AFFECTUS No.290
印象派を代表するフランス人画家、クロード・モネ(Claude Monet)が1875年に描いた『散歩、日傘をさす女』を、実際に見たことはなくとも写真を通して見たことのある方はきっと多いに違いない。この絵画が持つ美しさは、一度見たら記憶の中から取り除くことは難しいだろう。
全身を白い服で覆った女性は、後ろ腰を膨らませたバッスルスタイルで日傘を差し、逆光の中でローアングルから見上げるように描かれている。このモネの代表作を見ていると、風と光にも色彩があるのだと教えられる。『散歩、日傘をさす女』を飾った部屋は、たとえその部屋が窓ひとつない行燈部屋であっても、太陽の光と暖かさで満たされていく。そんなありえない現象が現実になる想像をしてしまう。
「19世紀に誕生した名画が、21世紀に現実化してモードシーンに現れた」
そのコレクションはそう表現するのがふさわしい。今から20年近く前に発表された、「ジュンヤ・ワタナベ(Junya Watanabe)」2003SSコレクションを見た当時、私はなんて美しいのだろうと思った。それしか感想が浮かばなかったと言ってもいい。
渡辺淳弥が創造した幻想には、アヴァンギャルドやコンセプチュアルといった難解さは皆無。そこには美しさだけがあった。西洋王道のエレガンスに対抗できる才能を持つ日本人デザイナー、それが渡辺淳弥だ。彼の才気が迸るコレクションは、ただ、ただ美しかった。
最初に登場したルックは、モネが描いた睡蓮が布地に乗ったように見える淡い紫とも青とも言える色が、膝丈の白いドレスの上に揺らめく水面を思わす抽象的な柄でプリントされていた。モデルは右手に傘のハンドルを持ち、大きく膨らんだ日傘がモデルの頭上を覆っている。モネの描いた女性がキャンバスから飛び出し、パリのランウェイを歩いているように、その姿は美しい。
しかし、川久保玲によって見出された天才が、絵画の女性をそのままファッションに具現化するわけがない。ここに、渡辺淳弥ならではの仕掛けが隠されている。
女性モデルの頭上を覆う日傘は、日傘ではなかった。それは大きな帽子だったのだ。オートクチュールで発表されてもおかしくない造形の帽子を被り、傘のハンドルに似せた細い棒状のものを帽子からぶらさげ、それをモデルが右手に持つことで渡辺淳弥は帽子を日傘に見立てた。
次々に登場するドレスの多くは膝丈もしくは膝を隠す長さで、『日傘をさす女』に描かれたドレスよりもスポーティで軽快。そして、ここで感じたスポーティという印象はディテールにしっかりと投影されていた。腰の周辺が膨らんだシルエットは、19世紀に女性たちが愛用したドレスをイメージさせる。このシルエットを膨らませていたのは、ストラップだった。
ストラップはバックパックに用いられるタイプと同じ太い幅で作られ、アウトドアテイストに満ちている。その太幅のストラップが、細いストリングの代わりにドレスの中に通され、ぎゅっと縮めてギャザーを作り出し、スカート部分のシルエットを膨らませている。ストラップを用いたギャザーはスカート部分だけでなく、身頃やパンツにも使用され、至る所で登場して19世紀のシルエットを作り出す。
シルエットを膨らませる方法はストラップだけではなかった。コレクションには、先ほど述べたように腰の周辺を膨らませたシルエットのドレスが発表されている。これはクリノリンと呼んだ方が、形を正確に言い表しているだろう。クリノリンシルエットは、スカート部分の中にあるものを入れて膨らませることで形作られていた。「あるもの」は、19世紀にクリノリンを作る際に用いられた骨組みではない。渡辺淳弥が用いたのはバッグだった。腰まわりにウェストバッグを巻き、その上からドレスを着用することで、クリノリンシルエットが完成していた。ショーが進むと、腰に巻いたウェストバッグが露わになったルックも登場する。
このように、渡辺淳弥は19世紀のドレスを、アウトドアやスポーツをベースにした発想で作り出していたのだ。この発想に私は唸るしかない。なんという面白さなのだと。
19世紀当時のクリノリンやバッスルは非常に動きづらく、女性の活動を制限する服だった。そんな歴史背景を持つ服を、動きやすさや機能性を最も重視するアクティブウェアのディテールで仕立てる。しかもモネの絵画からと思われるインスピレーションが、スポーツやアウトドアとは対極のエレガンスを増大させていく。
19世紀の女性たちが、自分たちのスタイルを保ったまま21世紀でも暮らせるように。
私は、ジュンヤ・ワタナベの2003SSコレクションを見ていると、そんなテーマが感じられてきた。もちろん、これは私の勝手な解釈だ。しかし、ヨーロッパの服装史を巧みに表現したデザインは、見る者に自由な解釈を促す創造性に満ちている。このコレクションを見て、想像を、解釈を膨らませない方が無理なのだ。渡辺淳弥は、人間の想像力に刺激を与えてくる。
渡辺淳弥は川久保玲とはまったく異なる才能の持ち主である。川久保玲はアヴァンギャルドで、西洋モードに新たな解釈を刻んだ。だが、渡辺淳弥はアヴァンギャルドな創造性を西洋モードの王道に乗りながら表現する。渡辺淳弥以外にこの技量を持つ日本人デザイナーは、山本耀司だけだ。
天才は芸術、歴史、モードを結びつけて、ファッションという名の創造的解釈を競うゲームに挑んだ。21世紀に現れた日傘をさす女は、スポーティで美しく、颯爽と過ぎ去っていく。渡辺淳弥が生み出した美しさの余韻は、発表から長い歳月が経った今でも私の記憶に残る。
〈了〉