンズウェアというプロダクトの更新を実験しているように僕は感じられる。

オールモストブラックのコレクションを造形の観点から見ていく。デビューコレクションの2015AWから最新コレクションとなる2020AWまでを見ていても、シルエットにおける先端性はない。ただし、これはオールモストブラックだけでなくメンズブランド全般に共通する点であり、メンズウェアのデザインはシンプルなシルエットを軸にしてデザインを展開することが半ばスタンダードになっている。

なぜ、メンズウェアは造形面からの変革が生まれにくいのか。それは男性の平面的な身体の構造が原因ではないかと僕は考えている。女性の曲線的で立体的な身体に対して、男性の身体は直線的かつ平面的である。このような構造の身体からはウィメンズウェアのような立体的かつダイナミックなインパクトをもたらす造形は発想しづらく、また仮にそのような造形を作り、男性に着用させたとしても平面的な男性の身体と相性が悪いと、僕は立体裁断でパターンを作る経験を重ねていく中で感じるようになった。

オールモストブラックの造形はスタンダードだ。しかし、コレクションを観察していくと異彩を放つ特徴が見られてくる。それは「解体的」という点である。アイテムがシャツであれパンツであれ、オールモストブラックのデザインには服にスラッシュであったり、切り替えが多用されていたり、完成したメンズウェアのアイテムを解体して再度組み上げていく構造が感じられてくる。しかし、解体的と言っても完璧に服を解体するのではなく、服に切り込みを入れてそこにファスナーを差し込むと言ったように、解体の途中で新たな要素を組み込んだり、解体の途中でストップしたようなカッティングの跡を入れるといった作りである。

しかし、解体的ではあるが破壊的ではない。あるプロセスまで解体が進行したら、別のプロセスで進行して服を作り上げていく。そのような印象なのだ。結果的に完成した各アイテムは非常に複雑で重層的な印象を受ける。複雑かつ重層的デザインはパリコレクションに参加する日本ブランドに多く見られる特徴である。例えば「サカイ(Sacai)」や「カラー(Kolor)」は複雑なパターンを駆使してアイテムを作り、それらのアイテムをレイヤードしてデザインに複雑で重層的な印象を作り出している。

一方、オールモストブラックも複雑かつ重層的ではあるがその構造はサカイやカラーと異なっていて、レイヤードは抑制され、一着の中で複雑さと重層性が完結していることが多い。レイヤードがないわけではなく、「オーラリー(AURALEE)」のような軽量感はもちろんないが、サカイやカラーと比較するとライトなデザインに仕上がっている。

オールモストのアイテムは建築的な印象も受けてくる。そう考えた時、比較対象として浮かんできたメンズブランドが「クレイグ・グリーン(Craig Green)」だ。2020SSコレクションのクレイグ・グリーンを見ていると、服の構造へのアプローチがオールモストブラックと同種の建築的感覚を僕は覚えた。異なる点はオールモストブラックはグラフィックデザインを多用してパンクな匂いが強く、クレイグ・グリーンに比べるとよりファッション的だということ。

こうしてオールモストブラックのデザインを観察すると、メンズウェアの様々な文脈に連なりながら微妙な差異が生まれていて、その差異が積み重なることでインパクトの強いデザインが完成している。僕はオールモストブラックのコレクションを見ていたら、1990年代のモードファッションがイメージとして浮かんできた。エッジが効いて、攻めたデザインを見せていく。もしかしたらモードの黄金時代と言えるかもしれない時代のファッションと、オールモストブラックはオーバーラップする。

リアリティが重視される今、ましてや新型コロナウイルスによってデザイン性の強いファッションへの需要が減少することが予想される時代において、オールモストブラックのアグレッシブなデザインはエネルギーに満ちた迫力を発散し、挑戦的な野心さえ迫ってくる。

デビューの2015AWシーズンからビジネスも順調に伸ばし、現在アカウント数は国内外合わせて25アカウントにまで伸ばしている。爆発的成長ではないが、インディペンデントなブランドが卸先を開拓することが難しい中で、堅実に伸ばしてきた実績は素晴らしいと僕は思う。デビューする多くのブランドが、ここまで到達することができないのだから。

挑戦的なデザインでプロダクトとしてのメンズウェアを更新していくオールモストブラック。一見そのデザインは激しく、現在の市場に需要があるのかと疑問を抱く方がいるかもしれない。しかし、世界中のすべての人々がシンプルでリアルな服を望んでいるわけではない。モードなデザインを渇望する人々も世界にはいるのだ。オールモストブラックは、ファッションに高揚感を欲する男たちに熱を届ける。

〈了〉

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