2010年代後半のストリート旋風を振り返る 4

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AFFECTUS No.328

世界に吹き荒れたストリート旋風の中心人物は二人いる。一人は、まさにストリート時代のキング、2014年に「ヴェトモン(Vetements)を立ち上げたデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)だ。デムナはベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」、「ルイ ヴィトン(Louis Vuitton)」でデザイナーとしてのキャリアを積み、ファッション界のエリートコースと言える王道を歩んできた。

そして、もう一人の人物がヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)になる。シリーズ最終回となる今回は、ヴァージルの活動と彼のもたらした影響力について触れたいと思う。

ヴァージルはデムナとは逆の、ファッション界では異端の道を進む。アメリカのシカゴ出身のヴァージルが過ごした大学は、モードのエリートたちとは違っていた。2002年にウィスコンシン大学マディソン校で土木工学の学位を取得し、その後イリノイ工科大学で建築学の修士号を取得する。そして、兼ねてから友人であったカニエ・ウエスト(Kanye West)からツアーの物販、アルバムカバー、ステージデザインを依頼されるようになり、後にカニエのクリエイティブ・ディレクターとして活躍し始める。

盟友となったヴァージルとカニエは、2009年に「フェンディ(Fendi)」でインターンを経験する。当時すでにスターだったカニエがインターンをすることは驚きだが、この経験がヴァージルがモードに人脈を築く礎にもなっていく。

アメリカのストリートシーンで伝説的な存在となった「ビーントリル(Been Trill)」というクリエティブなDJ集団には、3人の結成メンバーがいた。その3人は、今やいずれも人気ブランドのデザイナーたちだ。自らのブランド「アリクス(1017 ALYX 9SM)」と、2020年から「ジバンシィ(Givenchy)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるマシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)、カニエのクリエイティブコンサルタントとして彼のブランド「イージー(Yeezy)」にも関わり、自身のブランドも人気ブランドに成長させたヘロン・プレストン(Heron Preston)、そしてヴァージルの3人だ。

2012年12月、ヴァージルは本格的にファッション界へ進出するきっかけとなる動画プロジェクトを始める。それが「パイレックス ヴィジョン(Pyrex Vision)」だった。ヴァージルは、バロック期のイタリア人画家カラバッジョ(Caravaggio)の作品や、NBAのスーパースターであるマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)から着想を得たプリントフーディやTシャツ、チェックシャツを制作し、それらのアイテムを着た男性モデルたちを撮影した映像をYouTubeに公開する。

すると、その映像を見たパリの伝説的セレクトショップ「コレット(Colette)」のサラ・アンデルマン(Sarah Andelman)から映像に写っている服は買えるのかという連絡が届く。サラのコンタクトによって、ヴァージルのファッションプロジェクトは本格化していくのだった。

パイレックス ヴィジョンはその後名前を変え、2014年に「オフホワイト(Off-White)」としてデビューし、瞬く間にモードシーンを駆け上がると、ヴァージルは2018年に「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」メンズ部門のアーティスティック・ディレクターに就任し、異端の道を歩んできたストリートの伝道者はファッション界の最高峰にまで上りつめた。

このようにヴァージルはデザイナーとしても一流の実績を持っているが、ストリート旋風を振り返る上で彼の業績は他にもある。それが新しい才能のサポートだ。先ほど登場したビーントリル時代の仲間だったヘロン・プレストンが、自身の名前を冠したブランドを始めるきっかけはヴァージルのアドバイスだった。

ヘロンはTシャツの販売を始め、それが人気となっていくが、新作のTシャツについてヘロンはヴァージルに相談する。すると、ヴァージルはヘロンに対してTシャツだけを作るのはもったいないと言い、フルコレクションを作るべきだと助言する。ここからがヴァージルの本領発揮と言えるところで、彼はアドバイスだけにとどまらず具体的な行動を起こす。

ヴァージルは自身のブランド、オフホワイトをサポートするイタリアの「ニューガーズグループ(NEW GUARDS GROUP)」をヘロンに紹介するのだった。ヴァージルの力によってヘロンは、ブランドビジネスを始めるにあたって必要な生産・流通のバックアップをニューガーズグループから得ることになり、シグネチャーブランド「ヘロン・プレストン」を2017年にデビューさせた。

ビーントリルの一人として、ニューヨークのストリートシーンのカリスマが立ち上げたブランドなれば、人気にならないはずがない。もちろん、知名度だけでブランドが成功するほど甘くはない。そこには、ヘロンの確かなデザイン力があった。それを証明するように、ブランド「ヘロン・プレストン」は注目ブランドとなっていき、2021年には「カルバン・クライン(Calvin Klein)」とコラボコレクションを発表するまで、ヘロンのデザイナーとしての実力と評価は高まっていった。

またロンドンの若きスター、サミュエル・ロス(Samuel Ross)もヴァージルとの関係が深い。ヴァージルがInstagramを眺めているとある写真に目が止まった。その写真を気に入ったヴァージルは写真をアップしていたアカウントへDMを送る。その相手がロスだった。当時はヴァージルがオフホワイトを始める前だったが、ロスはヴァージルのもとでグラフィックデザイナーとして働き始め、オフホワイトが成長していく過程を経験していく。その後ロスは、2015年に自身のブランド「ア コールド ウォール(A Cold Wall)」をスタートさせ、ロンドン注目の若手デザイナーに成長していく。

このようにヴァージルは自身のブランド活動だけでなく、彼が関わった人間が軒並み人気デザイナー・ブランドになっていくためのアドバイス・サポートを行なっていて、デムナとは別の側面からストリート旋風を巻き起こす立役者となった。今にして思えばヴァージルの影響力は、もしかしたらデムナ以上だったかもしれない。

身近の人間と共にプロジェクトを始めていくのはまさにストリート的で、かつての裏原宿を思わせる。三重県出身の藤原ヒロシは18歳で東京に引っ越すと、クラブシーンで名を上げていき、1987年には雑誌『宝島』でストリートカルチャーを伝える連載を高木完とスタートさせ、DJとしてもラッパーとしても活躍する。その後、藤原ヒロシは「ステューシー(Stüssy)」の創業者ショーン・ステューシー(Shawn Stussy)ともコネクションを築き、世界への人脈を拡大させていく。

裏原宿に触れる上で、もう一人欠かすことのできない人物がある。藤原ヒロシとそっくりの顔から、「藤原ヒロシ2号」という愛称をつけられた長尾智明である。本名よりもNIGOという名でご存知の方がきっと多いだろう。NIGOは藤原ヒロシのサポートを得て、NIGOと同じ文化服装学院出身の高橋盾と共にあるプロジェクトをスタートさせた。それが、表参道の裏手である裏原宿にオープンした「ノーウェア(Nowhere)」だった。

ノーウェアで高橋盾は「アンダーカバー(Undercover)」をスタートさせるが、当初NIGOは輸入したストリートウェアの販売を始めるが、アンダーカバーの人気は高まる一方で、NIGOの事業は人気とは言えない状況だった。しかし、映画『猿の惑星』にヒントを得て、猿の顔をロゴに用いたTシャツを制作し、NIGOはオリジナルブランド「ア・ベイシング・エイプ(A Bathing Ape)」をスタートさせ、彼はストリートシーンにおける最重要人物の一人となった。そして、2021年9月には「ケンゾー(Kenzo)」のクリエイティブ・ディレクターに指名され、デビューコレクションの2022AWコレクションで賞賛を浴びたのは記憶に新しい。

ヴァージルは藤原ヒロシをメンターとして尊敬し、そのことを公言していた。1990年代後半に生まれた裏原宿のたストリートは、20年の時を経て世界へ大きな影響力をおよぼす。ヴァージルが身近な仲間と共にファッション界を駆け上がった姿は、藤原ヒロシやNIGOの姿に重なり、ヴァージルは裏原宿の活動を世界規模で展開したように思えてくる。2010年代に世界を熱狂に包んだストリートは、たしかにヴェトモンの人気は異常といえるほどだったが、2000年代前半の「ディオール オム(Dior Homme)」のように一つのブランドに世界中の注目が一極集中したわけではなく、ヴァージル・アブローを中心にしたストリートデザイナーたちが巻き起こした狂騒でもあった。

現在、一時期のストリート人気は静まった。だが、ストリートの影響が衰えたわけではない。ラグジュアリーブランドのディレクターを見渡せば、ストリートのデザイナーたちが座しており、ヴァージルの友人でもある「フィア オブ ゴッド(Fear Of God)」のジェリー・ロレンゾ(Jerry Lorenzo)にも、ラグジュアリーブランドでの次期ディレクターとしての注目が集まり、ヴァージルたちと流派は違うが、キコ・コスタディノフ(Kiko Kostadinov)やルーク・メイヤー(Luke Meier)といったストリートの文脈から生まれたデザイナーたちの活躍は続いている。

以上が、シリーズ最終回となる第4回になる。

当初は前編・後編の2回で送る予定が、4週に渡ってしまった。だが、これでも駆け足になってしまったように思う。僕がモードを世界に魅了されて20年以上になるが、これほどの大規模で世界的に浸透した現象は初めてだ。そのせいか、ストリートの勢いが落ち着いた現状に物足りなさを感じるほどである。今度はいつ新しい熱狂が現れるのだろうか。その日を待ち望み、モードの観察を続けていきたい。

〈了〉

*参考資料
『AMETORA 日本がアメリカントラッドを救った物語』
デーヴィッド・マークス

この本は日本におけるアメリカントラッドの歴史を、ハーバード大学と慶應大学を卒業した著者が執筆し、よくぞここまでまとめたと感嘆するほどの内容で、アメリカントラッドだけでなく裏原宿についての章もあり、日本のメンズファッションの歴史を辿ることができる。ぜひとも一読をおすすめしたい本だ。

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