新生プラダから感じた違和感の正体

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AFFECTUS No.223

ファッション業界を驚かせた稀代の天才デザイナー二人の共演。とうとうミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)とラフ・シモンズ(Raf Simons)による「プラダ(Prada)」のデビューコレクションが発表された。ここではコレクションそのものの特徴と価値ではなく、このコレクションのデザイン構造について触れていく。

今回のデビューコレクションを見ていて、僕は次第にこう感じるようになった。

「二人の持ち味が相殺されている」

まずはじめにミウッチャとラフ、それぞれが持つデザインの特徴について整理しよう。

二人に共通している特徴に「違和感」を作り出す点があげられる。それがなければ美しいと思える違和感を、ボリューム・カッティング・ディテール・素材・色などの構成要素を用いて服の中に取り入れる。それがミウッチャとラフに共通するデザインの特徴である。

ただし、違和感をデザインするにあたり二人の得意分野はそれぞれ異なる。ミウッチャが素材の組み合わせ、ディテールの組み合わせなど平面分野で違和感を作り出すことが得意なのに対し、ラフはシルエット、つまり服の造形面に関する立体分野で違和感を作り出すことを得意としている。

ミウッチャは僕が「悪趣味なエレガンス」と呼ぶデザインを最大の武器としている。脈絡のない要素を一つのスタイルの中に隣接させて(融合ではない)、関係性のない要素が隣り合ったときに生じる違和感、その違和感から発せられるパワーがプラダのコレクションに吸引力を生み出していた。

だが、ミウッチャはシルエットに関してはコンサバティブで、服の形そのものに大胆なデザインは見られない。あくまでコンサバティブなシルエットの内部でアヴァンギャルドな積極的デザイン展開を見せている。ミウッチャのデザインはシルエットがコンサバティブなために、一見すると馴染みのあるファッションに感じられるが、内部にデザインされた悪趣味なエレガンスによって、これまでに見たことのないファッションに感じられてくる不思議さを体験できる。悪趣味なエレガンスが初めて披露されたプラダの2014SSコレクションは、ミウッチャが持つ平面デザインの特徴がわかりやすく現れていた。

一方、ラフが得意とするシルエットは伝統のエレガンスになる。ジョン・ガリアーノ(John Galliano)のように大胆で破壊的なシルエットを見せるわけではなく、1950年代のパリ・オートクチュール黄金時代から育まれてきたシルエットの優雅さが大きな魅力となっている。そのシルエットの優雅さが最も発揮されたコレクション、それが「ジル・サンダー(Jil Sander)」時代のラストコレクションとなった2012AWであり、その武器は「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」でも発揮された。

しかし、ジル・サンダーのラストコレクションもそうだったが、ラフは美しいという感覚に人々をただ酔わせるわけではない。そこにノイズを混ぜるのだ。そしてそのノイズがスパイスとなり、新たなる魅力を立ち上げる。ラフは優雅なシルエットの中に唐突なボリュームやカッティングを挟み込み、それがなければより美しく感じられるのにと疑問を抱く違和感を作り出す。初見ではノイズに感じる違和感だが、次第にその違和感が優雅な伝統シルエットに新しい側面を加えるスパイスとなり、幾度となく見たくなる魅力を立ち上げる。

このようにミウッチャとラフはデザインの特徴に共通点はあるが、表現するための得意分野は異なる。付け加えるなら、ラフは「カルバン・クライン(Calvin Klein)」時代を経て、ミウッチャが得意とする違和感を平面展開で見せるデザインも可能になってきた。カルバン・クライン時代のラストコレクションになった2019SSでは、『ジョーズ』と『卒業』という関係性のない二つの映画をテーマにし、戸惑いを加速させるデザインを披露する。ただし、このコレクションではシルエットに優雅さが失われ、硬い印象を覚えたことが私は気になった。

ラフも平面で違和感をデザインする才能を見せ始めたが、ミウッチャとの違いは何かというと、調和の有無になる。脈絡ない要素を隣接させ、調和が感じられないと思っていたミウッチャのデザインだが、カルバン・クライン時代のラフのデザインを見た後に改めて彼女のコレクションを見ると、脈絡のない要素を色調などで統一を図りながら隣接させ、全体では調和が生まれていたことに気づいた。一方ラフはミウッチャに見られた調和はなく、より破壊的で断絶的だ。これはどちらが良い悪いの話ではなく、あくまで二人が持つ平面デザインの特徴になる。

また、プラダというブランドにとってどちらの平面デザインがマッチするかというと、僕はミウッチャのデザインだと思う。ミウッチャが見せる平面デザインの方がラフよりもフェミニンであり、ウィメンズコレクションがブランドビジネスの核になるプラダにとってフェミニンは重要な要素だ。ラフにもフェミニンはあるが、ミウッチャのそれと比較するとやや硬く感じる。ラフの持つフェミニンは、ジル・サンダーやクリスチャン・ディオールのように硬質なエレガンスをDNAとするブランドの方がマッチするだろう。

このようにデザインにおける二人の特徴を考えたとき、今回のプラダを見た時に私は物足りなさという名の「違和感」を覚えた。

お互いに気を使いすぎているような、大人しいデザインに感じられたのだ。二人のデビューコレクションとなった2021SSはユニフォームがテーマの一つということであり、シルエットはシンプルかつスポーティなものに仕上がっていた。ただし、シンプル&スポーティであっても、ラフ得意の違和感を織り交ぜた優雅なシルエットデザインが可能だったのではないか。現にそれを実現している日本ブランドがある(詳しくは後述)。今回発表されたシルエットはどちらかというと、ミウッチャよりのコンサバティブシルエットに感じられた。

一方、シルエットの内部ではグラフィックがプリントされ、ラフがシグネチャーブランドで見せるグラフィックデザインの使用方法と同様のテイストが感じられた。グラフィックは記号的に衣服の上に配置され、シュールな空気を放つ。シンプル&スポーティなシルエットに、記号的グラフィックを配置したデザインは、一瞬で美しさに陶酔する体験とは無縁な「違和感」を感じた。だが、先述したように記号的に使われたグラフィックはラフのテイストが強く、プラダに適したフェミニンが弱い。したがって違和感を平面的にデザインする点において、今回のグラフィックはミウッチャではなくラフよりのデザインになっていた。

つまり、本来得意領域とするデザイン手法を、ミウッチャとラフは逆に行なっていたことになる。これが今回のコレクションに対して僕が覚えた物足りなさ=違和感の正体だった。

互いの持ち味を生かしたデザインを行うために、どのような解決方法があるだろうか。それはアイディアは互いに出し合うが、アイディアの具体化はそれぞれの領域を得意とするデザイナーが行えばいい。アイディアと具体化を区別することはミウッチャとラフに限った話ではなく、コンビもしくは複数人でデザインする際のポイントにもなるだろう。

たとえば平面的なアイディアはミウッチャとラフが各々出し合い、その具体化はミウッチャが行う。立体的なアイディアも二人で出し合い、その具体化を今度はラフが行う。このようにアイディアは二人で出し合いながらも具体化は得意領域を持つデザイナーが行うことで、コレクションにより特徴が際立つダイナミックなデザインが生まれるのではないか。

今回のデビューコレクションはメディアでは概ね好評に受け取られているようだ。僕自身も、コレクション自体にはポジティブな印象を覚えた。だが、これまで述べたようにミウッチャとラフの特徴がより生かされる形でコレクションがデザインされていたなら、今回よりもダイナミックでインパクトの強いコレクションが生まれていた可能性がある。

今回のプラダの文脈であれば、僕は吉原秀明と大出由紀子による「ハイク(Hyke)」が上位互換モデルに感じられてくる。ハイクのデビューコレクションはベーシック&シンプルでナチュラルテイストのウェアをモード化するコレクション披露していたが(無印良品のモード化とも言い換えられ、僕は今でもこのコレクションが好きだ)、「アディダス(Adidas)」や「ザ・ノース・フェイス(The North Face)」とのコラボを経て、シンプル&スポーティなシルエットに優雅さを加えるデザインが具体化できる領域にまで到達し、それだけではなく服のカッティングに大胆さが取り込まれ、見慣れていたはずのベーシックアイテムがこれまでと違うアイテムに感じられてくる抽象性の表現も現実化し、それは違和感の創出につながっている。

2020AWコレクションではアディダスのブランドロゴを用いたプリントアイテムを発表しているが、基本的にハイクはグラフィック面のアプローチが皆無に近い。しかし、それを差し引いても違和感を取り入れたエレガントなシンプル&スポーティという文脈において、ハイレベルのコレクションを現在のハイクは披露している。

今後、発表を重ねることでミウッチャとラフのデザイン手法が洗練されていくことも予想される。そうなった時、コレクションにどのような変化が現れるか。僕はそれを見ることが楽しみである。稀代の天才デザイナーが、共同でコレクションを継続的に制作するという前代未聞の挑戦は今始まった。

〈了〉

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