フェミニンな世界を反転させたミュウミュウ

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AFFECTUS No.252

ファッションはファンタジーだ。日常の暮らしで着られる服のリアリティは確かに重要ではある。しかし、夢を見せてこそファッション。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、ファッションの本質を理解している。「プラダ(Prada)」ではラフ・シモンズ(Raf Simons)と共同でディレクターを務めることになったが、この「ミュウミュウ(Miu Miu)」ではミウッチャが単独でディレクションする。

近年のファッションはあらゆる境界が曖昧化している。ジェンダー、カルチャー、オケージョン、スタイル。これまで常識とされていたファッションのカテゴライズが、常識ではなくりつつあり、それはシーズンにおいても該当する。秋冬コレクションであっても、春夏のスタイルを連想させるルックが発表されることは珍しいことではなくなった。

だが、2021AWシーズンのミュウミュウはこれぞ秋冬コレクションと呼べるデザインを披露する。発表された映像は、雪山の頂上に佇む1人の女性モデルの姿を捉えるシーンから始まった。広大に広がる雪で埋め尽くされた白く長く連なる山脈。モデルはニット帽を頭に被り、口元を同素材のニットでマスクのように覆う。その姿はコロナ禍に襲われた現代の世相を反映しているようにも見え、時代の投影をミウッチャはさりげなく挟み込む。

発表された映像は自然の雄大さと美しさを映し出した。ランウェイに見立てられた真っ白な雪原を、モデルたちはミュウミュウの最新コレクションを着用して歩いていく。ピンク、パープル、ブラウン、ブルーと多彩で淡いトーンの色で彩色されたウェアは、スキーウェアをフェミニンに料理したようなかわいさで包まれている。だが、ただフェミニンをデザインするわけではないのがミウッチャだ。

先ほど言及したニットアイテムで頭と口元を覆うモデルたちの姿が再度現れた時、僕はテロリストを連想した。しかし、危険な匂いは皆無。彼女たちは着飾ることが制限されてしまった世界で、ファッションのエレガンスを訴えていく闘士に僕は思えた。

映像が進行するにつれ、登場するルックにも変化が訪れる。一瞬メンズウェアかと思えるビッグシルエットのアウターを纏うモデルたちが登場し、しかし、次第にまたルックはスカートやワンピース、薄手のニットが現れてウィメンズウェアのムードを取り戻していく。ウィメンズ化の進行をさらに促進させるのはランジェリーやスイムウェアを連想させるアイテムであり、それらのアイテムがスタイリングの中に混じり始めると、コレクションは季節の曖昧化をスタートさせた。

キルティングされたアウターとパンツは筋肉が隆起しているような盛り上がりを見せ、人体を曖昧化する。鋲が打ち込まれたコートやニット、スカートも登場し、フェミニンな女性像にパンクテイストがかぶさっていき、イメージも曖昧化する。幾度の曖昧化を経て、冒頭でフェミニンなイメージを覚えさせたスタイルは、ミウッチャの「悪趣味なエレガンス」によってフェミニンの解釈が捻じ曲げられていく。

ショーのフィナーレは近づいていく。太陽はすっかり沈み、炎がゆらゆらと聳え立つ焚き火の周囲で、円を描きながら歩行するモデルたちが映し出された。彼女たちは歩行をやめると、一斉に中央の焚き火へと身体の向きを変え、炎を見据える。そして陽の光が途絶えた暗さの中、炎で浮かび上がる1人のモデルの表情を捉えて映像は終了する。その瞬間、感じたのは映像冒頭で感じた淡く儚げなかわいさとは別の感覚で、不安とは異なるタイプの、ある種の暗い感情が僕の中に訪れた。

フェミニンな魅力を感じたはずのコレクションは、暗い感情がもたされてフィナーレを迎えた。一つのコレクションの中で、僕の中でイメージの反転が起きていた。幸福な気持ちに包まれたわけではないコレクションの終末。通常、コレクションとは見る者に何を感じさせるかが重要だ。しかし、僕がミュウミュウのコレクションで最も強く感じたことは、「何を感じたか」という感情の結果ではなく、「最初に感じた感情がどう変わっていったか」という感情の変化の振り幅だった。

イメージの反転という体験は、新鮮なコレクション体験を僕にもたらした。今思うことはこうである。ミウッチャ・プラダは本物の天才だ。彼女をファッションの境界を曖昧化し、新しい感覚を世界に打ち立てる。

〈了〉

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