サムエル・ドゥリアのネヘラが見せた未来

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AFFECTUS No.220

「ネヘラ(Nehera)」について語ろうと思う。とは言っても、僕はネヘラの服は1着も所有していないことが証明するように(ネヘラはウィメンズウェアではあるが)、熱心なファンというわけではない。そんな自分に語ることのできる言葉は少ないかもしれない。それでも僕はネヘラについて語りたい衝動に駆られている。

僕の語るネヘラは、現在のネヘラではなく前任のクリエイティブ・ディレクター、サムエル・ドゥリラ(Samuel Drira)が手掛けていた時代のネヘラについてだ。現在のネヘラを好きな方もいるだろうし、僕に今のネヘラを批判する意図はなく、ここに書くことはドゥリラ時代のネヘラについて、ただただ自分の個人的感情を語りたいだけの文章になる。

僕がこのシンプルな名前のブランドを初めて知ったのは、原宿の「インターナショナルギャラリービームス(International Gallery BEAMS)」を訪れたとき、今から4年半ほど前の2016年2月になる。そこで僕は、久しぶりにショップというリアルな場で服から強烈な存在感を叩きつけられる。世界中からセレクトされた様々なブランドに混じり、ネヘラは特別なスペース展開がされていたわけではなく、他のブランドと同様にラックに服が数着かかっているだけだった。

ラックにかけられたネヘラの服は色のほとんどがベージュで、複雑で大胆な造形とは無縁な極めてシンプルなデザインで静かに佇んでいた。しかし、ネヘラがかかっていたラックは店内の中でそこにだけ光が注がれているように一際眩しい存在感を放ち、僕はベージュの服に目が惹きつけられ、視線を外すことができなくなる。

色や造形という視覚へ真っ先に飛び込んでくる服の要素に特異さが皆無にもかかわらず、ネヘラの存在感は極めて異質だった。まるで砂漠の砂の中に埋められていた衣服を、掘り出してきてそのままラックにかけたかのような自然の雄大さが迫ってきて、その迫力が僕の目は他の服を見ることが許されない。それほどに強烈な存在感を放っていた服が、僕が初めて間近で見るネヘラだった。

なぜそれほどに僕はネヘラの服に惹き込まれたのか。それはおそらく、ベージュを多用したナチュラルな素材感の服に僕が抱いていたイメージが裏切られたからに他ならない。当時の僕は、ベージュ&ナチュラルなウィメンズウェアには少女性が感じられる甘いイメージを抱いていた。しかし、ドゥリラのネヘラは違っていた。遊牧民が現代のファッションを自分たちの世界へ落とし込んで着ているような服、乾いた大地の荒々しさを服に投影させたファッション、地表を覆い尽くす砂漠の下にはこんな服が眠っているのではないかと思わせる雄々しさがネヘラにはあった。

僕がベージュ&ナチュラルなウィメンズウェアに抱いていた甘いイメージは皆無で、自然素材の布で平面的構造によって作られたノマドな服をモード化し、遊牧民のために作られた現代服。それがドゥリラのディレクションするネヘラだった。

ドゥリラは新しい市場を創造したのだと思う。そうでなければ、1930年代に人気だったという歴史を持つとはいえ、長い間ファッション界で忘れ去られていた旧チェコスロバキアの1ブランドが2014年の復活早々に注目され、数多くのセレクトショップで取引が始まることはない。

既存のイメージが裏切られる。ネヘラの成したことは言葉にすれば、ただそれだけ。しかし、これまで人々が抱いていたイメージが覆されたときこそ、そのファッションはクリエイティブ的にもビジネス的にも成功を収める。ファッションは模倣にとどまっていては、大きな成功を収めることのできないビジネス。イメージの更新を実現させてこそ、ファッションは市場で輝き、消費者を熱狂させる。

ドゥリラがネヘラを去って3年経った今、僕がネヘラを語りたくなった理由は当時のネヘラにはファッションの本質を思い出させ、今も惹きつけるパワーに満ちていたからだ。その本質は現代にこそ、もっとも必要である。過去は参照しても模倣することなかれ。常に想像の外側にある新しさに向かい、ファッションは進むべきもの。サムエル・ドゥリラはその手でネヘラと共に、ファッションの未来を作った。

〈了〉

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