AFFECTUS No.229
東京からパリへと発表の場を移していた「ファセッタズム(Facetasm)」が5年ぶりに東京でショーを開催した。2021SSコレクション発表の舞台となったのは、打放しのコンクリートと剥き出しになった配管がインダストリアルな空気を演出し、各所に配置されたライトの白い光が人工的な眩しさで空間を照らす広大な倉庫だった。
しかし、ショーが始まるや否や、無機質で工業的な倉庫とは不釣り合いなファッションが姿を現す。ショー序盤、目を惹いたのはトラックスーツ。上下ジャージのセットアップ=トラックスーツを、ファセッタズムは複雑さと破綻を武器に料理していく。
登場したモデルは、グリーンのジャージがレオタードに仕立て直されたかのようなアイテムを着用し、、両脚にはボタニカルな柄のタイツを履いて細いボーダーのハイソックスを合わせ、コードがブルー・オレンジ・イエロー・レッドとカラフルなロザリロを何重にも重ねて首に掛ける姿は民族的イメージを浮かび上がらせる。プリーツが施されたヌーディカラーの素材と合わされたグリーンのトラックスーツは、素材の艶めかしい色だけを見ればエレガンスと呼ぶべきところを、ジャージと組み合わさっている為にエレガンスと表することに抵抗を覚え、どう表現して良いのかという困惑に襲われる。
グリーン、ネイビー、ブラックの生地を使い、白いラインがサイドに走るジャージはアスリートが着るそれとは異なり、タバコを燻らせるヤンキーたちが着るにふさわしいストリートが立ち込めていた。
ファセッタズムは、トラックスーツだけにとどまらずトレンチコート、テーラードジャケット、デニム、ライダース、チェックシャツといった普遍のベーシックアイテムを、フェザーやプリーツ、透け感のある素材で作られたフレアシルエットという、通常ならベーシックアイテムには無縁のディテールやシルエットと一体化させ、服の歴史を彩るベーシックアイテムをまったく別の表情に組み上げていた。それはエレガンスとも称せない、かといってアヴァンギャルドと呼ぶこともできない、もっと別の何かだった。
デザインされたアイテムの外観だけを見れば、アヴァンギャルドと呼ぶのがふさわしいのだろう。しかし、僕はファセッタズムからアヴァンギャルドデザインと同じ感覚が感じられない。ファセッタズムから感じられるこの感覚、これを正確に言い表すならば、それは「東京」だ。
東京という街はスクラップ&ビルドが繰り返される街である。必ずどこかで新建築物の工事が行われ、時間を重ねて歴史が培われた建物であっても解体され、新しい建物が建造されることが珍しくない。そうやって出来上がった東京の風景には、京都やヨーロッパの街並みに比べて美しい調和が見られない。
そんな東京を代表する街の一つが渋谷だ。現在、渋谷は100年に一度と言われる超規模の再開発がJR渋谷駅周辺で進行している。実際に僕が訪れ、圧巻の工事風景を感じたのは桜丘口の再開発だった。再開発以前、桜丘口には長い時間の経過を経て雰囲気を帯びた建物が建ち並び、その中に新旧のお店が営業され、渋谷の中でも駅から極めて近距離ながら喧騒から離れた穏やかな空気が漂っている場所だった。とりわけ僕が好きだったのは線路沿いに並ぶお店たちの佇まいで、すぐそばを電車が走り去っていく中、非常に穏やかな時間がそこだけには流れていた。
しかし、そんな風景も今では想像を超える広範囲に及ぶ超規模の大開発によって、すべてがなくなった。再開発の末に建てられるのは、高さ100mを大きく超える超高層ビルである。高層ビルが建ち並ぶ風景は渋谷ではなくても見られ、以前の桜丘口の風景はあの場所でしか見られなかったことを思うと、残念な思いに駆られるのも事実だ。
渋谷を代表するように歴史が断絶される東京のスクラップ&ビルドは、ネガティブに感じられてしまう。だが、一方で歴史を途切れさせてでも新しい建築を建て、人々を吸引する圧倒的パワーを生み出すのも東京の魅力だろう。次へ次へ、新しさへ向かっていく。それは常に新時代の新しさを追い求めるモードの姿勢に通じ、アンバランスな風景が進行していく東京の姿は、ファセッタズムが今コレクションで披露したデザインにも共鳴する。
ファセッタズムは東京そのものをファッションによって表現する。確かに均整の取れた街並みは美しく、人々を安心させる。だが、不均衡で不調和な街並みであっても、新しさを生み出すエネルギーは美しさとは違う観点で人々を惹きつけていく。人の心を揺さぶるものに、必ずしも美しさは必要ではない。美しさに陶酔する感覚とは異なる魅惑的な感覚が、世界にはあるのだ。
ファセッタズムのデザイナー、落合宏理は東京という街に眠る価値を掘り出し、美を再定義する。不均衡と破綻を武器にファッションを携え、混濁と混沌と共に東京モードを世界へ発信する。
〈了〉