AFFECTUS No.236
モードファッションは、服をデザインするというよりもイメージをデザインすると言った方が適している。服を通し、スタイルを通し、どんなイメージを発信するのか、それがモードファッションにおいてはとりわけ重要になっている。
コレクションブランドが発信するビジュアルやショーから、どんなイメージが感じられるか。2000年代に世界を席巻したエディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール・オム(Dior Homme)」は、わかりやすい例だった。エディ・スリマン=ロックというイメージが徹底して確立され、エディの例が示すようにかつては1ブランド=1イメージというタイプが多かった。
しかし、近年その構造に変化が現れ始めている。
今年10月4日、発表を待望していたマシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)による「ジバンシィ(Givenchy)」のファーストシーズン、2021SSコレクションが公開された。このコレクションを詳細に見ていくと、僕は3つのイメージが入れ替わり立ち替わり感じられてきた。
一つはSF的世界観。近未来なイメージが感じられ、かつそのイメージはまるでエイリアンと対峙する人間たちのような怪しさとダークな空気が迫ってくる。二つ目のイメージはSMテイストである。艶やかな黒い素材を用いたフィットしたシルエットのトップスや、スラッシュが無数に入ったパンツなど、コレクションからはSMテイストのイメージが感じられる。これら二つのイメージを、スマートなシルエットのテーラードをベースに表現されているため、最終的には三つ目のイメージとして洗練されたアーバンスタイルのイメージが立ち上がってきた。
このように、一つのイメージを強烈に打ち出すデザインではなく、複数のイメージが混じり合いながらコレクションが構成されているデザインが、僕の中で近年目にすることが増えてきた。その数はまだ少ないかもしれないが、無視するには印象の強い傾向なのである。
このイメージの重層化は、パリコレクションに参加する日本ブランドからも感じられていた。阿部千登勢による「サカイ(Sacai)」である。サカイといえば僕の中では、これまで何度も述べている通りパターンと素材が非常に複雑かつ技巧的であり、発表されたルックからはプロダクトとしての重層化と複雑化が常に感じられていた。
しかし、この傾向に変化が現れ始める。それを初めて感じたのは2020AWメンズコレクションである。いつも通りコレクションからは複雑かつ重層的な技巧が感じられていたのだが、このコレクションで表現されていた男性像にサカイ得意の重層性と複雑化がスライドしていた。
安定と平和を求めず、リスキーな世界を好む男性。そんな男性のイメージに、ストリートやヒップホップ、シックな装いにスポーツテイストも加わり、技巧だけでなく男性像もサカイは複雑かつ重層的に見せてきた。このシーズン、デザイナーの阿部はどこからインスピレーションを得てデザインを行ったのか、コレクション制作時に何を考え、何を感じていたのか、ぜひとも知りたいと思うほどに僕はサカイのの2020AWメンズコレクションに興味が惹かれた。
現在、世界のファッション界をリードするアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)も、イメージが重層化している。彼がディレクションする「グッチ(Gucci)」は「好きな服がたくさんあるなら、それを全て着てしまえ」と言わんばかりに、一つのルックの中に様々なファッションスタイルのアイテムが1970年代的ムードをベースに混在している。一見するとカテゴリーの異なるファッションが混在し、バランスの悪さが感じられるのだが、しかし逆にその混在する様子が伝統のエレガンスとは異なるエネルギーを発して、それが魅力に感じられてくるのだ。
調和された状態が美しさを生み出す伝統のエレガンスとは真逆のベクトルで、調和させず混在して整わない状態こそが美しいのだ。僕はイメージが重層化するコレクションから、そのようなメッセージを感じてしまう。
一人の人間が持つ様々な側面が一つのルックの中に表現されているようで、それはSNSを複数使いこなし、アカウントを使い分ける現代の人々そのものに思えてきた。人間を一つの形容で語ることはできない。人間とは時には矛盾していると思える側面を持つ、元々そういう存在だったはずである。しかし、これまでの世界は人間を一つのイメージには当てはめようとする傾向が強かったように思う。
例えばそれは性別に言えた。男性=強さ、女性=可愛さ、といった定型的な形容がファッションでは当たり前だった。しかし、女性にも強さという魅力があるだろうし、男性にも可愛さという魅力があってもおかしくない、いやそう考えるのが今という時代ではないだろうか。
そういった社会の変化に合わせて、モードファッションにも変化が現れ始めたように思う。服とは時代を着ることである。ファッションは時代との関係性が強い。特に新時代の新しいファッションを模索するモードは、その傾向がより強い。
これからのファッションデザイナーは、自身を一つのイメージに縛る必要はない。自分の中に矛盾するイメージを複数感じるならば、その中の一つに絞るのではなく、それらのイメージを全て出し尽くしてファッションに投影さればいい。その結果、バランスの悪さが感じられ、違和感を覚えるかもしれない。しかし、今はその違和感こそが魅力的で美しい時代なのだ。
矛盾を肯定する。今、そんなファッションに僕は惹かれてしまう。
〈了〉