女性の服のイメージを裏切るゴシェール

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AFFECTUS No.232

人がファッションに心揺さぶられる瞬間はいくつもあるだろう。どんな瞬間に揺さぶられるか、それは各々によって違ってくると思うが、僕がファッションに魅了される瞬間はどんな時かと振り返ってみると、それは僕がファッションに対し抱いていたイメージを裏切られた時が多いように思う。

ファッションは常に次の時代の新しさを探求する先端性がある一方で、「こうであるべき」「らしさ」といった枠も重視される側面がある。伝統や歴史が大切にされるとも言えるし、言い方を変えれば保守的とも呼べる。たとえば、男性に強さ、女性に華やかさを求める傾向がファッションにはあるが、今やそういったステレオタイプな考え方は前時代のものとなった。強さや華やかさは性別で括るものではなく、人間個人によって判断すべきものになり、強さを内包した女性や、華やかで繊細な男性がいてもいいはずだ。

そしてそういう既存のイメージを崩していき、世の中の人々に新たなる人間像を提案し、次の時代の生活様式にまで影響を及ぼすことがファッションデザイナーの仕事とも言える。かつてココ・シャネル(Coco Chanel)が成し遂げたように(だからこそシャネルは偉大なデザイナーなのだ)。

イメージを裏切られる瞬間は、ファッションにおいてとても心地よく刺激的で、それはさながらエンターテイメントと称するにふさわしい時の訪れだ。2021SSシーズン、僕はそんな心地よく刺激的なコレクションかつブランドに遭遇した。ブランドの名を「ゴシェール(Gauchere)」と言う。ドイツ出身の女性デザイナー、マリー・クリスティーヌ・スタッツ(Marie-Christine Statz)が2013年に設立したブランドである。しかし、ここでデザイナーについて語ることは控えよう。コレクションこそがデザイナーという人間を最も物語るものなのだから。

僕がゴシェールの2021SSコレクションを見るなり惹かれたのは、自分の抱いていたステレオタイプの女性像を裏切られたからだった。ウィメンズウェアに僕が抱いているイメージとは、先ほどの言葉と同様に華やかさや繊細さであったり、かわいさや美しさ、いわゆるフェミニンとエレガンスが感じられるファッションだった。

だが、ゴシェールは違う。メンズウェアとして仕立てられたテーラードジャケットやワークウェアを、オーバーサイズで女性モデルが着用したような姿は従来のウィメンズウェアに抱いていた僕のイメージを断ち切り、フェミニンとエレガンスの変わりに無骨な逞しさと潔さを引き出したデザインであった。

コレクションの中にはドレープやレースを使用したトップスやドレスも多数発表されていたが、そういった従来のウィメンズウェアが持っていたイメージを踏襲したアイテムよりも、僕はメンズウェアとしての香りが、しかもクラシックといった洗練の香りではなく、泥臭さや野暮ったさが香ってくるメンズウェアに女性が袖を通すイメージが感じられたジャケットやパンツの方がより魅力に溢れ、脳内に浮かんだそのイメージに僕は魅了されてしまった。

しかも、無骨さや泥臭さが香ってきたのはあくまでシルエットのみで、ブラックとグレーを軸にテラコッタがアクセントカラーとして用いられて絞られた色数、グラフィックや複雑なディテールが見受けられないフラットな表面の服にはミニマルウェアのイメージも先立ってきて、先ほど僕が抱いた無骨さと泥臭さとは反するイメージが並列する意外性が感じられ、イメージの裏切りが二重三重に起こる体験に僕は心地よさと面白さを覚える。

オーバーサイズのワークウェアやテーラードといったメンズウェアを女性が着用した時のカッコよさ。無骨で泥臭く、女性のボディラインを強調しないウィメンズウェア。そんなゴシェールのコレクションに僕は確実に惹かれる。

ブランド設立は2013年と真新しいブランドではないが、Vogue Runwayにはコレクションが掲載されておらず、日本ではコレクションのルックや短いレポートを掲載するメディアはあれど、現時点でゴシェールについてフォーカスする記事は見受けられなかった。そればかりか、ゴシェールのブランドサイトを確認すると、2020年11月現在において日本のセレクトショップでは取り扱いがないようだった。実に残念だ。フェミニンとエレガンスをカットしたカッコいいウィメンズウェアを、僕はこの目でゴシェールをぜひとも見てみたかった。

ゴシェールが僕に体験させてくれたイメージの裏切りは、裏切りというネガティブなニュアンスを持つ言葉とは裏腹に、その体験は心地いいものであった。ああ、こんな体験なら何度でもどこでも繰り返したいと僕は思う。

〈了〉

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