ヴァージル・アブローを感じるルイ ヴィトン

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AFFECTUS No.348

2021年11月28日、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH Moet Hennessy Louis Vuitton)は、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)が癌によって亡くなったことを発表する。ファッション界を襲った衝撃は、「ルイ ヴィトン(Louis Vuitton)」にメンズウェアのクリエイティブ・ディレクターが不在になったことも意味した。通常このような状況になれば、ブランドは新しいクリエイティブ・ディレクターを早期に決定するが、ルイ ヴィトンは後任ディレクターを置かず、デザインチーム体制によるコレクション制作を続けている。

6月に発表された最新2023SSコレクションを見ると、ルイ ヴィトンのこの判断は正しいと実感した。ヴァージルはもういないはずなのに、まるでヴァージルが手がけたようなデザインが披露され、コレクションの完成度には驚くほかなかった。

デザインチームが手がけた最新コレクションは、至る所にヴァージルの特徴が再現されていたのだ。ルイ ヴィトンにおけるヴァージルのデザインの特徴に、唐突な違和感があげられる。コレクションを見た時、「カッコよさ」「かわいさ「美しさ」という美的感覚を感じて、衝動を沸き起こすのがファッションに対する一般的反応だが、ヴァージルは違う。彼はストリートスタイルの中にオブジェのような造形を突如挟み込み、見る者に疑問を抱かせる。

幾何学柄の半袖トップスにスーバールーズなジーンズを合わせたルックは、まさにストリートスタイル。しかし、モデルはとてつもなく奇妙な造形をバックパックのように背負っている。スピーカーにのような大きな音響機材に見えるグレーと黒の巨大な造形が、モデルの背中で異様な存在感を放つ。

黒い3つボタンのテーラードジャケットは、両袖で素材が切り替わっているのだが、ピンク・イエロー・ブルー・グリーンといったカラフルな展開で、「LV」ロゴや花など様々なモチーフがポップに取り付けられ、クラシックな身頃と真逆のイメージを発信し、美的バランスのおかしいジャケットが完成していた。

代表的なルックを2つピックアップしたが、他にも多くの不思議にあふれたルックが発表されている。ルイ ヴィトンらしいシックなスーツスタイルに、ヴァージルのアイデンティティであるストリートスタイルを混ぜ合わせ、そこに違和感に満ちた造形をランダムに挟み込み、ヴァージルスタイルは完璧なレベルに再現されていた。

いや、再現というよりも凌駕と述べる方が正しい。

ラフ・シモンズ(Raf Simons)が創業者であるジル・サンダー(Jil Sander)を超えるジル・サンダーを創り出したように、ルイ ヴィトンのデザインチームはヴァージルを超えるヴァージルを創り出していた。

先ほど述べたスーパールーズなジーンズに、デザインチームの力量が見て取れる。色褪せたブルーデニムはかなりダボっとした分量で作られているが、ジーンズのパターンが蛇行して制作されているためにシルエットが波打ち、たっぷりとしたボリュームがさらに強調されていた。

強烈な癖はヴァージルの特徴だが、2023SSコレクションではスーパールーズジーンズのように、癖をさらにパワーアップさせる仕掛けが施され、ヴァージル本人よりも迫力が増していたのだ。

なぜ、ヴァージルがいないにも関わらず、こんなデザインが可能なのか。僕は呆気に取られてしまった。いったい、このデザインチームのリーダーは誰なのか。そしてこう思う。これほどのレベルのコレクションが制作できるなら、新しいクリエイティブ・ディレクターなど必要ない、と。

ルイ ヴィトンにとってヴァージルのディレクションは、経営的に成功だったのだと思う。「ケンゾー(Kenzo)」がディレクターをNIGOへ交代したように、一時期の勢いは衰えたとは言え(というよりも正常化したと言う方が正しい)、未だストリート人気は世界中で根強い。

世界のトレンドをリードしていたデザインを変える意味はないだろう。ヴァージルの世界が引き継がれるのなら、それがルイ ヴィトンにとってはベストに違いない。ましてや、ヴァージルを凌駕するレベルのヴァージルデザインを実現できるなら、新ディレクターを招聘すべきではない。

こんな不思議な体験は初めてだった。ラフのジル・サンダーは確かに創業者のジル・サンダーを超えていたが、ジル・サンダーの世界をなぞりながらラフの世界観が別に生まれている感覚だった。だが、2023SSコレクションのルイ ヴィトンは違う。ヴァージルの世界をなぞり、ヴァージルの世界の延長線上に新しさを生み出していた。

デザインチーム体制によるコレクションがこのレベルで続くならば、いずれ現デザインチームのリーダーが新しいクリエイティブ・ディレクターに指名され、名前が公になる日が来るかもしれない。その日を待ち遠しく思う気持ちを持ちつつも、僕はこのまま匿名の体制で継続してくれないだろうかとも思う。

あらゆる情報が容易に入手できる時代、モードファンにとって注目の情報、クリエイティブ・ディレクターの名が匿名でもいいのではないか。それを世界最高のラグジュアリーブランドが行う。そんな選択があってもいい。何かも明らかにする必要はない。僕は素晴らしいコレクションが堪能できるなら、それで十分だ。

〈了〉

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