エス・エス・デイリーで子供の服を着る

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AFFECTUS No.278

自分が心揺れた服を着ることが楽しい体験なのだということを、初めて知る年齢は何歳だろうか。そんな疑問をふと抱くメンズコレクションを発見する。それが、ロンドンファッションウィークで遭遇した「エス・エス・デイリー(S.S.Daley)」だった。

メンズウェアというのは、ウィメンズウェアと比べて造形的に革新的なデザインが発表されることは稀だ。では、何がコレクションに最も大きな違いをもたらすかというと、イメージだと言える。より具体的に言うなら男性像と称するのがいい。コレクションで発表されたルックを見て、そこに既存のコレクションとは異なる男性像を捉え心揺さぶられたなら、そのデザインはきっと新しい何かがある。

デイリーにはそれが確かにあった。特異な男性像があったのだ。訂正しよう。心揺さぶられたと述べるのは正確ではない。正直に言えば、僕は戸惑っていた。デイリーが披露した不思議なイメージの混合に、僕は客観的に見ることができず、自分の主観を大きく厚く重ねてしまった。その結果、果たしてデイリーの服に魅了し、陶酔する男性が世の中にどれだけいるのだろうかと訝しんだ。

だが、その感情は僕の好みに過ぎない。ファッションは主観で楽しむがゆえに、自分の主観に合わないコレクションを「売れない」「誰も着る人間はいない」と、過剰な結論を出す傾向がある。実際にはそんなことはない。世界には多くの趣向を持った人々がいる。自分の好きが世界の全てではないことは、少し考えればわかることなのに、スマートに頭が回転しないことは多々あるのだ。

デイリーの2022SSコレクションで僕が最も目を引いたアイテムは、ショートパンツだった。それは小学生の男の子が穿く「半ズボン」と述べる方が、ずっと正確な表現だろう。サイズ感はオーバーサイズで肩が大きくドロップし、ややクリームがかった白いニットにオリーブ色のショートパンツ(半ズボン)を合わせ、大人の男性モデルの大腿部と膝周辺は露わになり、白のハイソックスがスタイリングされたルックは、小学生の服装をした成人男性だった。この姿を見て、一瞬にして「着たい」「欲しい」と高揚感を覚える男性はどれだけいるのだろうか。やはり僕は主観を重ねてしまう。それほどに、デイリーの打ち出した男性像は僕に違和感を突きつける。

だが、ポジティブな感情だけがファッションの魅力ではないことを僕は知っているし、体験している。ルックの閲覧を重ねていくうち、僕は次第に奇妙なはずの違和感に惹かれ始める。アーガイル柄のニット、ワイドな衿のホワイトシャツ、渋いグリーン地に茶系の細いストライプが走るジャケット&パンツ。それらアイテムの一点一点は、大人の男性が着ていてもまったく変ではない。

だが、デイリーは常識をずらす。

全体から受ける印象が、どこかミニチュア的なのだ。モデルの男性と服の持つ雰囲気が微妙にマッチしない。服が幼く感じられる。まるで、子供のために仕立てられたトラディショナルウェアのように。イメージはそれだけにとどまらず、さらに重なっていく。コレクションを支配するのは、中世ヨーロッパの男性たちが着ていた服のイメージだ。そこにカリブに住む男性たちのファッションとも言うべきスタイルも登場する。そうかと思えば、山の麓におじいさんと暮らす男の子のようなカントリーテイストも迫るし、ゲイカルチャーのエレガンスが混じっているとも感じられ、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)的ボタニカルエレガンスもかすかに捉えることができる。

洪水というほど一気呵成ではない。イメージの波は一本ずつ流れ、緩やかに合流し、しかし完璧に一体化することなく、各々のイメージの輪郭を残しながら清流のように流れている。そして、そうしたイメージの清流は、幼さを帯びた大人の服として具体化されていた。

男性の繊細さを表現する。それはラフ・シモンズ(Raf Simons)が開拓し、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が女性的繊細さにまで拡張してきた。ジョナサン・ウィリアム・アンダーソン(Jonathan William Anderson)は、フリルがついたショートパンツやシャツを、筋肉質な男性モデルに着用させることで、フェミニンな美をマッスルな肉体で表現する文脈を刻んだ。

このように男性が持つ繊細を表現したデザインはこれまでにもあったが、デイリーのそれはいずれとも異なる。子供が持っていた幼さ、そういう類の繊細さを中世ヨーロッパ的イメージを軸に完成させたことが、メンズウェアの文脈上に特異点を刻んでいた。

「今は大人と呼ばれる年齢に成長した僕だけど、子供のころに着ていた服が好きで、それを今でも着たいと思っているんだ。こんな服が着たかったんだよ、とても嬉しい」

デイリーのメンズウェアを見て、こう思う男性がいるかもしれない。ようやく出会えた、これが自分のための本当の服なんだと。ファッションは誰か一人のためを思い、心血を注ぎ作ることが、きっと心に深く強く響く。自分が好きな服を着て、誇らしく街を歩けたなら、それは幸福な人生だ。

〈了〉

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