AFFECTUS No.247
ファッションは時代と国境を超えて一つになったスタイルが見られる瞬間がある。まさにそんな体験をもたらしてくれたブランドを、僕は2021AWミラノ・メンズファッションウィークで発見する。ルカ・マリアーノ(Luca Magliano)による「マリアーノ(Magliano)」は、僕に思いもしない想像を掻き立てた。
今日、ここでマリアーノの2021AWコレクションについて僕が語ることは、独特の視点になる可能性がある。しかし、ファッションから人が何を感じるか、何を想像するかは完璧に自由だ。誰に束縛されるわけでもなく、指示されるものでもない。何を感じるかなんてことに誰も制限をかけることは不可能。コレクションから浮かび上がった想像がすべて。そのすべてを語ることがファッションを読む面白さに繋がっていく。
だから、ここでもその姿勢を実践しようと思う。
僕は今シーズンのマリアーノから、ある風景が思い浮かべる。舞台は1980年代の日本。バブルと言われた世の中が狂乱に満ちた時代で、僕が子供として過ごした時代でもある。大きく広い肩幅のジャケットに、太腿が大きく膨らみ、裾に向かって絞られていくテーパードの強いタックパンツ、開襟シャツやミラーボールのような眩しさを訴える色使い。僕が子供のころ目にした日本のファッションは、今見るとすべてが享楽的で快楽的に感じられる。
2021AWシーズンのマリアーノから僕はそんな1980年代の日本、いわゆる昭和ファッションの匂いを感じ取る。より厳密な表現をすればこうだろう。1980年代、まだ日本が昭和と呼ばれた時代に着用されたイタリアファッション。そういった時代と国境を超えたファッションが、2021年の今、僕がマリアーノから得た想像だった。
1stルックに登場する黒髪角刈りのアジア系男性モデルは、ツイード調とも言える素材のセットアップを着用し、やや顔を傾けて煙草を吸う姿を見せている。モデルの佇まいが見せるイメージに僕は「昭和のヤクザ」というフレーズが浮かぶ。
1stルックの特異な点はスタイリングにある。ジャケットの裾をパンツにインしているのだ。もしかしたらジャンプスーツなのもしれないが、僕にはジャケットをパンツにインするという歪なスタイルに見える。スタイルから感じられるダサさ、これこそ僕がイメージする1980年代の昭和だった。僕はそのスタイルを好んではないが、否定はしない。それはなぜか?
パワーがあるからだ。今シーズンのマリアーノには明らかに僕の心を惹きつけるパワーがある。外観のデザインが自分の趣向と違っていても、パワーあふれるファッションに僕は惹きつけられてしまう。マリアーノにはそのパワーが確かにあった。
バブル時代の日本で着られたイタリアファッション。それこそが僕の捉えた2021AWシーズンのマリアーノだ。しかし、ルックを次々に観察していくと、次第にクラシックファッションの匂いも感じられてくるから不思議だ。ロンドンのファッションがもたらす香りとでも呼べばいいか。テーラードジャケットに用いられた素材が渋い美しさを表す。
マリアーノの最新コレクションを纏う男たちに、僕は自分がこれまでクールだと思ってきた感覚とは別の美しさを知る。挑発的で癖が強く、あまりに強い癖が教えてくれた感覚はこうだ。ファッションとは人から好意的に見られるために着る側面がある。おそらく多くの男性にとってはそうではないだろうか。ファッションに特別興味があるわけではないが、まったく興味がないわけではない。
しかし、世の中には人からどう見られるかよりも、自分の感情を優先してファッションを着用する男たちがいる。
「俺たちはこれが着たいんだ。どう思われるかなんて知るか。着たい服を着るんだ」
そういう泥臭く熱い男たちの匂いが、マリアーノのスタイルからは拡散されている。
先ほど、僕は2021AWシーズンのマリアーノを「バブル時代の日本で着られたイタリアファッション」と表現した。ここにきて、その表現は違うように感じられてきた。どの時代にもどの国にも繋がりを持たない、現在と過去にはない時空間の捻じ曲がった場所で着られたメンズウェア。そう述べたいパワーが、マリアーノから僕へ迫ってくる。
マリアーノが飛び越えたのは時代と国境ではなく、時間と空間。想像もしなかった場所に、僕一人で到底辿り着くことができなかった場所に、ルカ・マリアーノは導いてくれた。しばらくの間、僕はこの心地よさに浸っていたい。美しさを感じなかったはずのファッションが、今僕を夢見心地にする。
〈了〉