セルフ ポートレイトの戦略

スポンサーリンク

AFFECTUS No.354

最近のコレクションシーンを観察していると、ダイナミックなデザインが久しぶりに甦ってきているのと同時に、懐かしさを感じさせるデザインが増加傾向にある。1970年代や1980年代、フォークロア、ヒッピー、レトロ、クラシックなど、その言葉の響きだけで懐古的な思いに浸れるファッションが現れ、最先端を求めてスピーディに進化していく時代に対するアンチテーゼのようにも感じられてくる。今回取り上げるブランドは、コンサバティブスタイルが象徴の「セルフ ポートレート(Self-Portrait)」だ。

毎シーズン、チェックしていたセルフ・ポートレイトだが、コレクションのデザインとブランド名、発表場所がニューヨークということもあって、僕はニューヨークブランドだと思っていた。しかし、それは勘違いでブランドの活動拠点はロンドンだった。そのことを知って僕は驚く。才気あふれるデザインが特徴のロンドンから、こんなにもコンサバなスタイルのブランドが生まれたのかと。

今回はいつもと趣旨を変え、コレクションデザインについて読み解くのではなく、コンサバファッションのセルフ・ポートレイトが世界中の350以上のショップ(ブランドサイト参照)と取引するまでに成長したデザイン要因を調べ、セルフ ポートレイトの成長プロセスに関する感想を述べていきたいと思う。

まずはデザイナーについて触れていこう。

デザイナーはマレーシア・ベナン島出身のハン・チョン(Han Chong)。1979年生まれのハンが育ったベナン島は自然に恵まれた環境で、モードファッションにあふれた都会ではなかった。そんな彼がどうしてファッションに興味を持つようになったのか。きっかけは16歳から17歳のころで、当時はロンドンの名門、セントラル・セント・マーティンズ(Central Saint Martins)美術大学を卒業した先生に教わっていたようで、その先生からセントラル・セント・マーティンズについて詳しく聞き、ファッションに対する興味を抱くようになった。

その後、ハンは18歳の時にマレーシアの首都クアランプールへ移り住み、セントラル・セント・マーティンズで学ぶためにイギリスへと渡る。ロンドンで学びながら、ハンはビジュアルアートの分野で活動し、「ヴェネチア・ビエンナーレ(Venice Biennale)」にも作品を出展している。しかし、多くの人々に感動を与えたいという思いから、アートよりマーケットの広いファッションへの本格進出を決意する。2011年に共同で「スリー フロア(Three Floor)」というブランドを始めるのだが、ハンはより自分の世界観を深めたブランドの設立を決意し、スリー フロアから脱退して2013年にセルフ ポートレイトを創設した。

ここまでが、ブランド設立に至るまでの経緯になる。ではセルフ ポートレートが何が要因となってファンを獲得し、ブランドのビジネスを飛躍させたのだろうか。

ブランドが人気を得るためには、象徴的なデザインが必要だ。オリジナル素材に定評がある、トレンチコートが得意といったように、何かしら代名詞となる特徴がブランドには必要だが、セルフポートレートの場合それはレースを用いたドレスだった。WWD JAPANのインタビュー記事によると、ハン自身もブランドのシグネチャースタイルを確立することを自覚し、レースを使ったデザインに注力していた。当初は資金も乏しいため、レースの使用量を抑えるなどデザインに工夫を施していたようである。

結果、見事にレースドレスがヒットし、ブランドが飛躍する契機となる。とは言っても、レースを用いたドレス自体は珍しくない。セルフポートレートで注目すべきは、コンサバファッションが基盤になっていたことだろう。

ハンは自身のデザインアプローチに関して、「ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)」の記事ではトレンドに左右されず、タイムレスなコレクション制作を意識していることを語っている。先のWWD JAPANの記事でも富裕層だけでなく、一般の女性にも着てもらうために「普通の女性」をデザインする際にイメージしていると述べている。

こういったハンの意識が辿り着いた結果が、コンサバファッションだったのだろう。モードの世界を好んでいると、コンサバファッションに対する興味があまり持てなくなるが、一般的に言えばコンサバファッションの方がマーケットが大きい。ハンはマーケットの大きいコンサバファッションを基盤にして、レースを使ったドレスというシグネチャーデザインの開発に成功した。

また、コンサバファッションを好む影響力の大きいセレブや王族たちが、セルフポートレートを着たことも重要な役割を果たした。ブラックピンク(BLACKPINK)、ビヨンセ(Beyoncé)といったアジアやハリウッドのスターたちが、オフィシャルでもプライベートでもセルフポートレートを愛用する姿が世界中へ広がった。イギリス王室にもセルフポートレートのファンはおり、キャサリン妃、ベアトリス王女、メーガン妃も、フェミニンでコンサバなセルフポートレートを着用し、その姿はInstagramを通じて話題を呼んだ。

コンサバファッションというマーケットの大きスタイルをターゲットに、コンサバファッションを好む影響力のある人物がファンになることで、ブランドの知名度と注目はさらに高まっていき、ビジネスも成長していく。セルフポートレートは見事な成長曲線を描き、世界中に卸先ショップが400店に迫るまで伸ばし、フラッグシップショップをロンドン、北京、香港、バンコクなどアジアを中心に12店舗出店するまでに至っている。ビジネス規模で言うと、古いデータだが2018年時点での売上は小売価格ベースで約171億円となっていた。

また2021年11月、ハンは新たに設立したSP Collectionという会社を通じて、経営危機に陥っていたイギリスブランド「ローラン・ムレ(Roland Mouret)」を買収し、ビジネスの再編に挑んでいる。2013年の設立から10年に満たない期間で、このような規模と成長を辿るファッションブランドがあったことに驚くほかない。

またブランドの成長に、お手頃のプライスで商品を発売した価格戦略も重要な要因となっていた。これは「3.1 フィリップ・リム(3.1 Phillip Lim)」と同様のアプローチである。手に届きやすいプライスで、モードなデザインが手に入る体験がファンを獲得したのだった。

デザイナーが自分の好きなファッションを軸にしてデザインするのは王道のアプローチだが、必ずしもデザイナーの好きなファッションに市場性があるとは限らない。デザインとしては面白い。しかし、その服を欲しいと思う消費者数が少ないのであれば、ブランドのビジネスは伸びない。ハンは、自分の好きなファッションと市場性がマッチした例だと言える。

ここで触れてきたデザイン全てを、ハンが戦略的に行ったかは定かではない。しかし、結果的には戦略的に行なったように感じられるほど、綺麗な成長を描いている。

僕がメディア「トキオン(TOKION)」で行うデザイナーインタビューの取材で、デザイナーたちに訊ねる質問がある。それは「ファッションデザイナーとして一番喜びを感じるのは、どんな瞬間か?」という質問である。その答えは皆ほぼ共通している。デザインした服を着てもらっている瞬間だった。ブランドは着たいと思ってもらえるからこそ、価値がある。その価値を提供できることは、ファッションデザイナーにとって至高の喜びだ。

そのためには戦略的アプローチも必要である。セルフポートレートの軌跡は、ファッションブランドが成長するためのヒントが語られている。

〈了〉

*参考資料
WWD JAPAN「レースのドレスでおなじみの「セルフ-ポートレート」デザイナーが語る、シグネチャースタイルの重要性」

Self-Portrait Official Site

Harper’s BAZAAR “How the timeless elegance of Self-Portrait has kept the brand thriving a decade on”

WWD “Meet Han Chong and Roland Mouret, Fashion’s Hottest New Power Couple”

スポンサーリンク