個性は消すことで現れる──エルメスとSANAAの共鳴

AFFECTUS No.616

ファッションは個性を主張する手段だと誰もが言う。だが、”消す”ことでこそ立ち上がる個性があるのではないか?

その問いを胸に、今回は「エルメス(Hermès)」2025AWコレクションを見てみた。

2014年に「エルメス」ウィメンズラインのアーティスティック・ディレクターに就任以来、ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキー(Nadege Vanhee-Cybulski)は一貫してハードな質感が迫る女性の服を発表し続けている。その制作姿勢は、就任から11年目を迎えた2025年も変わらず、最新コレクションは黒いファブリックが前面に押し出され、マスキュリンな気配が色濃く現れたものだった。

全身ブラックウェアに包まれた女性モデルたちは、毅然とした存在感を放つ。素材はレザーとキルティング、厚手のウール、テーラードにマストなグレーのフラノ生地など、メンズウェアを制作しているのかと思うほどクラシック。

とりわけ美しいのはブラックレザーを使用したウェアだ。女性の中に潜む静かな剛性をここまで造形化するブランドが、他にあるだろうか。ニューヨークの「ザ ロウ(The Row)」もメンズウェアの文脈をウィメンズウェアに取り込む上手さでは、世界屈指のブランドだ。しかし、「ザ ロウ」が優雅さを志向するなら、「エルメス」は緊迫感を湛える。

ミリタリーウェアやワークウェアからの発想が多いわけではない。むしろクラシカルな女性服からの発想が多くみられ、単体で見ればフォーマルでエレガントな装いと言えるだろう。

しかし、「エルメス」は常に真逆のイメージを作り出す。2025AWコレクションに至っては、ファスナーなどの付属使いと切り替え線が多いパターンメイキングが、インダストリアル&ラグジュアリーという言葉を浮かばせるほど。

「エルメス」のウィメンズラインは伝統的な美を拒む。ナデージュは甘いフェミニンを寄せ付けない。

ファッションは個性を表現するもの。そして個性=ダイナミズムに繋がりがちだ。しかし、その人が持つ「らしさ」を消そうとしても残ってしまった痕跡、そこに真の個性は現れるのではないか?

妹島和世と西沢立衛による「SANAA(サナア)」はガラスや白を基調とした建築で知られる。代表作『金沢21世紀美術館』は、白・ガラス・円形・立方体という建築言語としては中立な、無色透明な要素によって構成されている。そこに強烈な作家性を感じることはない。サークル状の白い建物は、何も語らない。しかし、私たちはまっさらな余白に何かを感じる。その感じ方は人それぞれ。「白い無」に生まれた固有の感覚こそ、『金沢21世紀美術館』の個性だ。

ナデージュの「エルメス」は「女性らしさ」を語らない。黒いファブリック、工業的なファスナー、パターンの切り替え。「エルメス」は女性特有のボディラインとフェミニニティを消失させていく。その結果、ランウェイを歩くモデルたちから個性は失われているのか?

個性は消えたのではない。「消す」という行為の後に残った輪郭に個性は現れた。

ウィメンズウェア伝統の美しさを消した後に、痕跡として現れた力強さ。そこにナデージュが提唱する女性の服のエレガンス、派手さとは距離を置く「エルメス」の抑制されたエレガンスが姿を現す。

個性を表現するために、ダイナミズムとインパクトに頼らなくてもよい。そのことを、私たちはナデージュと「エルメス」から教わった。自分で個性だと思っているものを、消そうとしても残ったもの。それこそ私たちの真の個性なのかもしれない。

〈了〉

【キーワード解説】
エルメス(Hermès)
1837年創業、パリを拠点とする老舗メゾン。馬具工房として始まり、現在ではバッグ、ウェア、ジュエリー、ホームアイテムまでを包括するトータルラグジュアリーブランドへと進化。極めて高い職人技を誇り、「サヴォアフェール(匠の技)」を信条とする。装飾的な豪華さではなく、素材と構造による静かな豊かさを志向する点において、他のラグジュアリーブランドとは一線を画す存在。

ナデージュ・ヴァネ=シビュルスキー(Nadège Vanhee-Cybulski)
2014年からエルメスのウィメンズラインを率いるアーティスティック・ディレクター。フランス出身。「セリーヌ」、「メゾン マルジェラ」、「ザ ロウ」などで経験を積み、ミニマルで構築的なデザインを得意とする。過剰な装飾を避け、素材とシルエットを語らせるアプローチに定評がある。エルメスの伝統を壊すことなく、現代女性の身体と精神性に寄り添う服を提示し続けている。

マスキュリン(masculin)
フランス語で「男性的な」を意味し、ファッションにおいてはスーツ、ミリタリー、ワークウェアなど、伝統的に男性の服装とされてきた要素を取り入れたスタイルを指す。直線的で構築的なシルエットや、重厚な素材感が特徴。フェミニンと対をなす存在だが、現代では性差の枠を越えた個性の表現として再解釈されている。

フェミニン(féminin)
「女性的な」を意味する語で、ファッションにおいては柔らかいシルエットや軽やかな素材、曲線的なフォルムなど、伝統的に「女性らしさ」とされてきた要素を指す。レースやフリル、パステルカラーなどもその象徴とされるが、近年では単なる性別的記号ではなく、自己演出のひとつとして自由に選ばれるスタイルへと変容している。

SANAA(サナア)
建築家ユニット。妹島和世と西沢立衛によって1995年に設立された。名前はふたりのイニシャル「Sejima and Nishizawa and Associates」に由来する。建築における「軽さ」「透明性」「曖昧さ」を重要なコンセプトとし、まるで空気に触れるような空間をつくりだし、周囲の環境との調和を重視した設計も特徴。日常と非日常、内と外、建築と自然の境界線を曖昧にし、人間の感覚をやわらかく拡張させる。世界的にも高い評価を受け、2004年にはヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞。

妹島和世(せじま・かずよ)
1956年生まれ。伊東豊雄建築設計事務所を経て、1987年に妹島和世建築設計事務所を設立。1995年に西沢立衛とともにSANAAを結成。透明性、軽やかさ、柔らかな空間構成で知られ、建築の見え方と感じ方に詩的なずれを生み出す。女性建築家としては稀有な存在であり、2010年には西沢と共にプリツカー賞を受賞。建築界における詩的ミニマリズムの象徴的存在。

西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)
1966年生まれ。妹島和世の事務所を経て、SANAAを共同設立。並行して自身の設計事務所「西沢立衛建築設計事務所」も運営する。細部へのこだわりと繊細な構成力で、構造と空間の美学を融合させる建築を数多く手がけている。技術的な精密さを保ちながらも、人間の感覚に作用する曖昧な空間を設計するそのスタンスは、SANAAとしての活動と個人活動の両方に通底する。

金沢21世紀美術館
2004年に開館。SANAAが設計を手がけた日本を代表する現代美術館。円形の建物は外壁のすべてがガラスで構成され、誰もが360度どこからでもアクセスできる開放的な構造となっている。展示室は立方体の白い空間が点在しており、建築そのものが一つのランドスケープのような佇まいを見せる。無機質な白と透明なガラスという中立的な要素で構成されながらも、鑑賞者の体験を通して唯一無二の空間体験をもたらす。