新しさを伴い原点に回帰するサミュエル・ロス

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AFFECTUS No.263

“fashion”とは英語で「流行」を意味する。社会の変化によって人々の価値観が移り変わることで、消費者の心を捉える服のデザインは変遷していく。ファッションデザイナーたる者、確固たる自身のスタイルで人気を獲得したとしても、そのスタイルが変わりゆく時代の波から大きく外れてしまえば市場から、顧客から見放されてしまう。

「自分の好きな服だけを作る」

それはファッションデザイナーにとって大切な姿勢だ。しかし、その姿勢だけで生き残れるほどモードというゲームは簡単なものではない。パリであれミラノであれ、モードのトップシーンで活躍し続けるデザイナーというのは、代名詞となるスタイルを「流行」と共に更新できるスキルを持つ聡明さを備えている。

デザイナーのスタイルに更新が見られた時、僕は興味が惹かれていく。近年のサミュエル・ロス(Samuel Ross)が発表するコレクションには彼の聡明さが滲んでいる。2020AWシーズン、ロスのシグネチャーブランド「A-Cold-Wall(ア コールド ウォール)」は最新コレクション発表の場を、彼の拠点となるロンドンからミラノへと移行した。ミラノでのデビューコレクションとなった2020AWコレクションは、A-Cold-Wallのファンからすれば驚きの変化を披露する。

それまでのサイバーでSF空間を生きる若者のストリートウェアと形容できたスタイルを、2020AWコレクションではジャケット&パンツを多用したクラシックなテーラードスタイルへと変貌させた。ロスのシグネチャーであるサイバーなストリートのエッセンスがテーラードジャケットに染み込み、クラシックと評されるファッションとは似ているようで伝統のクラシックファッションとは明らかに異なる空気を放つ、ロスならではのニュークラシックを作り上げていた。それはストリートからエレガンスへの移行が始まった当時のファッションコンテクストと一致する動きであり、ロスは自分のアイデンティティを時代の波に乗せて変化を図ったとも言える。

しかし、ロスはそのままクラシックなテーラードという彼の新スタイルを継続していくのかと思いきや、早くも翌シーズンの2021SSコレクションから変化を試みた。いや、変化と述べるよりも回帰と言う方が正しいだろう。再び原点であるサイバーストリートへスタイルへの回帰を始めたのだ。さらに翌シーズンの2021AWコレクションでも原点回帰は加速し、発表されるジャケットの数は減少していく。

そして先ごろ発表された最新2022Resortコレクションは完全に原点への回帰を完了した。ミラノでのデビューとなった2020AWコレクションに多数見られたジャケット&パンツというメンズウェアの伝統は、1ルックも発表されていない。ゼロなのだ。極端なまでのこの変化を、わずか数シーズンの間で起こすロスの変化に僕はいささか驚く。

ワークウェアのテイストを残すブルゾンやパンツ、ランニングスタイルを連想させるボトムとシューズ、スポーツとワークウェアの香りが混じってグラフィカルな切り替えがSF空間のサイバーな雰囲気を醸す。一見すると、それはロンドン時代に発表していたロス=A-Cold-Wallのシグネチャースタイルだ。しかし、完全に同じと評することはできない。ロンドン時代よりもエレガンスが明らかに増し、以前には見られなかった新しい魅力を獲得したストリートスタイルが完成していた。

昨年、新型コロナウィルスの脅威が始まって以降、エレガンスへ完璧に傾いていたファッションの流れは完全にストップし、今は室内で過ごす暮らしがスタンダードになったゆえのリラックス感と、室内で過ごさざるを得ない時間の増加からくる着飾ることへの渇望から生まれたエレガンスの間で、次なる時代の新ファッションが模索される傾向が続いている。

この曖昧模糊とした現状に、ロスの原点回帰したエレガンスの魅力を新たに獲得したサイバーストリートはリラックスとエレガンス、それら現代ファッションの狭間をスラロームのように通り抜けていくようだ。

ファッションには伝統のエレガンスが欠かせない。エレガンスがあるからこそ、対極のアヴァンギャルドが価値を帯びるのだ。僕がロスに聡明さを感じたのは、カジュアルなストリートスタイルのままエレガンスを取り入れようとしたのではなく、一度エレガンスの本道であるクラシックに真正面から取り組み、その経験を経て再び原点のサイバーストリートのカジュアルウェアへと戻ってきたことだ。

これまでの自分のスタイルとは異なるスタイルを実際に体験し、そこからシグネチャースタイルに回帰して自らのアイデンティティの更新を図る。言葉にするのは簡単だが、実践することは簡単ではない。自分の確立したスタイルとは逆のスタイルをデザインすることは、スキル的な難しさもあるが、ブランドがファンの支持を受ける武器となったスタイルを変えることで顧客の離反が招くリスクがある。ビジネスとクリエイティビティ、両方のリスクを前にして一歩を踏み出す挑戦にためらっとしても当然だ。

ロスがテーラードスタイルを1シーズンで完全に止めた背景には、ビジネス的に不調だった理由もあったかどうかは僕にはわからない。しかし、理由がなんであるにせよ、結果的にA-Cold-Wallがテーラードスタイルを経験したことは、難易度の高い過程を経てブランドのアイデンティティをさらに輝かせることに繋がった。

サミュエル・ロスは未来に向かって駆け抜けていく。社会を断絶する冷たい壁をA-Cold-Wallは透過していく。

〈了〉

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