AFFECTUS No.332
人間の奥底に潜む闇を露わにしたメンズブランドが解散し、13年の歳月が経過した今でも「ナンバーナイン(Nnber(N)ine)」という名には特別な響きが感じられる。日本のメンズファション史に起きた史上最大の狂騒、狂乱、熱狂。それがナンバーナインだ。その表現が決して大袈裟ではないことを、リアルタイムで経験した方ならきっと共感してもらえるだろう。
1973年生まれの宮下貴裕が、自身初めてのシグネチャーブランドであるナンバーナインをスタートさせたのは1996年で、当時の彼は23歳だった。宮下は服飾専門学校で服作りを学んだわけではなく、コレクションブランドでデザイナーの経験を積んだわけでもない。高校中退後、10代半ばでファッション業界に足を踏み入れてプロのスタートを切った宮下にとって、ナンバーナインの礎となったのは「ネペンテス(Nepenthes)」での経験だった。当時、別のショップで働いていた宮下はネペンテスへ足繁く通う顧客の一人で、独特の存在感を持っていた着こなしはスタッフの注目を集め、後にネペンテスの代表である清水慶三に声を掛けられ、憧れのセレクトショップで働き始めるようになる。
ネペンテスにおける宮下のキャリアは店長、バイヤー、プレスと多岐に渡り、ショップのオリジナルラインを企画するまでに及んだ。プロとしてのデザイナー経験を持たなかったが、彼が企画を始めるきっかけとなったのは、またも清水だった。普段から宮下のセンスに抜きん出た面白さを感じていた清水は、宮下が「服を作るべき人間」だと悟り、ネペンテスのオリジナルラインを企画させる。この清水の直感がなければ、もしかしたら宮下貴裕というデザイナーは誕生していなかったかもしれない。
そしてネペンテスで服作りの経験を積むこと3年半、宮下は独立を果たす。ナンバーナインがいよいよ始動の時を迎える。23歳でのブランドスタートは早いと言えるかもしれない。
「もっと経験を積んでからでもいいのでは?」
そう思われても不思議ではないだろう。だが、宮下の考えは違った。十分な経験を積んだ完璧な状態で始めるよりも、未完成な自分が何かを始めることに興味があった。
宮下はナンバーナインを設立した翌年、早くもショップをオープンさせる。場所は現在の表参道ヒルズの裏側だった。生き急いでいるようにすら思えるが、彼の決断と行動はブランドを飛躍させていく。
ナンバーナインにはいったいどのような魅力があったのだろうか。それを述べるには、おそらく宮下も影響を大きく受けたであろうラフ・シモンズ(Raf Simons)を、例に挙げるのが最適だろう。
ラフ・シモンズはメンズウェアに革新をもたらした。強さが象徴だったメンズウェアに、ラフ・シモンズは男性が抱える繊細な感受性をロックミュージックを通して表現し、繊細さも男性の美しさだと訴えた。当時としては先鋭的だった身体を細く見せるシルエットのテーラードジャケット、Vネックニットやウールトラウザーズといったスクールテイストなアイテム、ラフ・シモンズがデザインしたのはメンズファッションではなく傷つきやすく脆く美しい少年性であり、それが当時の若者たちを「これこそが、俺たちの服だ!」と熱狂させ、時代のリーダーとなった。
ナンバーナインもラフ・シモンズと同様に音楽は重要なモチーフで、ロックを通して男性像を表現している。しかし、宮下の描いた男性像はラフ・シモンズよりも暗く深く闇を帯びていた。人間には暗く塞ぎ込み、抜け出せない道に迷い込む瞬間がある。その時の人間の、男性の姿に美しさを見出したのがナンバーナインであり、宮下だった。
ランウェイに登場する男性モデルたちは顔を俯かせ、ゆったりとした足取りで歩く。その姿はまるで精神に深い傷を負っているようで、ある意味病的でもあった。だが、その姿が美しく、見る者の心を打つ個性があった。ショーの演出も明るさとは無縁で、照明は暗く、服の詳細が分かりづらいこともあったが、ナンバーナインにはその演出がふさわしかった。スポットライトが当たらない人生の美しさを讃えるのがナンバーナインなのだ。
ブランドの人気が最高に達し、宮下はナンバーナインのショップを移転する。恵比寿に移ったショップはファッションストアとは無縁な、駅から離れた小さな商店街を抜けた先にあった。しかもショップそのものも目立ない場所に立地していて、ナンバーナインのショップを訪れるには地下に続く階段を降り、ドアを開けなければならない。ひっそりと静かに佇むナンバーナインのニューショップだったが、駅から離れた商店街にファッショナブルな若者たちが行列を作ることで、ブランドの人気が異様なレベルに達していることに気づく。
行列に並ばず入れることは滅多にない。しかし、誰も並んでおらず、ショップに入れる日があった。その理由は、ドアを開けた瞬間に理解する。店内に商品がほとんどないのだ。Tシャツが数点ラックにかかっているだけで、ファッション誌で見たジーンズやジャケットはどこにもない。まるでTシャツ屋なのかと思うほどの、閑散とした風景。メディアで見るコレクションはあまりの人気で入手困難となり、実際には見ることのできない、手に取ることのできない幻のアイテムとなっていた。
ナンバーナインはショップスタッフの接客も独特の時があった。Tシャツしかない閑散としたショップを訪れると、スタッフは壁に寄りかかったまま訪れた客を見ることはないし、「いらっしゃいませ」と声をかけることもない。通常ならその接客姿勢は、客の怒りを買うだろう。だが、ナンバーナインはそれでよかった。明るい声と笑顔で「いらっしゃいませ」なんて接客はやる必要がない。人間の暗さを徹底させてこそ、ナンバーナインなのだから。
2004年1月23日、日本に巻き起こった異常な人気が世界にも伝播したナンバーナインは、ファッション界最高峰のパリコレクションにデビューする。だが、パリだからといって特別なことはやらない。いつものナンバーナインが、ショー会場となったパリのエリゼ・モンマルトルに姿を見せた。
天井からはランウェイを細く一本道に照らす暗い照明が灯され、モデルたちは顔を俯かせて歩いていく。ハートが涙する迷彩柄、ボヘミアンなニットとブーツ、クラシックなテーラードジャケット、当時のアメリカのブッシュ大統領に向けた痛烈な反戦メッセージをプリントした黒いTシャツは、大きな穴を開けてパンクマインドが全開だった。
宮下は世界を相手にしても自分の姿勢を貫く。その姿勢はブランド活動そのものにも貫かれる。2009年2月20日、宮下はナンバーナインを脱退し、それに伴い2009AWコレクション“A Closed Feeling”を 最後にブランドが解散されることが発表される。こうして始まりから13年で幕を閉じ、ナンバーナインは伝説になった。
音楽を媒介にして人間の闇を晒し、陰鬱な姿の中にも男性のエレガンスがあることを伝えたナンバーナイン。13年という活動時間は長いようで短かった。そう感じるほどにナンバーナインのコレクションは濃密な濃さと深さにあふれ、華やかさとは遠く離れた場所に発見された美しさはファッションの新しい灯火だった。闇は宮下貴裕にとっての光。男たちはその暗い光に救われた。「これこそが俺たちの服だ」と。
〈了〉
参考資料
POPEYE 2004年4月10日号
EYESCREAM 2009年6月号