精神を解放したいならヴァケラを着よう

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AFFECTUS No.468

2023年9月25日、2013年設立の「ヴァケラ(Vaquera)」は、モダンやクールが代名詞のニューヨークから、パリに勝るとも劣らない創造性を発信した。発表された2024SSコレクションを一言で表すなら古着屋だ。レジメンタルタイ、トレンチコート、ホワイトシャツが登場してクラシックかと思えば、縄で身体を縛りあげるような形のスイムウェアはボンテージ、ネット地を使用したカーディガンはグランジ、オリーブカラーのブルゾンやスカートはミリタリーテイストにあふれている。

他にもファーで耳と頭部を覆うロシアの帽子ウシャンカや、同じようにファーをたっぷりと使ったマフラーやドレスは、ゴージャスというよりも箪笥の奥に眠っていた祖母のファッションを思わす色調と質感。どの服も新しいはずなのに、新しさよりも古さを感じる。いくつものファッションが入り乱れ、混じり合い、ランウェイをモデルたちが歩く。

ヴァケラから迫ってきたイメージは、ファッションだけにとどまらない。今回のコレクションには黒い帽子を被るモデルたちが登場するのだが、その帽子の形状と素材の質感はスタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』を連想させた。

また、白・黒・オリーブ・チョークストライプ・ファーといった素材と色と柄は、1990年代のマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)的であり、ココ・シャネル(Coco Chanel)が被ってそうなシックな帽子とサングラス、白と黒のツートンカラーによるウィンドウブレーカー、白いビキニと白いヒールを合わせたルックは、異なる歴史と異なるスタイルが入り乱れ、さながらジョン・ガリアーノが作り出した世界のように混合的。

そしてヴァケラは、ファッション・カルチャー・デザイナーなど様々なファクターがミックしたスタイルを、造形の力によってさらにパワーアップさせていく。

ベーシックな白いシャツも一筋縄ではいかない。常軌を逸したサイズに巨大化されることで、足元が隠れてしまい、長い前髪で目元が覆われた表情で歩くモデルの姿は、さながらゴーストのよう。先述したツートンカラーを用いたスポーティなウィンドウブレーカーは、着丈がウェストラインよりも短く、腹部を露わにする。足首まで着丈が達するブラックドレスは、身頃部分の胸から腹部にかけて角が丸みを帯びた逆三角形型に穴が開けられ、肌が大胆に見えていた。バストの先端も現れているのだが、黒い大きなニップレスのような丸い形状の布地でバストトップが覆われている。

終盤に登場するポロシャツルックも異質だ。極端に着丈を短くカットしたポロシャツを着るモデルは、露わになったバストを両手で隠す。視線を下方に移すと、本来ならボトムの下に穿かれているはずのピンクの下着が、ボトムの黒い生地の上に貼り付けられていた。ヴァケラは、服の常識を書き換えていき、服のイメージをとことんかき乱す。

あらゆる要素が破綻的につながるデザイン。これはミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)に通じる手法だ。ミウッチャの「悪趣味なエレガンス」は、色・柄・素材・ディテールなど、彼女が興味を持った要素すべてを一つにし、コンサバスタイルをベースにして表現する。一方、ヴァケラはクラシック・ミリタリー・ストリートなど、ミウッチャに比べて基盤にするスタイル自体も混ざり合う。そのため、ミウッチャが制作するコレクションよりもパワフルな印象だ。誤解を恐れず言えば、猥雑と称したい不調和世界であり、美しく整えられたコレクションとは遠い距離にあるファッション=ヴァケラは、混濁を武器にランウェイを駆け抜けていく。

今、ファッションは二極化している。一つは、上質な素材をシンプルな服に仕立てた美しさを尊重するクワイエット ラグジュアリー。もう一つは、ヴァケラやミウッチャのように、調和に価値を置かないスタイル。エレガンスを着たいのか、パワーを着たいのか、その判断は消費者に委ねられた。

そこに正解はない。一人の人間が、今日はキャメルカラーのシンプルなコートを纏い、明日は花柄とストライプを接ぎ合わせたロングシャツに袖を通す。そんな矛盾があってもいい。ファッションは人間の数だけスタイルがある。だが、今は一人の人間の中にも複数のスタイルが存在する世の中だ。好きな服に境界を設けることはない。すべての好きを着ればいいのだ。自身の感情を縛りつけるな。ヴァケラは自由になったあなたの気持ちに応えてくれる。

〈了〉

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