AFFECTUS No.355
トレンディドラマという言葉が流行っていた時代があった。『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』といったフジテレビのドラマが、全盛を誇っていた時代だと言っていい。あの時代の空気を感じさせるブランドが、ここ日本ではなくニューヨークに存在するとは思わなかった。「コミッション(Commission)」は、1980年代から1990年代のアジアカルチャーを投影したファッションを発表し、モードの文脈にアジアファッションをルーツに新たな解釈を刻む。
「なぜ、ニューヨークのブランドがアジアを?」
そう疑問に思われる方もいるだろう。コミッションの創設者は3人いるのだが、いずれのメンバーもアジア出身だった。ジン・ケイ(Jin Kay)は韓国、ディラン・カオ(Dylan Cao)とフイ・ルオン(Huy Luong)はベトナムで育ち、後に皆ニューヨークへ渡り、パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)へと入学する。ただし、3人が出会ったのは在学中ではなく卒業後だった。
彼ら3人の中に、アジア以外の国々で表現されるアジアがステレオタイプであることに疑問があった。「ファッションスナップ・ドットコム(Fashionsnap.com)」に掲載されたインタビューで、ディラン・カオはこう答えている。
「グローバルにおけるアジアのカルチャーについての表現は、とても一般化された、わかりやすいものがほとんどだと感じていました。アジアのカルチャーといえば中国に由来するドラゴンのモチーフだったり、お箸を髪飾りに使うような固定化した表現を目にすることがほとんど。日本やベトナム、タイ、韓国など、それぞれの国が持つニュアンスの違いについて語られることはあまりないのが現状です」
FASHIONSNAP「80〜90年代の働く母の服にインスパイア アジア人トリオ手掛ける『コミッション』とは?」より
これは現在も感じられることではないだろうか。例えば、日本は「寿司」「力士」「着物」といった形で表現されることが多いと感じる。
コミッションは、アジアの見え方を変えていきたいという創設者3人の思いが、ブランド設立の背景になっていた。ただ、一言アジアと言っても、それではコレクションを制作するにあたってやや抽象的で広範囲である。コミッションのコンセプトになったのは、1980年代から1990年代のアジア人女性たちのファッションだった。
3人は互いに母親の写真を見せ合うと、あることに気づく。先ほど述べた通り、ジン・ケイは韓国、ディラン・カオとフイ・ルオンはベトナムと出身国は違うのだが、自分たちの母親のファッションがどこか似ていたのだ。そしてコミッションは、1980年代と1990年代の母親たちとの思い出を中核にブランドがスタートする。
1980年代と1990年代を生きたアジアの女性をコンセプトにしたコレクションは、最新2022AWコレクションでも健在だ。基本的にデザインはシンプル&クリーンなのだが、そういった類のデザインから感じられるイメージはモダンが多くなる。だが、コミッションは違っていた。シンプル&クリーンだけれども、モダンではなくレトロな雰囲気が立ち上がっていて、それがたまらなくいい。
スカート、ワンピース、ロングブーツ、いずれもウィメンズウェアを象徴するアイテムだが、それらを着用した女性モデルたちの姿は洗練とは言い難い野暮ったさが滲む。テーラードジャケットとジーンズも発表されているが、シルエットはオーバサイズで硬質な印象も抱く。特に肩が落ちるジャケットのシルエットは、1980年代に流行した肩パッド入りのジャケットを思わせ、僕が子供として過ごしたバブルな時代を思い出させる。
ギャザーやドレープを用いたスカートとワンピースは、通常なら「かわいい」「きれい」と思わせるはずのウィメンズウェアにも関わらず、「かわいい」「きれい」と思わせない、またも野暮なテイストのウィメンズウェアがデザインされている。
過去のファッションをインスピレーションにデザインする手法は珍しくないが、現代のテイストに調整を施してコレクションを完成させるのが常だ。しかし、コミッションは少々異なる。サイズ感や色使いは現代的解釈も入っているように感じるが、現代の成分はやや薄く、どちらかと言えば1980年代、1990年代の服をなるだけ当時のテイストを保持したまま現代に引っ張ってきたかのようだ。
コミッションの3人は日本出身ではないが、彼らは北島敬三、ジョージ・ハシグチ、荒木経惟の写真をリサーチし、1980年代から1990年代の日本人を捉えていた。彼らが日本のリサーチを行なっていたからこそ、僕はトレンディドラマが流行した時代の日本を思い出したのだろう。
ファッションはいつだって「今」が一番新しい。過去のファッションは古く感じて「ダサい」と表現してしまうことがほとんどだ。しかし、コミッションは違う。コレクションのルックは過去を強く感じるというのに、カッコよさを僕は感じてしまう。
カッコよさを感じた理由はなんだろう。僕がコミッションを着るモデルたちを見ていて感じたのは、世間のカッコよさよりも自分の好きなスタイルを着るという姿勢だった。垢抜けてなくてもいい。ダサいと思われてもいい。これが自分の好きなファッションなんだ。そんな気持ちでファッションを着ること自体、今はちょっと古いかもしれない。
だけど、それはファッションの原点でもある。服を着て、自分を表す。時には人から好奇の視線を向けられる服を着てでも、自分を強烈に表現する。コミッションはファッションの原点を思い出させる。
〈了〉