ヘルムート・ラングとマシュー・ウィリアムズ

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AFFECTUS No.235

ファッション業界を驚かせた発表からおよそ4ヵ月。10月4日、マシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)による新生「ジバンシィ(Givenchy)」の全貌がいよいよ明らかになった。しかし、僕がこのテキストを書き始めたのは、デビューコレクションの発表からすでに2ヵ月近くが経過した12月2日だ。もっと早く書こうと思っていたのだが、ずっと書けずにいた。

発表当初、デビューコレクションを見た時はすぐさまにテンションがアップするほど、マシューのジバンシィに僕は満足感を覚えた。洗練のシルエットに近未来のプロテクターとテーラードが混合したイメージを抱かせるデザインは、マシューがシグネチャーブランドで披露してきたSF的世界観が感じられ、コレクションの中で幾度となく登場する爬虫類系素材がソフィスティケートされたスタイルに毒を盛り、ファッションをエレガンスの枠には収めようとしないマシューの姿勢は新感覚のエレガンスを立ち上げていた。

しかし、気分を高鳴らせたはずのマシューのジバンシィについて書こうとすると、僕は手が止まってしまう。それは時間が経てば経つほど書く意欲を減退させていき、もう書くのは止めようかとすら思っていた。

だが、僕の中に書く意欲が芽生える。理由はジバンシィで披露されたマシューのデザインから、あるデザイナーの名前を思い浮かべる体験に襲われたからだった。

そのデザイナーの名はヘルムート・ラング(Helmut Lang)。

僕が今回のジバンシィで披露されたマシューのデザインからラングの存在を感じ取ったアイテムは、おびただしい数のスラッシュが入ったパンツだった。スラッシュはラングのデザインに登場するモチーフだ。しかし、いくらスラッシュがディテールに多く使われようと、スラッシュだけなら僕はマシューの中にラングを感じなかっただろう。あるもう一つの要素とスラッシュが組み合わされていたからこそ、僕はマシューの中にラングを発見することができた。

そのもう一つの要素とはシルエットである。ラングの代名詞であったスマートなシルエット、それがマシューのデザインにも見られたからこそ、僕はラングの記憶が呼び起こされたのだ。スマートなシルエットとスラッシュ、どちらか一つだけでは僕がマシューの中にラングを見出すことはなかっただろう。二つが重なり合っていたからこそ、僕はラングの記憶を呼び起こすことができた。

そしてその記憶は、マシューのジバンシィとラングの類似点をさらに気づかせていく。

先ほど述べた通り、僕はマシューのデザインからは二つの特徴、SMテイストとSF的世界観を特徴として捉えていた。艶かしい黒い素材とランジェリーライクなディテールとフィットするシルエットは僕にSMのイメージを起こさせ、そしてそれはラングのコレクションから僕が幾度も感じてきたイメージでもあった。SF的世界観もそうだ。ラングのコレクションにはフューチャリスティックな空気が匂い、未来へと颯爽していくクールなモダンウェアという表現がふさわしい。

今回のジバンシィからもSF的世界観を感じたのは確かだったが、しかし、ラングとマシューではSF的世界観のタイプが異なる。ラングが宇宙飛行士が旅立つようなイメージ、宇宙空間に生きる人間というイメージを僕はラングのコレクションから感じることが多かったが、マシューのジバンシィが見せたSF的世界観はエイリアンと対峙する人間たちという、危機と不気味さを覚えるSF的世界観であった。

もう一つ、ラングとマシューの共通点をあげるとすればイレギュラーな要素を洗練と聡明のシルエットに挟み込む手法も当てはまるだろう。両デザイナーとも基本的にシルエットはスマートであり、洗練されたキレと香りが漂う。だが、せっかく完成させたクールなエレガンスを持つシルエットをあえて崩すように、ノイズを走らせる造形やディテール、カラーを挟み込む点がラングにもマシューにも見られる。

ジバンシィでマシューが見せたノイジーな要素は、テーラードジャケットに現れている。通常のジャケットの袖に筒状の袖をレイヤードしたようなディテールがデザインされ、不可思議な長方形の布の造形はジャケットそのもののシルエットをスクウェアに見せ、果たしてこのジャケットを着る人が世の中にどれだけいるだろうかとその市場性に疑問を抱くのだが、しかし着る人間がいようがいまいが、極論そんなことは関係なく、ジバンシィのジャケットには僕の目と意識を惹きつける確かなパワーがあった。

ラングも今回マシューが見せたジャケットの袖のように、完成された美しさをあえて壊す要素をスマートなシルエットに挟み込むことで違和感を立ち上げ、そうやって生み出された違和感は嫌悪感を抱かせるのではなく、数年先、十数年先、数十年先の未来の服という未だ見ぬ形を見る感覚を覚えさせていた。ミニマムなモダンウェアに潜む狂気。それこそが僕が抱くヘルムート・ラングというデザイナーのイメージである。ラングは決してミニマリストなんかではなく、アヴァンギャルドな感性を持つ人間がミニマムな服をデザインしたというブランドが“Helmut Lang”なのだ。

もう2度とファッション界へ戻ることはないであろうラング。マシューがジバンシィで見せたデビューコレクションは、アヴァンギャルドな感性を持ってミニマムデザインを展開するデザイナーが、パリ伝説のブランドをディレクションするという想像を僕に産み落とし、見ることのないはずの現実が見られたことになる。

もちろん、マシューとラングのデザインには異なる点はあり、マシューはラングよりも毒の要素が強く、ラングよりも服に妖気が漂う。二人を同様の類型にカテゴライズすることに疑問を抱く人も多いだろう。しかし、僕にとってはマシューとラングには共通するものが確かに感じられたのだ。

マシュー・ウィリアムズがジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに就任したことは、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)やヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)といった他のストリートの匂い際立つデザイナーたちが同様にパリのラグジュアリーブランドへディレクター就任したときとは異なる感覚が僕の中で渦巻く。洗練と毒を持つマシュー・ウィリアムズ。彼はパリの歴史を作ってきたといっても過言ではない伝統のブランドで、どんな美しい毒を見せてくれるだろうか。毒の虜になった僕は、マシューとジバンシィの新しい毒を早く感じたくてしょうがない。次のシーズンが待ち遠しい。毒は時には甘美にもなり得るのだ。

〈了〉

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