山本耀司が見せるミニマルウェア

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AFFECTUS No.227

久しぶりに「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」について語りたくなる。そう思ったのも、パリで開催された最新2021SSコレクションに心動かされるものがあったからだ。コロナ禍に覆われる現在、パリコレクションに参加する日本ブランドの中で、唯一現地でショーを開催した山本耀司。先ほど、今シーズンのコレクションに心動かされたと述べたが、発表されたルックたちを見てすぐに感動したわけではなく、当初僕が感じたのはむしろその逆で、物足りなさだった。

では、なぜ物足りなさを感じたにもかかわらず、僕はヨウジヤマモトについて語りたくなったのか。それは、ヨウジヤマモトの最新コレクションにこれからの時代に向けたファッションの解答が感じられたがゆえの衝動である。

今回のコレクション、近年のヨウジヤマモトにしては珍しくグラフィカルな要素がボリュームダウンしていた。2020SSと2020AWコレクションに登場した、衣服の上で絵画を描いたような抽象的かつ怪しげな色彩のタッチは見られず、デザインのほとんどを得意のカッティングに絞って表現した、まるで過去のヨウジヤマモトを山本耀司自ら今の視点と解釈でデザインしたかのようであった。

布をつまみ、流し、結ぶ。服には山本耀司の才があらゆるところに盛り込まれている。久しぶりにグラフィックではなくカッティングが前面に出たデザインに、僕は懐かしさを覚える。しかし、その懐かしさが僕に物足りなさを実感させていた。

山本耀司のテクニックが詰め込まれたルックのシルエットはスレンダーでスマート、あくまで布の膨らみによって個性を打ち出すデザインだ。終盤に大胆なフォルムのドレスも登場するが、そのどれもが過去のコレクションに重なる懐かしさをやはり実感する。懐かしさを覚える体験の連続はコレクションから強烈なエネルギーを失わせ、大人しいものにしていると僕は感じた。

だから、僕は今回のヨウジヤマモトに物足りなさを感じてしまう。しかし、繰り返しルックを見ていると心境の変化が起こっていく。大人しいと感じたはずの控えめなデザイン、物足りないと感じたこの感覚が、次第にポジティブなものへと転換していったのだ。

2021SSコレクションに強烈なインパクトや、ファッションコンテクストを更新する斬新さを感じることは難しい。しかし、新しさはなくともこのコレクションは美しい。グラフィカルな装飾性が控えられ、スレンダーかつスマートなシルエットによって仕立てられた黒い服は、ミニマリズムを山本耀司ならではの解釈でデザインした服に感じられ、僕は抑制された美しさをこのコレクションから見出す。強烈で鮮烈なインパクトはない。だが、この服を着用して街を歩けば、女性は確かな存在感を発揮する。彼女の周囲だけに立ち上がる凛とした空気。きっとその空気は美しく清らかに違いない。

僕は発表されたルックを眺めていくことで、山本耀司はファッションデザインの文脈上における服の価値よりも、人々が暮らす街中における服の価値を重要視しているように思えてきた。今、デザイナーたちが最も目を向けるべきは困難な現実を生きる街中の人々。街で人々が着るからこそ輝く、ファッションデザインにとっての原理原則に立ち返った服こそが今必要だ。その服のために自らが持つ技量と情熱を注ぎ込む。その行為の果てに生み出される服こそが今のファッションデザイナーに求められるデザインであり、これからの時代に向けた新時代の新しいファッションではないか。

新しさはなくとも、美しさで人の心は揺さぶられる。ファッションにはそんな価値があったことを僕は思い出す。山本耀司が見せたミニマルウェアは、未来に向けた黒い服だった。モードは街で生きる人々のためにある。

〈了〉

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