現代社会を眺めるデムナ・ヴァザリアの特異な才能

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AFFECTUS No.427

昨秋、「バレンシアガ(Balenciaga)」はホリデーキャンペーンのビジュアルで大きな批判を浴び、社長兼最高経営責任者(CEO)のセドリック・シャルビ(Cedric Charbit)がバレンシアガのInstagram公式アカウントに謝罪文を掲載し、アーティスティック・ディレクターのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)も、自身のInstagram公式アカウントで謝罪する事態に陥っていた。

問題になったキャンペーンビジュアルとは、首輪などのボンテージギアを着けたテディベア型のハンドバッグを持った幼児が写され、別のビジュアルでは、デスクの上に児童ポルノに関する裁判の判決文と思われる資料が置かれ、その資料の上にバレンシアガのバッグが置かれている、というものだった。

これらのビジュアルが「子どもを性の対象にしている」と大きな批判を浴び、冒頭で述べた通り、CEOのシャルビとヴァザリアが謝罪することになり(批判されたような意図はなかったと釈明)、キャンペーンビジュアルはすぐに取り下げられた。

大きな批判を浴びたホリデーキャンペーンに、アーティスティック・ディレクターのヴァザリアがどこまで深く関与していたかは不明だが、ヴァザリアには現代社会の様子から発想を得たようなコレクションを発表する特徴がある。今回は、ヴァザリアが持つその特性について語っていこう。

今年5月に発表された2023Pre Fallコレクションでは、まさにヴァザリアならではのルックが発表された。服自体は、近年のバレンシアガの特徴であるテーラードジャケットやロングコートなどを多用したクラシックスタイルを軸に、フーディやジーンズなどのストリートウェアを混ぜ合わせた、ヴァザリア得意のスタイルが披露された。肩幅はビッグショルダーで、シルエットも厚みと幅のあるものが多く、「ヴェトモン(Vetements)」時代からお馴染みのルックが、バレンシアガのシックな世界観の中でデザインされている。

プレフォールコレクションということもあってか、ランウェイで発表されるメインコレクションに比べ、攻めたデザインは控えられた大人しいデザインで、服そのものに特別な特徴は見られない。ではどこに、ヴァザリアならではの特徴が現れていたかというと、それはモデルたちのポーズにあった。

30型発表されたルックのすべてで、モデルは片手にスマートフォンを持ち、自らを撮影しているような姿を見せていた。そのポーズは、試着室で服を着て自らのファッションを撮影して投稿する、SNSでよく見られる写真を思い起こさせる。

ヴァザリアは、SNSで頻繁に見かける写真を思わすルックで、何を伝えようとしていたのだろうか。おそらく、何も伝えようとしていない。2023Pre Fallコレクションのルックに特別な意図はなかったように思う。

これは、私の勝手な解釈にはなるが、ヴァザリアはこの試着室フォトを単純に「面白い」と思っただけではないだろうか。

「これは面白いな。よし、コレクションのルックでやってみよう」

そのぐらいの軽い姿勢だったように思う。

なぜ、私がそのように感じるのかというと、ヴェトモン時代からヴァザリアには同じような特徴が見られたからだ。ヴェトモンでヴァザリアは、ドイツの国際輸送物流会社「DHL」のロゴを模したTシャツを発表したが、アートや美しい風景、スタイリッシュなグラフィックデザインがプリントに用いられることが、常識のモードファッションでは異端と言えるデザインだった。日本で例えるなら、「アンダーカバー(Undercober)」が佐川急便やヤマト運輸の制服やロゴをモチーフにした、最新アイテムを発表するようなものだろう。

他にも、ヴェトモンが活動拠点をパリから拠点をスイスのチューリッヒに移した際には、プロフェッショナルなモデルは起用せず、街ゆく老若男女に最新コレクションを着用してもらい、最新コレクションを発表したことがある。それも、プロのモデルを起用するよりも面白いルックが見られそうだという、ライトな理由に感じられる。

なぜそう思うかのというと、発表されるビジュアルやデザインが、発想源からストレート過ぎるデザインに感じるのだ。もし、現代社会を風刺するデザインを発表するなら、もう一癖二癖捻ったデザインが生まれたのではないか。

先述の試着室フォトならば、背景を試着室のような壁に囲まれたセットは使わず、たとえばスマートフォンを持つモデルを、何十人の人々がスマートフォンを持って周囲を壁のように囲んで、中央のスマートフォンを持つモデルを撮影するルックを作る。そうすることで、現代のSNS社会を風刺するような表現が可能だった。しかし、ヴァザリアにはそのような表現はほとんど見られない。

ヴァザリアは、自身が面白いと思った元ネタをそのままストレートに、モードの舞台へと登場させる。しかも、その元ネタはDHLのように華やかさとは無縁の、モードとは遠い距離のあるものだ。これまで人々がモードでは無価値と思えたものをピックアップし、極力手を加えず、最新コレクションとして発表する。この手法は、元ネタの面白さを純度高く感じてもらうには有効なアプローチで、あのマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)を彷彿させる。ただ、マルジェラには一癖ほど捻りがあり、ヴァザリアの方がより異彩を放つ。

私はデムナ・ヴァザリアというデザイナーが、面白さに対してピュアな人物に思えてしまう。面白いと思ったものに、純粋無垢な反応をしてモードにするヴァザリアの特徴を思うと、もしかしたら、今後もバレンシアガは物議を醸す可能性があるかもしれない。もちろん、これはあくまで推測に過ぎない。だが、ヴァザリアが持つ天性の感覚は、どうにか上手く生かされてほしい。私はそう強く願う。

〈了〉

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