NIGOとケンゾーと高田賢三

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AFFECTUS No.347

今もモードの第一線で活躍する川久保玲や山本耀司に比べ、高田賢三の偉大さが現在の日本にはいまいち伝わっていないように思えるのは、気のせいだろうか。2022AWシーズンから「ケンゾー(Kenzo)」のアーティスティック・ディレクターに就任したNIGOは、きっと高田賢三の成したことの意味を理解している。そうでなければ、デビューとなった2023AWコレクションで、あれほどケンゾーの歴史をリスペクトしたスタイルを披露しなかっただろう。

NIGOのアイデンティティであるストリートカルチャーで、ケンゾーを染め上げるのではなく、ケンゾーのDNAを慈しみ、自身のアイデンティティを優しく溶け込ませる。ファッションの新しい歴史を切り拓いた高田賢三を知るからこそ、生まれたデビューコレクションだったと思う。

NIGOのケンゾーに対するリスペクトは、2023SSコレクションでも健在だ。

ケンゾー伝統のマリンテイストがコレクション全体に流れ、シャツでもドレスでも、ニットでもコートでも、アイテムが何であれ、どの服も楽しげで軽やかだ。ブルーの膝丈フレアスカートはレトロなシルエットだし、足に合わせた白いソックスが懐古的雰囲気をより強めている。だけど、この懐かしさが今とても新鮮に感じる。

時代は常に進化していく。とりわけで現代は、技術も商品も習慣も新しいことが正義になっている。進化する速さに付いていくのも、なかなかに難儀だ。無駄を許さない、矛盾を許さない現代の空気もちょっと窮屈に感じる。そんな時代だからこそ前に進む速度を緩め、後ろを振り返り、懐かしさに浸って心を休めたくもなる。昔を懐かしむばかりではいけない。だが、未来だけを見ていても見失うものがある。

現代のスピードに少し疲れた人にこそ、NIGOのケンゾーはきっと響く。

今はレトロに感じる伝統のケンゾースタイルだが、高田賢三が発表した1970年代ではとびっきりに新しかった。現代では日本と西洋の感覚を一つにするファッションは、特別珍しくない。だが、今は当たり前に思えるスタイルを確立したのが、高田賢三だった。

文化服装学院を卒業した高田賢三は、いくつかのアパレル会社で働いた後に、1965年にフランスへ渡る。だが、すぐにファッションデザイナーとしてのキャリアをスタートできたわけではない。パリに到着すると高田賢三は、まずデザイン画を描いてファッション誌の編集部へ持ち込んだ。すると、そのデザイン画を気に入った編集部はそのまま買い取り、高田賢三のデザイン画は評判となって彼は生計の手段を確立することになった。

そうして滞在資金を確保して現地で経験を積み、1970年にパリのギャルリ・ヴィヴィエンヌにショップ「ジャングル・ジャップ(Jungle Jap)」をオープンする。瞬く間に高田賢三のファッションは評判となって、パリコレクションにも本格的なデビューを飾り、彼の名声は高まっていった。高田賢三のデザインは、立体的なシルエットの西洋の服とは対照的な、和の美しさと民族衣装から着想を得た平面的で優雅なシルエットと、花柄を用いた豊かな色彩の装飾を一つにし、それまでのモードの歴史にはなかった、日本と西洋の美的感覚が融合するファッションをパリモードに確立した点に大きな特徴がある。高田賢三が歴史に名を残すのは、世界のファッションの文脈を更新したからに他ならない。

また、彼の偉大さはパリで暮らして道を切り拓いたところにもある。1980年代のパリモードに衝撃をもたらした川久保玲と山本耀司は、日本に活動拠点を置きながらの挑戦だった。だが、前述したように高田賢三はパリへ一人飛び込んで生きる道を切り拓き、世界のファッションを新しくするまでに至った。高田賢三の活躍は、後年日本人がパリのファッション界で活躍する礎になったのだ。そしてパリと日本に偉大な功績を残した高田賢三は、2020年10月、新型コロナウィルスの合併症によって81歳で亡くなる。

ファッション界の第一線を離れてから時間が経過するため、どうしても高田賢三の偉大さが今は伝わりにくくなっている。だが、NIGOが止まった時計の針を再び進めた。ケンゾーに保管された偉大なアーカイブを、NIGO自身の個性と融合させながら現代に甦らせ、未来を切り拓くファッションを提案する。デビューコレクションに引き続き、2シーズン目となる2023SSコレクションでもNIGOの姿勢に変わりはなかった。

新しさは過去にも眠っている。NIGOは、高田賢三の精神を引き継ぐ、正統なる後継者だ。

〈了〉

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