エディ・スリマン伝説の始まり

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AFFECTUS No.291

スポーツニュースを読んでいると、よく目にするフレーズがある。「10年に一人の天才」というものだ。類稀な実力を見せる選手に、メディアはこのフレーズを多用する。「10年に一人の天才が3年に一人は出る」と、このフレーズの多用に批判が出たりもするが、「10年に一人の天才」という表現は言い得て妙で、本当に業界と時代に影響を及ぼす才能というのは10年スパンで現れる印象だ。それはファッションの歴史を見ていても感じることだった。

ファッションは1980年代、1990年代といったように10年毎に時代を区切って評することがほとんどで、その10年間を代表するデザイナーが必ずいる。実際には一人だけではなく、数人現れるのだが、それでも10年の間に活動するデザイナーすべての数を思うと、極めて少ない人数だ。

僕には忘れられない時代が一つある。それは2000年代である。2010年代にデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が巻き起こした熱狂に負けない熱狂が、あの時代にはあった。21世紀の始まり、世界を熱狂の渦で覆った一人のデザイナーがいる。エディ・スリマン(Hedi Slimane)だ。エディは、女性の服装=ファッションの歴史とも言えるファッション界において、メンズウェアの影響力をウィメンズウェアにまで浸透させる希少な現象を引き起こした人物だった。

当時、エディといえば「ディオール・オム(Dior Homme)」だった。脚と生地の間にわずかな空間さえも許さないスキニーシルエットのジーンズは、エディの代名詞となり、男性の間だけでなく、女性の間でも強烈に細いシルエットのパンツが時代を象徴するパンツとしてビッグトレンドになった。

スキニージーンズがエディの代名詞として語られるように、ディオール・オムのスタイルはロック&モードなカジュアルスタイルが特徴であり、そのスタイルはエディが「サンローラン(Saint Laurent)」、「セリーヌ(Celine)」とブランドを移籍しても変わらない。それゆえ「いつもスタイルが変わらない」という批判が、エディのコレクションとセットになっている。

だが、僕が今も記憶に強く刻むディオール・オムのコレクションは、ロック&モードではない。エディが初めてディオール・オムをディレクションした、同ブランドのデビューコレクションだった2001AWコレクションこそ、僕にとってエディ時代のベスト・ディオール・オムだった。

エディがその名をファッション界に知られるようになったのは、「イヴ・サンローラン・リヴゴーシュ オム(Yves Saint Laurent Rive Gauche)」で披露していた、高貴な色気を纏うメンズウェアの美しさだった。当時のエディは、その後の彼のスタイルとは異なり、テーラードジャケットやクラシックなパンツ、シャツを中心に据えたドレスな美しさを誇るエレガンスがコレクションの中心だった。このコレクションのエレガンスを、ディオール・オムにも引き継いだ。まさにそれが、ディオール・オムの2001AWコレクションだった。

妖艶な色気を振りまきながら、ランウェイを颯爽と歩いていく男性モデルたち。その姿は力強さだけが男性の魅力ではないことを、エディはクラシカルなメンズウェアを通して伝える。白いシャツはボタンがほとんど留められておらず、引き締まったモデルたちの腹筋を晒すほどにはだけた着こなしは、シャツが下着だったという歴史を思い起こさせる。黒いスーツは身体を覆っているにも関わらず、まるで裸体を見るようなセクシーさが滲み出し、そのムードはさながらスーツの形をしたランジェリーだった。

煌びやかな装飾や加工が施された素材が使われているわけではない。メンズテーラードの王道である上質な無地の素材が使われ、展開されている色はグレーや白、ピンクも混ぜられているが、ルックのほとんどが黒であり、一見すれば明るさや鮮やかさとは無縁だ。服のフォルムにしても、奇抜さや大胆さは見られず、シンプルだと言って差し支えないだろう。フォルム、素材、色はもちろん、スタイリングに至るまで、その言葉だけを読むなら地味なコレクションだと言っていい。しかし、ランウェイを歩く男性モデルから受けるイメージは、地味なんて表現は全く似つかわしくない。

その秘密はシルエットにある。スキニーシルエットが象徴的に語られる後年のエディとは異なり、2001AWコレクション当時のエディは身体と布の間に適度なボリュームを含んでいた。この布の量感が美しかったのだ。服の造形自体はシンプルでも、服の量感のバランスが美しく、それがスタイルに妖艶な色気と高貴なエレガンスを作り上げ、メンズウェアの王道であるクラシックの文脈を書き換える創造性を誕生させた。

フィナーレに登場するのは、ややフレアに見える黒いストレートパンツと白いシャツの、またもやメンズウェアの王道スタイル。シャツは胸元から腹筋までを露わにし、パンツはモデルの歩行に応じて緩やかに揺れる。平坦であるはずの男性モデルの体型が、まるで優雅な曲線が美しい女性モデルのように感じられてくる。複雑なカッティングや、特別な加工を施した素材、色彩豊かなカラーコンビネーションはない。布の量感とスタイリングで、男性の身体を女性の身体を見ているかのような錯覚を起こさせる。メンズウェアの歴史を更新する新しさが誕生した。

エディの登場によって、男性の服装は一気に変わった。その功績はエディ一人だけの力によるものではなく、ラフ・シモンズ(Raf Simons)の影響も多大なのだが、ラフが切り拓いた男性の奥底に潜む少年性という儚げな美しさを、女性的ニュアンスの儚さにまで拡張することで、エディはメンズウェアの歴史を書き換えたのだ。

エディ・スリマンという伝説が真に始まったのは、2001AWコレクションだと言える。21世紀を最初に熱狂で世界を覆い尽くしたデザイナーは、20年近い時が経った今もなお、モードの最前線で生きている。しかも第2の黄金期が到来したと思える、ハイクオリティのコレクションを発表して。パリモードが生んだ傑物は、歩みをやめない。

〈了〉

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