東急不動産が手掛ける渋谷駅桜丘地区、東京建物による渋谷二丁目西地区など、100年に1度と言われる大規模の再開発が進む渋谷駅周辺へ来るたびに、迷宮を歩いてるような感覚に襲われる。案内板を見ても、道が複雑に入り組んでいて、どこをどう歩けばいいのか迷うのが常で、渋谷ヒカリエで開催される「タナカ(Tanaka)」2023AWコレクションのショーを見るために訪れた今日もそうだった。
2017年、ニョーヨークを拠点にスタートしたタナカの展示会は、毎回いつも新しさが感じられる。タナカのコレクションといえば、ブランドの象徴であるデニムを中心にしたアメリカのカジュアルスタイルが特徴だ。私が初めてタナカの展示会を訪れたのは2021年9月、2022SSコレクションだった。すべてのアイテムを男性と女性の双方が着用でき、植物が生きる過程を見ているような、繊細で、儚げで、静けさが滲むコレクションには、美しい退廃とでも言うような印象を受けた。
初めてタナカのコレクションを見た時は「きれいさ」、「かわいさ」を感じるデザインだったが、以降、展示会を訪れて最新コレクションを見るたびに、私の中で「カッコよさ」がタナカの魅力になっていく。男性や女性という性別に関係なく、人間のカッコよさを引き出す。そんな力強さが感じられるコレクションへと発展していった。
タナカは「これまでの100年とこれからの100年を紡ぐ衣服。時代、性別を超えて永く愛される衣服」というコンセプトを掲げ、ハイクオリティの服作りを探求する。オリジナルで開発されるデニムをはじめとして、素材、プリント、ディテール、シルエットなど、プロダクトとしてのクオリティをいつも感じさせる一方で、2023SSコレクションの展示会を訪れた際に私は「人間像」をデザインする新たな魅力を感じた。
フォトグラファーの小浪次郎が撮影したビジュアルは、アメリカの景色を背景にタナカのデニムを着用した若者たちを撮影し、青い空と青い海に映えるイエローデニムが美しく、若者たちの繊細な感性を繊細に写し出すエレガンスに私は見入ってしまう。
プロダクトとしての魅力に加え、人間像という新しい魅力を感じさせたタナカに、私は人が着て歩くショーでコレクションを見てみたいと、強く思うようになる。そして、今日は私が見たいと願っていた、タナカ初のランウェイショーが開催される日だった。
受付を済ませ、渋谷ヒカリエのヒカリエホールAの中へ入ると、椅子が並ぶ正方形のブロックが整然と配置されていた。通常、ショーは会場の中央に直線のランウェイを設けることが多い。しかし、今回のタナカは、碁盤の目状に並ぶブロックとブロックの間をランウェイに見立てる構成である。会場を一通り見渡し、私は京都や銀座のような街並みを想像し始めていたが、ニューヨークを拠点とするタナカにとってこの配置は、ニューヨークの街並みを表現したものだった。
会場の照明が一斉に落ち、中央にスポットライトが当たる。そこに登場したのはピアニストの壷阪健登。メキシコ遠征中だったKanの演奏を事前収録し、壷阪がライブで静かに演奏を始める。鍵盤の音色がゆっくりと響き始めると、上半身裸でジーンズを穿いた男性モデルと、ボトムは穿かず、上半身にGジャンを着用した女性モデルが現れた。デニムがシグネチャーのタナカらしい演出で、ショーの開幕を告げる。
会場内が明るくなり、BGMがリズミカルな響きに変わる。モデルはステンカラーのロングコートを羽織っていた。注目は色彩に富んだテキスタイル。レッド・イエロー・グレーに染まった四角の面をブラウンの直線で区切っていく柄は、ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)のコンポジションを思わせる。しかし、その色調はモンドリアンのように鮮やかではなく、古着のように褪せた色味だった。様々な色と柄をミックスさせたテキスタイルをコートやブルゾンに使用した序盤のルックは、多様な人種の人々が住むアメリカという国を連想させた。
白いハイネックのカットソー、褪せたブルーのペイントジーンズを穿き、民族服的色彩の素材で作られたダウンブルゾンをバックパックのように背負うルックは、外観はカジュアルスタイル以外の何者でもないのに、なぜかフューチャリスティックでアーバンなモードスタイルの空気を漂わす。
そして私にとって、今回のコレクションで最も印象的だったルックが登場する。それはアワードジャケットを着用したルックだ。アワードジャケットは、アメリカントラッドを代表するアイテムで、私が個人的に愛するアイテムでもある。
タナカのアワードジャケットはショルダーラインを強調する。厚みと広さが形作られた肩は、テーラードジャケットのコンケーブドショルダーと同様に力強く逞しい。このアワードジャケットを、タナカはスタイリングでも変化を加えていた。
アワードジャケットを着用する際、通常ならニットやスウェットなどを合わすものだが、ランウェイを歩くモデルたちはGジャン型のブルゾンをトップスとして着用し、その上に幅広いショルダーラインのアワードジャケットをレイヤードしていた。アメリカントラッドの王道アウターを重ねるブルゾンオンブルゾンは、カジュアルウェアの中のカジュアルウェアという趣である。
しかし、それほどまでにカジュアルな装いにも関わらず、私がモデルたちから感じたイメージは、スーツを着用している人間が醸す凛々しさだった。服はカジュアルにも関わらず、イメージはクラシック。タナカは混沌の世界へ導く。
その後、ニューヨークのアーティスト「Faile(フェイル)」とのコラボレーションで、キャンバスに描かれた絵画のような、ダイナミックでグラフィカルなデニムアイテムが次々と登場する。
いつしか私は「トライバル(tribal)」という言葉を頭の中に思い浮かべていた。様々な柄や色がミックしたテキスタイルや、ペイント、フラワーモチーフ、ストリートアートようなグラフィックが混ざり合ったスタイルから受けるイメージは、民族服に通じる荒々しさなのだが、服はアメリカ伝統のカジュアルウェアが基盤というコレクションが、不思議なギャップを体感させる。私はそのパワフルな感覚に惹きつけられ、デニムウェアが民族服に思え始めた。それは私にとって初めての感覚である。
パリ伝統のエレガンスとは違う美意識。かといって、「ヴェトモン(Vetements)」を発端に生まれた「アグリー(ugly)」と呼ばれる美意識とも違う。異なる人種、年齢、性別のモデルたちの服装が、近未来感を感じさせたかと思えば、古着のようにも感じられ、アワードジャケットルックをクラシックルックに錯覚させる服を着て、モデルたちは碁盤状のストリートを歩くように行き交っていく。そこには、日本のファッションに大きな影響をもたらしたアメリカのファッション、アメリカという国そのものをダイレクトに表現するパワーが宿っていた。
ショーの終盤、多種多様なデニムルックを着たモデルたちが、一斉に歩く様子に私はゾクっとする。それは、今シーズン見たショーでは、初めての体験だった。エレガンスではなくパワーを感じさせる。やはり今の私は、淀みなく端正な美しいファッションよりも、混沌とした強さのファッションに惹かれてしまうようだ。
フィナーレを迎え、ショーは閉幕する。終了後に行われた囲み取材を聞いていたが、翌日に午前中から2つのブランドの展示会取材を控えていた私は、最後まで聞けないこと惜しみながら、会場を後にする。
ヒカリエからJR渋谷駅の最短ルートはどれだ。またも私は渋谷の迷宮に戸惑う。整然としない雑多な街並み、入り組んだ地下通路、建設される高層オフィスとタワーマンション。だが、このカオスな感覚こそが渋谷だ。私は山手線に乗り、完成しないことが魅力の街から離れていく。
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