ボーディが世界にカウンターを放つ

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AFFECTUS No.342

現在、アメリカから注目のブランドが次々に登場していることは、これまで何度も述べてきたが、その思いは「ボーディ(Bode)」が先日発表した2022Pre Fallコレクションを見ることで確信に至る。エミリー・アダムス・ボーディ(Emily Adams Bode)が設立したボーディは2016年のデビュー以降、着実に実績を積み上げ、今では若手アメリカブランドの中では抜けた存在になりつつある。

モードは、都会で着る最先端ファッションを意味する側面がある。新しい時代の新しいファッションが、変化の激しい都会から生まれるのは自然な成り行きだろう。ただ、そういったモダンスタイルが誰にでも魅力的に映るかといったら、それはきっと違う。どれだけ世間で人気と注目を集めようとも、自分にはなぜか響かない。そんなファッションに出会ったことはないだろうか。

世界のどこかの、ある限定された地域で美しいとされるファッション。もしそんなファッションがあるなら、僕は見てみたい。そして自分の趣向と合うデザインなら、心が揺れてしまいそうだ。ボーディがもたらしてくれたのは、モードが持つもう一つの側面だった。

2022Pre Fallコレクションのファーストルックには、ボーディの世界観がよく表れていた。髪をびっちりと撫でつけた男性モデル二人はタキシードを着て椅子に座り、フォーマルなスタイルで厳格なエレガンスを表現する。ただし、二人の足元で犬が気だるそうに床の上で寝そべっている。特別な場所で着る特別な服が、犬の存在感によってその特別さを失っていた。タキシードスーツを着て日常的に暮らすのも、ありなのではないかと錯覚するほどに(不便だとは思うが)。

ボーディは世界のバランスをほんの少し崩す。笑いを起こすわけではない。ユーモアと形容するのは少し違う。常識からは逸脱していない。だけど、何かがずれている。

ルックに写るモデルたちは皆、真面目な表情でカメラに視線を向けている。けれど、彼らが着る服=ボーディは幻想的なフェミニンが感じられ、メンズウェアが伝統的に持つ硬い空気を柔らかくする。シャツにネクタイを締め、ジャケットを羽織っても、Tシャツとジーンズを着ているように自然体でおおらかに暮らす男たちがボーディの世界。外観は明らかにメンズウェアなのに、スカートやレースシャツを着ているようなウィメンズウェアのイメージが浮かび上がる。

「いったいこの服は、どこで誰が着ているのだろうか?」

想像が膨らんでいく。

彼らは世界で何がファッションのトレンドなのかなんて知らない。というよりも、きっと興味がない。それよりも大切なのは、自分たちが暮らすこの町で、カッコいいとされるファッションを競い合うこと。そのことを心から楽しみ、仲間が着てきたジャケットも魅力的だと思ったなら、心から誉める。自分たちの美意識を大切にする若者たちは、外の世界の評価などに興味はない。一番欲しいのは仲間からの賞賛なのだ。

モードは大きな潮流の中から、次の時代を担う新しいファッションが誕生することが多い。一方で、大きな潮流(トレンド)から離れた場所で生まれたファッションが、人々の心を強烈に揺さぶることも珍しくない。例えば、世界のファッションの中心は歴史的にも注目度的にもパリだが、1970年代の高田賢三、1980年代の川久保玲と山本耀司、1990年代のアントワープなど、最先端のモードファッションとは無縁と思われた場所から、世界に大きな衝撃を与えるファッションが生まれている。

ファッションは文脈が重要で、文脈の解釈の独自性を争うゲーム的側面があるデザインだ。だからこそ、現在コレクションシーンでどのようなデザインが主流を占めているのか、どのようなデザインの流れが生まれているのかを無視することはできない。いくら個性的であっても、文脈に乗っていないファッションに「着たい」という衝動を起着るのは難しく、人々から見捨てられてしまう。

だが、矛盾するようだが、先ほど述べたようにモードにはそれまでの文脈を無視したような、遠く離れた世界のファッションが新しいトレンドを作り出すことがある。それはなぜなのか。

皆が納得する答えは難しいだろうが、僕がこれまでコレクションシーンを観察していてじっっ関したことがある。それは、カウンターデザインの重要さだ

文脈を無視したように見えるファッションも、厳密に言えば文脈を無視しているわけではない。1989SSシーズンにデビューしたマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は安価なコットンを用いたシャビールックで新しいトレンドを開拓したが、マルタンのデザインはそれまでのトレンドだった豪華絢爛な80年代ファッションに対するカウンターだった。

同様に2014年にデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が設立した「ヴェトモン(Vetements)」のストリートスタイルは、過剰なまでにシルエット、色、柄を誇張し、醜さを新しい美として提示して世界中を熱狂で覆ったが、ヴェトモン誕生以前のトレンドは究極のシンプルを志向するノームコアスタイルであり、結果的にデムナのデザインはノームコアに対するカウンターだった。

文脈を無視したように見えるデザインも、「カウンター」という形で文脈に乗れば、モードでは新しい価値を生むファッションになる。

そして僕が今、ボーディに惹かれるのもカウンターデザインの側面があるからだ。現在、流行はSNSによって世界同時的に共有されるようになった。一度人気のスタイルが生まれれば、Instagramなどによって瞬く間に世界に広がり、国境を越えて多くの人々が着るようになる。

個性が一気に浸透することで無個性化する(ノームコア的だ)世界だからこそ、僕はボーディに惹かれる。ある場所の、ある人々の間だけで流行するファッション。それがとても眩しい。エミリー・アダムス・ボーディに僕は期待したい。さらに狭く深い世界を見せてくれることを。

自分の価値観を徹底的に鋭く磨き上げ、世界にカウンターを打てば、きっと新しいファッションが生まれる。

〈了〉

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