ヴァージル・アブローとパイレックス ビジョン -1-

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AFFECTUS No.293

2012年、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)による初めてのファッションプロジェクト、「パイレックス ビジョン(Pyrex Vision)」が発表される。元々パイレックス ビジョンは動画プロジェクトだったが、現在はクローズしたパリのセレクトショップ「コレット(Collete)」のサラ・アンデルマン(Sarah Andelman)が、YouTubeにアップされたパイレックス ビジョンの動画を観たことで転機が訪れた。

「この映像に映っている服は買えるのか?」

サラのこのコンタクトをきっかけに、動画プロジェクトはファッションプロジェクトとしてスタートする。2009年にヴァージルはカニエ・ウエスト(Kanye West)と共に「フェンディ(Fendi)」でインターンを経験していたが、自らのデザインを大々的に世界へ発表するのはこの時が初めてだった。

パイレックス ビジョンのデザインとは、どのようなものだったのか。それは後に「オフ ホワイト(Off-White)」や「ルイ ヴィトン(Louis Vuitton)」で披露するデザインとは、対極のデザインだったと言える。

しかし、パイレックス ビジョンのデザインへ言及する前に、ファッションデザイン(ここでのファッションとはモードと考えてもらいたい)で見られる傾向を共有したいと思う。

同じデザイナーであっても、ファッションデザイナーのアプローチは、グラフィックデザイナーやプロダクトデザイナーとは異なり、その性質は作家性が重視される小説家や漫画家に近いと言えるだろう。デザイナーがそれまでの人生で得てきたオリジナルの体験を、ファッションに投影させる。そうすることでコレクションには独自性が立ち上がる。人間それぞれに特徴があるように、人間そのものが投影されたコレクションにオリジナリティが立ち上がるのは自然なことだろう。

この傾向は、1990年代にアントワープ王立芸術アカデミー出身のデザイナーたちが活躍することによって顕著になってきた。ここで述べた作家性・独自性・オリジナリティは、アントワープではアイデンティティと言われるものに該当する。

しかし、ヴァージルがオフ ホワイトやルイ ヴィトンで見せていたデザインは異なる。ヴァージルは、アイデンティティをコレクションに投影させるのではなく、その時のトレンド(ここでは人気商品、流行スタイルではなく、文脈的な意味としてのトレンド)を巧みに読み取り、その解釈をコレクションにて発表する。これだけを聞くと珍しいことではなく、他の多くのデザイナーもやっていることだと思われるだろう。

だが、僕はヴァージルのコレクションを見ていると、聡明すぎるように感じてしまっていた。トレンドの読み取りに巧さは感じるし、提示されたデザインも納得感のあるデザインだった。時代の流れを捉えて、自分は次の時代に対してこういう答えを提示する。そんなメッセージ性を感じる巧みなコレクションだが、それが妙に巧みすぎて、少し冷静すぎるように感じていた。

一つ例をあげよう。2018年、時代はデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)によってアグリー(醜い)が新しい美意識として世界を席巻していた。柄・ロゴ・色が複雑かつ重層的なデザインは圧迫感ある装飾性にあふれ、ファッション伝統のエレガンスとは対極の外観を備えていた。

翌年となる2019SSシーズン、ヴァージルは時代のトレンドを捉えた提案を行う。オフ ホワイトが発表した2019SSコレクションのテーマは、クリーンなスポーツだった。ショー会場には陸上トラックに見立てた白線が何本も引かれ、装飾性高いアグリースタイルのストリートウェアとは一線を画し、白をメインカラーにしてウェディングドレス的なトレーンを引くディテールも取り入れて、スポーティ&エレガンスというスタイルを披露する。

醜さが魅力のアグリースタイルに対して、爽快さや美しさが特徴のスポーツとエレガンスをセットにしたコレクションでカウンターを仕掛け、トレンドに対する一つの解答を提示する。理に叶ったデザインだと思えた。

だが、その冷静で聡明な視点が僕には物足りなくもあった。

「狂っているとしか思えない。世界でそれに興味を抱いているのは、このデザイナーだけではないか」

そう感じてしまえるほどの熱を感じるデザインに、モードの醍醐味と興奮を感じる。やはりデザイナーが自身の作家性(アイデンティティ)を凝縮して投影させることによってのみ、圧倒的なパワーが備わったコレクションが生まれるのだと、僕はいくつものコレクションを何年にも渡って解読していると思うに至った。

ヴァージルが作家性を投影させたコレクションを、発表してこなかったわけではない。

2020SSシーズン、ルイ ヴィトンのコレクションテーマは「Boyhood(少年時代)」で、ヴァージルは自身の少年時代に思いを馳せ、園芸から発想を得たスタイルを披露する。多彩な色使いとストリート&ファーマルが融合したエレガンスは、ルイ ヴィトンにおけるヴァージルスタイルが本格的に完成したと言えるほどの魅力が誕生していた。

このルイ ヴィトン2022SSコレクションを見た際に感じたのは、ヴァージルは冷静に時代を読み解くよりも、没入するように自分を表現した方がコレクションに大きなパワーを宿らせるのではないか、ということである。

僕にとってそれが最も具現化したコレクションがパイレックス ビジョンだった。

初めての本格的ファッションプロジェクトで、ヴァージルは自分の体験をコレクションに投影させる。ヴァージルの熱源はどこからあふれ出し、パイレックス ビジョンを作り上げたのか。次回はそこに迫っていこう。

〈続〉

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