主張するのではなく、疑問を投げかけるキコ・コスタディノフ

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AFFECTUS No.272

「ファッションの潮流がどう変化しようと、自分は、自分が興味ある美意識だけを探究するだけ」

彼のコレクションを見ていると、そんな声が聞こえてきそうだ。近年、キコ・コスタディノフ(Kiko Kostadinov)は、世界で起きるファッションンの変化に無関心なのではないかと思うほど、スマートなグロテスクと呼べる独自性強いデザインを発表している。

2022SSメンズコレクションでも、キコが探究する美意識は健在だった。服のアウトライン自体は、基本的に特段奇妙であったり、迫力があるわけではない。キコが毎シーズン見せる服のアウトラインは、僕らが普段目にするベーシックウェアと非常によく似ている。しかし、キコは衣服の普遍性を壊しにかかる。

このコレクションで最初に目についたのが、ヘムラインのカッティングである。トップスのヘムラインが鋭角的にカットされ、そのカッティングが連続し、裾が鋭角的に波打つ状態に仕上がっている。まずここで、違和感に襲われる。正直に言えば、その鋭角のカットが連続するヘムラインに、一瞬にしてエレガンスを感じるかと言えば難しい。

むしろ、不気味だと言える。ヘムラインのカッティングを見て、真っ先に僕の頭に浮かんできたイメージは、イカの姿である。そう、海中に生息する、あのイカだ。トップスの下部にイカがいくつも逆さまにぶら下がっている。そんなイメージが浮かんできたのだ。そのイメージにエレガンスを感じられるだろうか。少なくとも僕は無理だった。

奇妙な鋭角のカッティングは、トップスだけでなく、ブルゾンやジャケットなど他のアイテムにも応用された形で紛れ込む。矢印や二等辺三角形といった図形を連想させる形に衣服をくりぬき、そこに別素材を当て込む。そんなディテールの連続で作られたジャケットに、僕は再び奇妙さと不気味さを覚えた。

同様の感覚は他のアイテムにも及ぶ。例えばタンクトップを連想させるトップスが、シャツやブルゾンの上からレイヤードされるスタイリンで発表されているが、フォルムのバランスが奇妙だ。アームホールが大きく下にくり下げられる形でパターンが作られ、タンクトップ全体の重心がかなり下に感じられ、ルーズな感覚を覚える。完成している形は、もはやこのアイテムをタンクトップと呼んでいいのか、迷ってしまうほどだ。

他にもブルゾンに配置されたポケットが、斜めにずらされ取り付けられたり、ないはずの場所に切り替えが、しかも曲線形状で入り込んでいたり、キコは服という馴染みある日常のプロダクトを、それまでにはなかったバランスへと置き換える。不気味さやおかしさというのは、僕らが当たり前だと思っている普通の中にも潜んでいる。現在のキコのコレクションを見ていると、僕はそんなことが感じられてきた。

彼は、世の中の大半の人々が、気持ち悪がったり、美しさを感じなかったものの価値観を問いているかのようだ。キコは普遍の衣服を、様々な角度からバランスを崩していく。何度も言うが、やはり現在のキコのコレクションは奇妙だ。気持ち悪さと怪しさが、普通の服の中に紛れ込んでいる。

これまで人々が美を覚えなかったものを、美しいものとして訴える。このアプローチ自体、ファッションデザインでは珍しくない。むしろ、それは新時代のスタイルを生み出す手法として、ファッションデザインでは歴史的に王道の手法である。ココ・シャネル(Coco Chanel)、コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)、近年ではデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)がそうであったように、世界にビッグブームを巻き起こすブランドやデザイナーが見せてきたデザインアプローチだ。

ただ、それらファッションの文脈を更新したデザインと比較し、キコのデザインはなんとも静かである。シャネルやコム デ ギャルソンのように強烈な怒りがあるようには感じないし、デムナのストリートなビッグシルエットのように、視覚的インパクトがあるわけでもない。あえて近いと言えるのが、マルジェラかもしれない。冷たい視線で、新たなエレガンスを問いかける。そんな姿勢である。

ここまで書いてくると、キコが訴えくるのは怒りではなく、疑問だと思えてきた。

「なぜ、これが醜いと思うのですか?」

「これには美しさがある」と新感覚のエレガンスを主張するのではなく、「なぜ人々はこれを醜いと思うのだろうか?」と、疑問を投げかける。キコは服のアウトラインがベーシックウェアに近いために冷静さが伴ってくる。だから、僕は彼のコレクションに主張よりも疑問を覚えたように思う。

もしかしたら、キコ自身も、彼が疑問を投げかける醜さについて美しさを感じていないのかもしれない。なぜ醜いと思われているのか、理由が知りたい、その答えを誰か教え欲しい。そんな疑問が衣服へと昇華したようなコレクションを、やはり僕はスマートなグロテスクと形容したくなる。

そして今の僕は、以前は魅力を感じなかったはずのキコの服に、新しい魅力を感じ始めている。この気持ち悪さを着てみたいと。こんな感覚に襲われたのは初めてだ。気持ち悪さの中の気持ちよさ、僕はそれを体感したいのだ。ああ、困ったもののだ。新しい欲求が生まれてしまった。

〈了〉

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