AFFECTUS No.242
昔を懐かしむ。その言葉の響きはネガティブであり、ポジティブでもある。現実から目を逸らす意味で使うならネガティブになるだろうが、忙しさの合間に安らぎと穏やかさを求める意味で使うならポジティブに作用するだろう。
常に次のスタイルを模索するファッションにおいて、逆行するように懐かしさと自然への郷愁を思い出させるブランドが存在する。写真や映像に登場するそのブランドの服を見ていると、僕はこんなイメージが浮かんできた。
「土や木の表面から服の形が浮かび上がり、そこから取り出された衣服」
自然との共生が図られた日々から生まれた服を想像させるブランドの名は、「ボーガン(Beaugan)」。英語で「美しい」を意味する“beautiful”と、オーストラリアのスラングで「無骨な人間」を意味する“bogan”を組み合わせた造語が、ブランドの名となっている。
世界中が新型コロナウイルスの脅威に晒されている今、未来への不安が膨らんでしまうことは珍しくない。そんな時に自身の気持ちを奮い立たせ、困難を乗り越えていく力にする術もあるだろうが、それがいつもできる人間はそう多くない。少なくとも、僕はそんなにタフな人間ではない。
安心や平穏、心に穏やかで暖かさを覚えることが明日への力となる人もきっといるだろうし、僕はそういうタイプの人間だ。ボーガンの服を見ていると、着用者の心を一気に高める服というよりも、深く静かに服の魅力を浸透させていき、その感覚が心地よく感じられそうな服である。だからこそ、僕はこのブランドについて書いてみたくなったのかもしれない。
ボーガンはシンプルだ。強烈に個性的な造形が作られているわけではない。誰もが見たことのあるベーシックな造形がコレクションの核を成している。天然染料を用いた染色が布に施された普遍的な形は、経年変化によって美しくなった服の姿が作られている。新しいけれど、新しさから距離を置いた服と形容したくなる。ビジュアルはアジア人モデルを起用することが多く、日本の古い家屋を背景に撮影したものもあり、畳の上に座るボーガンを着た女性の姿からは昭和に作られた簡素な服が現代に蘇ったような印象も僕は受けた。
ファッションに刺激を求めたくなる一方で、自分の暮らしへ自然に溶け込む穏やかさも望みたくなる。シャープに時代を切り取ってデザインする服だけに宿るアグレッシブな創造性も楽しいが、日常の生活をより快適に心地よくしようと挑戦する服に宿る創造性も悪くない。いや、今ならむしろその方がいいとさえ僕の感覚は言う。
ひび割れた地表を思わす素材のテクスチャーは、自然が持つゆったりとした時の流れに身を任せたくなる気持ちへいざなっていく。シャツ、パンツ、ジャケットが現代の速い時の流れを押し留めるようだ。ボーガンの素材は、次から次へと新しさを追い求めるファッションの進みを、ゆったりと遅くさせる力が備わっているようにすら思えてくる。現代都市の生活から距離を置いた場所に暮らすことで発想される服が世の中にはあり、ボーガンはその系統に属する。
ゆったりと、時間の流れを慈しむように生活をする。スマホを手から離せない現代人には難しい生活かもしれない。以前ならなんとなしに過ごせた信号を待つ時間も、今の僕は耐え難いものになってしまった。自分の時間を止められることに抵抗を覚え、スマホで情報を探索し、苛立つ時間を少しでも心地よいものにしようとする。しかし、果たしてその行為は本当に心地よいものなのだろうか。信号を待つという、たったそれだけの時間がこんなにも嫌に感じるようになるとは。なぜ、昔の僕は今よりもずっと穏やかに信号を待つことができたのだろう。
もし、時代の発展が生み出した利便性から距離を置きたくなったなら、その時はボーガンに袖を通すべきなのかもしれない。時間を遡るように、その服は心に穏やかな平穏をもたらしてくれそうな予感がする。
〈了〉