AFFECTUS No.416
女性モデルの上半身を覆うのはバストを隠す1枚の黒い羽のみで、ボトムに穿いているのは裾を引きずるスリムな黒のロングスカート。たった二つのアイテムだけで(しかもデザインは最高にシンプル)、新クリエイティブ・ディレクターのルドヴィック・デ・サン・サーナン(Ludovic de Saint Sernin)は、「アン ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)」のDNAを忠実に表現する。
やや着丈が長い黒いテーラードジャケット、緩やかにスレンダーな黒いパンツ、無骨な黒のロングブーツ、そしてジャケットの袖口からわずかに覗く白いシャツのカフス(もちろん、カフスのボタンは留めていない)。いずれもブランドの象徴となるアイテムであり、2023AWコレクションはまるで創業者のアン・ドゥムルメステール自身が復活したかのようなスタイルだ。
1985年に設立されたアン ドゥムルメステールは、創業者のアンが2013年にブランドを去り、以降はメンズラインのヘッドデザイナーを務めていたセバスチャン・ムニエ(Sébastien Meunier)が引き継ぐ。だが、2020年にムニエが退任すると、しばらくディレクター不在のまま、コレクションは発表されてきた。
デ・サン・サーナンが、久しぶりの新ディレクターとして就任が明らかになったのは2022年12月。創業者と同じくベルギー出身のデ・サン・サーナンは、2017年に自身の名を冠したシグネチャーブランドを設立していたが、知名度の高いデザイナーというわけではなかった。だが、知名度と実力は必ずしもイコールではない。デ・サン・サーナンのデビューコレクションが、そのことを証明する。
着用することに意味があるのかと疑問を抱かせるほど、モデルの肌を大胆に透過する黒い生地をフィットシルエットで仕立てたアイテムは、妖しく暗く艶やかで、まさにアン ドゥムルメステールの世界そのもの。デ・サン・サーナンは、自身のオリジナリティを出し尽くすよりも、ブランドの原点に立ち返ることを重視していた。
それでは、アンと全く同じデザインなのかというと少し異なる。それを感じたのはシルエットだった。たとえウールのジャケットでもあっても、アンの作り出すシルエットは薄手のコットン生地で縫われたロングシャツを着ているように、流麗で儚げな装いを演出する。一方、デ・サン・サーナンのシルエットは、アンよりも直線的で硬質な印象を受けた。
8番目に登場した黒いレザーコートが、デ・サン・サーナンの特徴を表すアイテムだった。ショルダーラインは、トレンドのドロップショルダーではなく、モデルの肩幅に合わせたジャストの寸法。肩パッドを入れて、かなりの厚みを作り出し、地面と並行なフラットラインを形作る。やや高い位置でシェイプするウェストラインがショルダーラインの逞しさを強調している。もし、アンが黒いレザーコートを発表したら、もっとセンシティブなムードに仕立てていただろう。それに対し、デ・サン・サーナンのレザーコートはクールでスタイリッシュ。
ショーの終盤には、ブランドを代表するシルエットであるロング&リーンで作られたロングドレスを発表するが、レザーコートと同様にアンのデザインよりも直線的かつシンプルな印象を受ける。ブランドのシグネチャーシルエットだからこそ、アンとデ・サン・サーナンの違いがクリアに感じられた。
創業者のコレクションと似ているようで、わずかにズレている。これはポジティブな意味を込めた表現だ。私はブランドのDNAを重視するバランスが現在のアン ドゥムルメステールにはふさわしいように思えた。ブランドには大胆な刷新、もしくは原点への回帰が求められる時期がある。ディレクター不在でのコレクション発表が続いていたアン ドゥムルメステールは、いささかブランドの色がぼやけているように見えた。一度ブランドの原点に立ち返る必要があったタイミングだったのではないか。私は、原点回帰を果たしたデ・サン・サーナンの選択に聡明さを感じる。
今後、発表が続いていけば、新ディレクターの個性が強くなっていくこともあるだろう。その時、どんなアン ドゥムルメステールが誕生するのか楽しみではあるが、今は伝説のダークロマンティックが蘇ったことを喜びたい。
〈了〉