世界への反抗を示した一人の天才 – Raf Simons 2016AW トラディショナルニット-

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AFFECTUS No.542

世界はデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)の手中にあった。究極に簡潔なスタイルのノームコアを経た2014年、後に世界のファッションをストリートで覆い尽くす「ヴェトモン(Vetements)」が誕生する。ヴァザリアの覚醒によって誕生したヴェトモンスタイルは、新時代のファッションを探究するモードのみならず、マスマーケットにまで影響を及ぼし、街中がビッグシルエットの服であふれかえるほどの影響力を持った。

最先端ファッションを競うモードにおけるヴァザリアのパワーは絶大だった。パリのみならずミラノでもニューヨークでも、各都市で発表されるコレクションはどこを見てもビッグシルエットばかりで、ここまで一つのブランド、いや一人のデザイナーの影響力が世界中に波及した例はかつてない。2000年代前半、ロック&スキニーで世界の覇権を掴んだエディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(Dior Homme)」でさえも、ここまでの影響力はなかった。

他とは異なる独自性が価値であるはずのモードで見られたシルエットの同質化。この強大なコンテクストに抗うことは不可能なのだろうか。しかし、一人の天才が反抗の精神を示す。2016AWシーズン、当時「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」のアーティスティック・ディレクターを退任し、久方ぶりにシグネチャーブランドのみの発表に集中したラフ・シモンズ(Raf Simons)が世界を支配するヴェトモンに戦いを挑む。

ファッションデザインとはカウンターの歴史でもある。カウンターとは、その時代の主流だったファッションに対して、まったく異なる方向性のファッションを提示し、新たなる潮流を作り出すことを意味する。例えばモード史が誇る大天才マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は、華美と華飾であふれた1980年代への反抗を示すように貧困者を思わすシャビールックを提示し、時代へのアンチテーゼを表明することで新時代を切り拓いた。

このようにカウンターとは「服そのもの」を新しく見せて、モードの文脈に新しい方向性を作り出すものを指す。しかし、服そのものだけが新しさを表現するとは限らない。服の形態はトレンドへ追従するように見えて、服に付随するイメージを変えることでカウンターを示すことも可能なのだ。それを証明してみせたのが、シモンズが発表した「ラフ シモンズ」2016AWコレクションである。

このコレクションが発表された2016年当時を改めて振り返ろう。冒頭で述べたように、時代はストリート一色に染まっていた。ルーズなビッグシルエットに、フーディやロゴTシャツといったストリートを代表するカジュアルでラフなスタイルが、時代を象徴するファッションとなっていた。

ストリートと聞いて思い浮かべるイメージは何だろうか。その多くはアウトサイダーなイメージだろう。代表的な例は、ストリートのキング「シュプリーム(Supreme)」が1994年に行なったアクションに表れている。当時、シュプリームはニューヨークのマンハッタンにショップをオープンしたばかりの小さな存在だったが、賛否両論招く方法で知名度を上げていくのだった。

ニューヨークが世界に誇るブランド「カルバン・クライン(Calvin Klein)」がモデルのケイト・モス(Kate Moss)を起用したモノクロ広告に、シュプリームはあの有名な赤いボックスロゴのステッカーを貼り付け、それを大胆にもマーケティング材料として用いてブランドの知名度を飛躍的かつ瞬時にして高めた。他社の広告にブランドロゴのステッカーを貼って自社の広告に使うとは、品行方正とは程遠い行為である。だが、この行為にこそ野心的な創造性が滲み、現代ストリートのイメージには社会の規範を超えていこうとする大胆さと挑戦心が宿っていることを教える。

ビッグシルエットのストリートスタイルで覆い尽くされた世界線にカウンターを示すには、スマートシルエットでインテリジェンスなスタイルを作ることが考えられるだろう。しかし、シモンズが試みたアプローチは違う。彼は、ヴァザリアの象徴であったビッグシルエットを積極的に用いることを選択した。ファッション的表現を用いれば、こう言うのが正しいだろう。トレンドを用いて、トレンドを否定したのだ。

どのようにして?

シモンズがコレクションの基盤に選んだスタイルは、ストリートとは対極のイメージを持つトラッドスタイルであり、彼が用いたトラッドからはアメリカントラッドが連想されてくる。アメリカントラッドとは、アメリカ東海岸に位置するエリート大学であるアイビーリーグの学生たちが着用していたスタイルに端を発する。そのファッションは学生たちのスタイルであるがゆえに基本はカジュアルなのだが、決してルーズではなくスマートな上品さが醸し出されている。

スマートなシルエットで上品かつ軽快に仕立てられた服こそが、アメリカントラッドの王道だ。しかし、シモンズはストリートの象徴であるビッグシルエットでトラッドアイテムを作り上げ、ビッグシルエット=ストリートの図式を破壊する。

2016AWコレクションでシモンズの知性を象徴するアイテムが、トラディショナルニットだ。モデルが着用するのは、左胸にはビッグサイズで作られた「F」のアルファベットワッペンが取り付けられた、深紅に染まったVネックニット。アイテムだけを見れば、アメリカントラッドを代表する極めてベーシックなアイテムと言えよう。しかし、シモンズはシルエットをストリートの象徴であるビッグシルエットで作る。そうすることで、アメリカントラッドのニットは、これまでにないアメリカントラッドなニットに作られていた。

ボディラインを不明瞭にする巨大な身幅、手を覆い隠す太く長い袖、みぞ落ち付近にまで深くえぐられたVネック。トラディショナルニットの当たり前のディテールが、一つ一つ過剰に解釈されてデザインされ、ストリートウェアのようなトラッドウェアが完成していた。しかし、シモンズの仕掛けはそれだけで終わらない。ニットのネック・袖口・裾はほつれ、退廃的な表情を覗かせていた。このルーズなムードはストリートにも通じるものだ。

シモンズはビッグシルエットのストリートに対して、真逆に位置するスマートシルエットで作られたクリーンなファッションをカウンターとして打ち出すのではなく、あえて世界を支配していたビッグシルエットの波に乗り、だがイメージをストリートとは対極の世界線を生きる上品で爽やかなアメリカントラッドへと転換することで、当時のファッションデザインの文脈にカウンターを仕掛けた。

シモンズが示したアティテュードは、まさにトラッドスタイルに通じる知性である。この赤く染められたトラディショナルニットは、シモンズがヴァザリアに仕掛けた高度なゲームの証明でもある。モードは知性を纏う。

*このタイトルは、2024年7月17日にInstagramのストーリーズに投稿したものを、一部加筆・修正を行って再掲載したものです。

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