ミスター・ハイファッションという名のファッション文学

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AFFECTUS No.602

「モードファッションを本格的に好きになるきっかけは何だったか?」

そう訊ねられたら答えは一択。「ミスター・ハイファッション」と答えるしかない。このファッション誌があったから、アントワープのデザイナーやエディ・スリマン(Hedi Slimane)、トム・フォード(Tom Ford)たちに夢中になったと言える。ハイクオリティのビジュアル、ファッションにまつわる多面的な企画、デザイナーを深掘りするインタビュー、そして何よりも魅力だったのは、その言葉を読んでいるだけで高揚してくる美しい文章。誌面に綴られた言葉は、まさにファッション文学と呼ぶにふさわしいものだった。

想像が膨らむ文章には、そうそう出会えるものではない。ましてや視覚で訴えるファッションにおいて、言葉でファッションの魅力を伝えることは至難の業だ。だが、「ミスター・ハイファッション」は困難なことを成し遂げてきた。2ヶ月に一度発売される「ミスター・ハイファッション」を購入することは、「ラフ・シモンズ(Raf Simons)」の服を購入することに勝るとも劣らない楽しみだった。

「ミスター・ハイファッション」では通常のファッション誌と同様に様々な企画が毎号展開される。私の記憶に今も残っている企画といえば、2001年12月号の創刊20周年特別企画。「ミスター・ハイファッション」編集部は、世界のデザイナーに向けてポロライドカメラと質問リストを発送し、デザイナーたちはそのポロライドで様々な写真を撮り、質問に答える。それが58ブランドのデザイナーによって行われた。

撮影された写真は、デザイナーの視点を見る面白さがあり、質問への回答にはデザイナーの思考を読む面白さがあった。ポロライドカメラで撮影するという企画なのに、シモンズは2002年春夏コレクションのビジュアルを画像データで送るという、企画の趣旨を無視していた。だが、シモンズが選んだ写真はとびっきりにカッコよかったため、企画の無視など些細な問題だった。

ファッションデザイナーにとっての言葉は服が語るものかもしれない。だが、ミスター・ハイファッションの質問に対して、58ブランドのデザイナーたちは多くの言葉を語っていた。

特別企画がある一方で、毎号掲載される連載企画もある。その中で私が一番楽しみだったのは、世界中のデザイナーのアトリエを訪れるシリーズ。この連載では、ミスター・ハイファッションがブランドのアトリエを訪れ、デザイナーへのインタビューはもちろん、ブランドで働く様々なスタッフにもインタビューし、ブランドの魅力をあらゆる角度の声から浮き上がらせるもの。誌面はモノクロだが、アトリエを撮影した写真も毎回掲載され、それらの写真が鮮やかに見えるほど輝いていた。

最も印象に残るアトリエシリーズは、2001年4月号で取り上げられた日本ブランド「アトウ(Ato)」。この記事は私が生涯で一番興奮したファッション記事だ。「アトウ」は黒を基調にしたストイックなシルエットの服が非常にカッコよく、何着も購入していた。当時の「アトウ」はデザイナーの名前と背景、素顔を公表しておらず、それがミステリアスだった。

自分が夢中になっていたブランドのアトリエシリーズなのだから、興奮したのはもちろんなのだが、この記事の文章が何よりも美しい。取材し、記事を執筆したのは小島伸子。「ミスター・ハイファッション」の記事をいくつも手がけ、文章を読むだけですぐに小島が書いたとわかるほど独特のリズムとエレガンスがあった。

「アトウ」の記事でも小島のセンスは輝く。単にテーラードジャケットについて説明しているだけなのに、小説の一文を読んでいるかのように頭の中でジャケットが形作られ、想像された形に興奮してしまう。極めつけは最終ページに掲載されたデザイナーのインタビュー。デザイナーのこれまでの歩みと、これからの目標と覚悟について綴られた文章を読んだ時の興奮は、24年経った今も忘れられない。ただデザイナーの言葉を伝えるだけでなく、デザイナーの感情から解釈した小島の言葉が挟み込まれ、それが何よりもカッコいい。

言葉からファッションを面白くしていく。言葉がファッションを面白くする。言葉でこそ伝わる、ファッションの面白さがある。それを教えてくれたのがこのファッション誌だった。現在、保管している「ミスター・ハイファッション」を手離すことはない。これからも折りに触れて読み返すだろう。あの興奮を味わいたくて。ファッションを読むことの興奮を。

〈了〉

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