ミニマリズムは、本当に“シンプル”なのか?

AFFECTUS No.615

同じ白いTシャツでも、3万円と4千円の違いはなぜ生まれる?

現代の服を語る上で、Tシャツというアイテムは様々な示唆を含んでいる。その歴史を辿れば、元々はアンダーウェアに端を発するアイテムであり、決して高価な服ではなかった。しかし、今では外観は似たようなデザインに見えても、3万円で発売しているTシャツもあれば、4千円で購入できるTシャツもある。もちろん、素材・縫製・パターンにおいて差はあるだろう。しかし、本当にそれだけの価格差を生むほどの物質的差があるのだろうか?いくら「素材にこだわっている」「縫製は最高級」と言われても、ラグジュアリー化したTシャツの価値に疑問を抱くケースはあるに違いない。

「なぜ、同じTシャツでもこんなにも価格が違うのか?」

この問いに答えるためには、まず「服」と「ファッション」を次のように仮定した。服は、基本的に機能を重視した日常的なアイテムであり、ファッションはその上で社会的、文化的な価値を反映したもの。ファッションの価値は、単に物質的な要素に留まらず、ブランドの哲学、製品に込められたストーリー、さらには流通過程や市場での位置づけにまで関わっている。

次に服とファッションの違いを考えるための手掛かりとして、「シンプル」と「ミニマリズム」を例にして考えてみたい。

服のデザインを表す言葉に「シンプル」という表現がある。色は白や黒などのベーシックカラーを使用し、柄やプリントなどの装飾性はなく、服の形も簡素。そんなデザインを私たちは「シンプル」と称することが多い。一方、似たような意味を持つ言葉として「ミニマリズム(ミニマル)」がある。服の外観は「シンプル」と変わらない。しかし、形容する言葉だけが違う。つまり「シンプル」=「ミニマリズム」と言える。

同じ白いTシャツでも「シンプル」と言われるよりも、「ミニマル」と言われた方が価値があるように感じないだろうか?一見、同義語に近い形で使われている「シンプル」と「ミニマル」だが、それらは本当に同じ意味だろうか?

言葉は服に価値を生む。時には物質的価値を上回る価値を。その差を生むものは何か。ミニマリズムには歴史がある。モードの文脈で培われ、服に価値を生む言葉として育ったのがミニマリズムだ。次章では、ミニマリズムがどうしてそんな力を持つようになったのか、その歴史を辿っていきたい。

時代を転換させたミニマリズム派のデザイナーたち

時代は1980年代。世界の中心は「マネー」だった。当時を代表する国と言えば、アメリカと日本。1981年に大統領に就任したロナルド・レーガン(Ronald Reagan)のもと、アメリカは金融緩和を推進し、ウォール街を中心に金融バブルが進行した。株式の大暴落を引き起こした1987年のブラックマンデーは、1980年代のアメリカを象徴する事件と言えるだろう。

日本は輸出主導で急成長し、ソニー、トヨタ、ホンダなどが世界市場で躍進する。「ジャパン アズ ナンバーワン」と称された国はバブル景気が加速し、地価・株価が異常に高騰することで、東京は世界で最も地価が高い都市となった。

マネーが彩る1980年代のファッション界で、主役となったのはイタリアの「3G(スリージー)」とジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)。欲望を刺激するデザイナーたちが、世界のファッションをリードする。

「3G」とは、ジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)、ジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)の3人の名から付けられた総称。アルマーニは贅沢な素材を使い、テーラードから肩パッドや芯地を抜き取り、ドレスに勝るとも劣らない優雅で流動的なメンズスタイルを確立した。それはまさに富を掴み取った者のユニフォームとなる。フェレやヴェルサーチの提唱する服も、バブルという時代の享楽にふさわしいパワーを備えていた。「ゴージャス」とは「3G」のためにある言葉である。

ゴルチエは、コーンブラやコルセットを用いて肉体を欲情的に刺激したファッションで、世界を席巻する。スーパースターのマドンナ(Madonna)がゴルチエ制作の衣装を着用し、ステージに立つことで、ゴルチエの名声はさらに高まった。

まさに豪華絢爛、華美美麗と言えるファッションが世界を謳歌したのが1980年代である。

だが、時代の転換期は静かに迫っていた。

1990年代をリードしたのは「ミニマリズムの旗手」と呼ばれたヘルムート・ラング(Helmut Lang)。ラングは、華やかで煌びやかな1980年代ファッションとは対極のシンプルウェアを発表する。グレー、ホワイト、ブラックを基本に、アクセントとしてボルドーなど鮮やかな色を挟み込む色展開、ソリッドでシャープなシルエット、ジーンズがブランドの代名詞となるコレクションは、ゴルチエらの服とは一線を画していた。外観はシンプルであっても、価値はアヴァンギャルド。それがラングだった。金融が支配した時代へのアンチテーゼとして、ラングの服は新時代のユニフォームへ。この瞬間、「シンプルな服」は「ミニマルな服」に生まれ変わったと言えるだろう。

ラング以外にもミニマリズムで1990年代を導いたデザイナーはいる。ジル・サンダーが完璧な美学で仕立てたスーツは、キャリアを築く女性たちの心を捉え、ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)の発表するコレクションは、コンサバなウィメンズウェアの延長線上でミニマリズムを作り上げるという文脈的価値を持った。

1980年代から1990年代への移行は、時代の転換期とも言えるべき大きな変化を示す。その主役となったのがラングであり、サンダーやミウッチャが発表したシンプルな服=ミニマリズムである。このように時代を変貌させたことで、「ミニマリズム」という言葉は、服に物質的価値を超えた意味を与える力を持つようになった。

「現代のシンプル」は“省略”や“無難”ではなく、“選択”と“思想”の表れ

デザイン性の強さが際立つパリのファッションウィークでも、シンプルさを信条とするブランドが人気と注目を高めている。しかし、その「シンプル」はすべて同じものなのだろうか?白いシャツ、グレーのニット、ネイビーのパンツ。ベーシックなシルエットに、控えめな色彩。どれも似ているようで、実はそれぞれがまったく違う文脈によって支えられている。

本章では、「ユニクロ」「オーラリー(Auralee)」、そして「ザ ロウ(The Row)」という3つのブランドに注目し、現代のシンプルが持つ多様な意味と価値を読み解いていく。「ユニクロ」の白いシャツ、「オーラリー」の白いシャツ、「ザ ロウ」の白いシャツ。同じ色、同じアイテムであっても、ブランドのファンはそれぞれ異なる魅力に惹かれている。

電気、水道、ガスに次ぐインフラとなったと言うのは大袈裟だろうか。しかし、そう述べたくなるほど「ユニクロ」は私たちの生活に欠かせないブランドになった。「ユニクロ」のシンプルさとは機能に集約する。ヒートテック、エアリズム、ウルトラライトダウンなど、テクノロジーが叶えるハイスペック素材は、普遍的なニーズに応えた服だと言える。

「寒い冬に少しでも暖かく過ごしたい」、「暑い夏を少しでも快適に過ごしたい」、それらの思いは誰もが抱いているものだろう。いつの時代になっても変わらないニーズに、「ユニクロ」は東レとの協業で最先端素材を開発してきた。普遍のニーズだからこそ、必要な人々=市場は大きい。そのために服はベーシックである必要がある。個性的なデザインで、着る人を狭めてはならない。「ユニクロ」のシンプルとは、日常を合理的かつ快適に過ごすことを意味する。

「無駄を省いた先に美しさがある」。私たちはつい、そんなふうにミニマリズムを捉えてしまう。しかし、そこにはもうひとつ、「最小限の中で最大限の豊かさを感じさせる」という思想が含まれている。「オーラリー」のシンプルは、その後者の側に立っている。

2015年に岩井良太が設立した「オーラリー」は素材開発に情熱を注ぐ。岩井自らモンゴルへ赴くなど、「オーラリー」の素材づくりは徹底している。機能性を追求する「ユニクロ」の素材とは違い、「オーラリー」の素材は感触を追求する。モンゴル産のカシミヤ、Super120’sを原料にしたウール、エジプトの超長綿であるフィンクスコットン、人間の身体に心地よく馴染む素材は、着心地もデザインの対象なのだと私たちに教える。

「オーラリー」の服は素材の「旨み」を堪能できるように、仕上がりはベーシック。しかし、そのシルエットとディテールにはスプーン一杯、絶妙な匙加減のアクセントが注がれている。洗練されたシルエットは、同じ簡素な形でも、汎用性を重視する「ユニクロ」のシルエットはまた異なる服と言えよう。

「オーラリー」のシンプルは、日常の中にほんの少しの贅沢をもたらす服だ。日曜日の朝に近所のベーカリーでパンを買い、いつもよりちょっとだけ贅沢をする。その瞬間にふさわしいのが「オーラリー」のシンプルであり、日常的に着られる服でありながらも、さりげなく高級感を感じさせる。そのささやかなラグジュアリー感は、目立たずとも着る人に特別感を与え、日常の中で優雅なひとときを叶える。“シンプルで贅沢”という、一見矛盾する価値を両立させる。そこにこそ、ミニマリズムの本質があり、「オーラリー」はその領域に踏み込む。

“シンプルで贅沢”というミニマリズムを体現するのが「ザ ロウ」だ。オルセン姉妹が提案するモノトーンカラーとテーラードを重視したマニッシュな服には、ほどよい緊張感が漂っている。「オーラリー」がカジュアルを基盤にするのに対し、「ザ ロウ」はドレス要素が軸となり、そのラグジュアリー感は一層強く香る。

贅沢な素材を使ったドレスを纏うモデルの姿を見ていると、優雅に時間を使う人物像が浮かぶ。それは、社会的に成功を収めた人物たちのようでもある。彼女たちに必要なのは飾りではなく、その佇まいや自信が引き立つ服だ。完璧な素材を、完璧なシルエットで仕立てることが、何よりも重要なのだ。「ザ ロウ」のシンプルさは、真の贅沢を知る人々の心と体に寄り添う。その真髄がミニマリズムである。

服に物質的な差以上の価格差を生むものは何か?

冒頭の疑問に戻ろう。

「同じ白いTシャツでも、3万円と4千円の違いはなぜ生まれる?」

同じ素材やシルエット、縫製のクオリティを持ったTシャツであっても、ブランドの「語り」が価格を大きく左右する。ここでいう「語り」とは、そのブランドが提供する物語や哲学、そして着ることによって得られる「特別な体験」のことを指す。

「ユニクロ」は機能性に特化して普遍のニーズを満たしたが、そこにラグジュアリー感はない。対して、「オーラリー」は究極の着心地とリラックスしたスタイルで「日常的な特別」を提供し、「ザ ロウ」はオルセン姉妹というスターが設立し、最高峰の素材を使ったピュアな服を作り、着る人に「日常から逸脱した特別」をもたらす。

ブランドの「語り」が「服」を「ファッション」に変える力を持ち、その価格に納得できる価値をもたらす。もちろん、価格と物質的な価値にギャップを感じるアイテムもあるだろう。しかし、ブランドの語りに力があると、そのギャップを越える力を持つ。

ミニマリズムは時代を変革し、そのシンプルさが「特別」という価値を持つようになった。シンプルさが「ミニマリズム」と呼ばれるためには、着ることで叶えられる特別な体験=ブランドの語りが、ビジュアルやメッセージとして伝わる必要がある。つまり、ブランドの提供するアイテムが普遍的な価値を満たす「服」か、それとも特別な価値を提供する「ファッション」なのか。その違いが、物質的な価値以上の価格差を生む。

目の前にあるTシャツが「服」なのか、「ファッション」なのか。「シンプル」なのか、「ミニマリズム」なのか。究極のベーシックウェアは、私たちに問いかけてくる。

〈了〉