カルチャーの申し子アヴァ・ニルイ

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AFFECTUS No.454

「ザ・ビジネス・オブ・ファッション(The Business Of Fashion)」で、面白い記事を発見する。現在、「ヘブン バイ マーク ジェイコブス(Heaven by Marc Jacobs)」(以下、ヘブン)がZ世代に大変な人気を得ているという記事だった。「マーク ジェイコブス(Mark Jacobs)」のディフュージョンラインとして2020年に誕生したヘブンは、1990年代のグランジやレイブをリファレンスしたデザインが、ポップな魅力を放つと同時にノスタルジーを誘い、1990年代には生まれていないはずの2000年代生まれの若者たちの心を掴んでいる。

ヘブンのアートディレクターを務めるのは、アヴァ・ニルイ(Ava Nirui)。私はニルイの歩みが気になり、インターネットの中を探索し、彼女に関する情報を取集する。これまでどのようなキャリアを重ね、マーク ジェイコブスで一つのラインを任せられ、成功させるまでになったのか。今回はアヴァ・ニルイとはどのような人物なのか、彼女の足跡や背景を辿ることで知っていきたいと思う。

ニルイが注目を集めるようになったきっかけは、彼女が制作したブートレグだった。

ブートレグ(Bootleg)とは、一般的には非公式に制作、または配布された商品やコンテンツを指し、音楽、映画、ファッションアイテム、書籍などさまざまな分野で使われる用語になる。ブートレグ作品は、正規の製造元や権利者による許可を得ずに製造され、販売されることもある。

ファッションの世界でブートレグは、有名ブランドのロゴや、デザインを模倣して作られた非公式の服やアクセサリーを指すのだが、権利者の許可なしに作られるため、しばしば問題を起こす。しかし、独自のアプローチやアイデアを用いて有名なデザインをアレンジすることで、新しい視点や表現が生まれることもあり、制作者が注目を集めることもあった。ニルイもその一人ということになる。宝石で飾られた「クリスチャン ディオール(Christian Dior)」の吸入器、「プラダ(Prada)」のダストバッグから切り取ったベスト、「ルイ ヴィトン(Louis Vuitton)」のバービー人形など、ニルイは数々のブートレグを自身のInstagram(@avanope)で発表し、人気を集めていく。

オーストリア出身のニルイは、2013年にニューヨークへ移住する。ここで彼女にとって、転機となるブートレグを発表する。それが、ブランドロゴ「Mark Jacobes」の綴りを、「Marc Jacobs」と間違えた綴りで、子供の落書きのような筆致で書いスウェットだった。そのアイテムが、マーク・ジェイコブス本人の目にとまり、ニルイはブランドとコラボレーションを行うことになったのだ。これがニルイと、ジェイコブスがつながるきっかけだった。まさに、SNSが生活に欠かせない世界となった21世紀ならではの出会いと言えよう。

そこから、ニルイはマーク ジェイコブスで単発のコラボレーションをいくつか発表し、それが好評を博していく。そのプロセスを経て、2020年にヘブンが始動する。ブランド名の由来は、ジェイコブスの口癖にあった。彼は自分の好きなものを表現する際に「Heaven」と言い、そのことから「Trademark」と呼称されるはずだったブランド名は「Heaven」に変更されたのだった。

また、2017年に「ヘルムート ラング(Helmut Lang)」が、イギリスメディア「デイズド(Dazed)」編集長のイザベラ・バーリー(Isabella Burley)を、「エディター・イン・レジデンス」というポジションで迎えるプロジェクトを行なっていた際に、ニルイはデジタルエディターとしても参加していた。

ニルイは、生粋のファッションデザイナーというキャリアを歩んできたわけではない。学生時代には、レイブなど自身が影響を受けたカルチャーからインスパイアされたスクリーンプリントのTシャツを制作し、クラスメートに販売するなど、独自にクリエイティブを楽しむ人間だった。ロンドンのカルチャーメディア「ザ フェイス(The Face)」のインタビューでは、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)の作品に対する愛を示し、スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)の『E.T.』を観たことがないというインタビュアーに対して、「信じられない!」といった調子で語るなど、映画に対する愛情の深さが窺える。

ニルイが手がけたヘブンの特徴には、コラボレーターとの取り組みがあげられる。2020 FALLコレクションでは、日本ストリートのバイブルと言える1997年創刊「フルーツ(Fruits)」を手がけた青木正一にルック撮影を依頼する。完成したルック写真には、1990年代の懐かしき空気が匂う現代のストリートスタイルが写し出されていた。

アーティスト、デザイナー、写真家など、ヘブンは様々なクリエーターと手を組み、コラボレーションを行なってきた。そうして完成したコレクションには、パリのランウェイではお目にかかることのできないスタイルが登場している。モデルたちは、まるでTikTokerたちがスマートフォンの向こうから飛び出してきたように、ポップな空気を放つ。カルチャーが創作源となり、様々な人間を巻き込むようにコレクションを作り上げ、ヘブンは世界へと波及していく。

ブートレグとInstagramを武器に存在感を高め、ニューヨークファッション界の天才に認められ、ディレクターとして世界で注目の人気ブランドを作り上げる。私は、ニルイのキャリアとクリエーションを見ていると、「カルチャーの申し子」という言葉が浮かんできた。彼女の服は、素材の原料にこだわり、高度な技術や加工に重きを置く服とは、まったく異なるものだ。1990年代のカルチャーを、Z世代が愛される色使いと形にして届ける。その服の虜となった人々が集まり、そこがヘブンであるかのように、若者たちは夢中になるのだ。

現代は、服をデザインするのではなく、コミュニティをデザインする技量が必要なのかもしれない。服作りの手法が変われば、新しい服が生まれる。アヴァ・ニルイはファッション界に新たな文脈を刻んでいく。

〈了〉

*参考資料
i-D「Heaven by Marc Jacobsがネットの一大現象になったわけ」
SSENSE「背景を視るアヴァ・ニルイ」
BRITISH VOGUE “Creative Force Behind Marc Jacobs’ Heaven Line”
THE FACE “Just like Heaven: an exclusive look at the brand’s new collection”
The Business Of Fashion “Can Gen-Z Save Marc Jacobs Again?”

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