AFFECTUS No.230
ファッションに多くの人々が求めるものは、きっと夢や希望を抱かせる高揚感にあふれた美しさだろう。あの服を着てみたい。その想像が胸を高鳴らせ、最新コレクションを着用して鏡に映った自身の姿が、服を着るわずか数十秒前の自分とは何かが新しく違って見えた瞬間、ファッションは最も刺激的で魅力的な「もの」になる。そういったファッションには美しさが宿っている。陶酔したくなる美しさが宿るファッションに、多くの人々は心が揺さぶられてきた。
しかし、一人の天才デザイナーは世界の常識を裏切る。ファッションのイメージに美しさを抱かせない。美しさの代わりに天才が選んだのは狂気と怪気であり、迫るのは恐怖と陰暗な世界だった。デザイナーは自らディレクションを手掛けた映像で、ファッションに抱く人々の希望を裏切るイメージを発信する。
「ラフ・シモンズ(Raf Simons)」2021SSコレクションの怪しい物語が幕を開けた。
一面が紫色に染まる壁に枯れた樹々、床には落ち葉のようにも見えるし、イエローに彩られた花の蕾のようにも見える小さな造形物が無数に敷き詰められ、閉鎖的で密閉された空間にはホラー映画を目の当たりにしたようなムードが立ち込めていた。映像が始まるや否や、壁に開けられた穴にカメラの焦点が合う。穴からは男性モデルが現れ、地面に掌をつけたあと立ち上がると、ゆったりと周辺を見渡し歩みを進める。
カメラがもう一方の穴から出てきた男性モデルが彷徨う姿を捉えるが、画面は切り替わり、今度は女性モデルが紫の壁に開けられた穴から這い出すように現れ、彼女はすぐに立ち上がることなく両手両膝を地につけて這っていったのちに、ゆったりと立ち上がる。その姿は映画『リング』の貞子を思わす不気味さと怪しさが迫ってきた。
コレクションに抱くはずの美しさを感じさせることなく、低音が鳴り響くBGMが怪しさを増長させながら映像は時間を進めていく。
映し出される男女のモデルたちは怠惰で気怠そうな様子を見せているが、その表情には力強い眼差しが現れていた。生気がありながらも、生き生きと生きることを避ける若い男女。若者のこんな生き方を肯定する人はきっと少ないだろう。しかし、ラフ・シモンズはそんな生き方を肯定する映像を制作した。
このコレクション、ラフ・シモンズ初のウィメンズラインがメンズラインと共に発表されている。ラフはウィメンズラインだからといってフェミニニティを殊更に強調することなく、メンズとウィメンズのデザインに差異を設けずフラットにデザインした。これまで発表してきたメンズラインの、今回発表したコレクションの、デザインと世界観をそのままにウィメンズウェアへ反映させ、女性のために作られた服ではあったが、そこに特別女性のジェンダーを感じるようなデザインはなかった。女性も男性も関係なく、今伝えるイメージのためにファッションをデザインしていく。そんなラフの創作姿勢が現れたコレクションである。
オーバーサイズのニットにスレンダーなロングスカートをスタイリングしたルックは、パンツとスカートというボトムの違いはあれど、過去にラフが発表してきたオーバーサイズニット&スリムパンツのメンズルックが持つ特徴が失われることなくウィメンズウェアへとスライドし、メンズラインで象徴的に使われてアーカイブ市場で価値が上昇しているグラフィックを大量を用いたアイテムもウィメンズラインに登場し、ラフのフラットなデザイン姿勢は鮮明になっていく。
今回の映像にはタイトルが名付けられている。それは映像冒頭に映し出されていた。黒が支配する画面に浮かび上がる紫の文字。そこにはこう綴られていた。
“TEENAGE DREAMS”
言葉の響きからは、淡く美しく繊細な世界を想像させる。しかし、ここまで語ってきた通り、ラフはそんな甘美な世界とは無縁な、まったく異なる世界を僕たちに見せた。
ファッションのイメージを裏切り、若者たちのイメージを裏切り、言葉のイメージを裏切る。裏切りの果てに完成したのは幸福なムードとは程遠い暗く怪しく陰鬱な世界。しかも、今はCOVID-19によって世界は未来が覚束ない現実を生きている。そんな時代ならファッションがこれまで果たしてきた役割は、希望や光を感じさせるビジョンを提示することだった。だが、ラフは違う。さらなる暗さを引き込むホラー世界の提示である。
しかしながら、僕はラフが見せたホラー交わる世界へ無性に惹き込まれてしまった。美しさを覚えるファッションとは違う感覚で心が揺れたのだ。確かに現代の状況を考えれば、沈み込む気持ちを明るく灯す未来へのファッションが提案されてもいい。だが、一方で人間は必ずしも明るいビジョンにだけ心が揺れるわけではない。例えば夏目漱石や太宰治といった文豪たちの文学作品は、人間が心に抱える暗い内面世界を言葉として炙り出し、その言葉が人々の心へ深く強く届き、名作として今に残っている。
ラフ・シモンズは人間の深淵を露わにした。暗い世界にも人は感動することを証明する。生き生きと生きることを避ける若者の姿に、感情が高鳴る人々がいるかもしれない。暗くとも怪しくとも、そこにはこれまでとは異なる美しさが宿っている可能性がある。いったい美しさとは何か。世界の捉え方、解釈を問い直すコレクションだったからこそ、僕はきっと心が揺れてしまったのだ。背徳にも似たこの感情、どうすればいいのか。受け入れるしかない。これこそが人間の持つ一面なのだから。暗くとも怪しくともいいではないか。ファッションが華やかで明るくなければいけないルールなど存在しない。
〈了〉