今回の「ダブレット(Doublet)」の展示会場は、これまでと異なる場所だった。前回までの会場はややアンダーグラウンドな雰囲気だったが、今回の会場は明るく開放的。地下に降りていくのだが、むしろ地下の方が朗らかな印象を受ける。2025AWコレクションのテーマは「ヴィラン(Villain)」。英語で「悪役」を意味する言葉だ。
展示会場の優しく柔らかな雰囲気とは似つかわしくない言葉。この対比を感じさせることで、テーマへ惹きつける効果を狙っているのだろうか。いかんいかん、「ダブレット」のコレクションはつい考えてしまう。
ここで、本コレクションのリリースから一文を引用したい。
「世界には深い割れ目を持った人間がたくさんいる。彼らは、誤解され、周囲からズレていると否定される。人は彼らに正しさを押し付け、役立たずな存在だと決めつける。その秘められた可能性に見向きもせずに。
正しさとは何か。誰目線の正しさなのか。そんなものに自分を押し込む必要なんていない。曲がったままでも、曲がった部分にきっと何かが生まれる。」
この文章を読んでいると、自分は新しい価値をどこかで見落としていたのではないかという気持ちになる。一旦、思考することは脇に置いて、印象に残ったアイテムを見ていこう。一番最初に紹介したいのはジーンズだ。


一目見ただけで、その異形なパターンのダイナミズムに圧倒されるジーンズ。このボトムは、衣服の生産過程で発生する布地の廃棄量を削減するために開発された「アルゴリズミック クチュール(Algorithmic Couture)」の技術によって生まれた。「シンフラックス(Synflux)」が手がけたこのパターンは、廃棄を減らすという機能的な目的を持ちながら、同時に造形としての面白さも生み出している。
ひとつの目的を突き詰め、さらに追求し続けることで、思いもよらない新たな価値が生まれる。そんな実例を目の当たりにし、心が躍った。
ハンガーにかかった状態では異様なフォルムのジーンズに見えるが、モデルが穿いた姿は大腿部に、微かなボリュームを含むスマートなシルエットに生まれ変わっている。「歪さ」が「洗練」に移り変わったとも言える。

2025AWコレクションのルックを見た時から、実際に見たいと思っていたアイテムがある。それが刺繍の施されたテーラードジャケットだった。

クラシックな服の上で、チェーンをモチーフにして飾り付けられた刺繍がパンキッシュ。一般的に刺繍とは、服を華やかに見せるものに使うテクニックだろう。しかし、「ダブレット」では服を朽ちさせるために用いられたかのようだ。ミニマルな服を好む私だが、このジャケットとパンツを着用して街を歩きたくなった。シンプルにシルエットがいい。形の魅力と破天荒な刺繍の対比が心地よい。

セットアップで歩いていたら目立つだろうが、私が生まれ育った神奈川県川崎市の南部なら「川崎だから、こういう人もいるよね〜」と納得されて、街に馴染むだろう。その冷めた視線も心地よくなりそうだ。
グラフィック的にインパクトのあったアイテムは二つ。まず一つ目は、抹茶で染めたライダースジャケット。


抹茶の染色ということで、茶道の礎を築いた茶人である千利休をグラフィックに用いていた。後ろ身頃の利休は、なんとも悪そうな表情。いや、悪そうというよりもホラー映画に登場しそうな利休と言った方が近いだろうか。現代のお茶についてどんな感想を言うのだろう。
もう一つは特攻服。紫の色に漢字の言葉が並ぶ、王道の特攻服デザインだ。


「打舞列島」と書いて「ダブレット」と読む。後ろ身頃のメッセージには、捨てられるものに価値を見出す姿勢が綴られている。
最後に紹介したいのは、これまたハードなジャケット。

「ヴィンテージウェア」と呼ぶのはお洒落すぎる。もっと泥臭く、粗野で野生味にあふれた服。素材の燻みと汚れに惹きつけられる。
今回紹介するアイテムは以上になる。
ファッションにおける価値とは何だろう。決して高級なものだけに、価値があるとは限らない。それを最初に教えてくれたのは、自分にとってはマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)だった。過去に発表した服を、グレーに染め直しただけで新作として発表する。そのような服を最新コレクションとするアイデアには驚いた。
「ダブレット」のアプローチとスタイルは、マルジェラとは異なるものだろう。しかし、パンクな刺繍のテーラードジャケットやホラーな千利休のライダースジャケットを見ていると、マルジェラに通じる感覚が呼び起こされる。どんな視点から服の価値が更新されていくのだろうか。「ダブレット」にはファッションを読む面白さがある。
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