「個性は集団の中で立ち上がる」プラダとヴェルサーチェの買収劇から

AFFECTUS No.617

ついにその時が来た。プラダ・グループ(Prada Gruop)が「ヴェルサーチェ(Versace)」を買収するという噂が現実となった。このニュースが明らかになる以前、今年3月に「ヴェルサーチェ」は新クリエイティブ・チーフ・オフィサー(CCO)にダリオ・ヴィターレ(Dario Vitale)の就任を発表し、さらに、1997年から27年間にわたりブランドを指揮してきたドナテッラ・ヴェルサーチェ(Donatella Versace)が、2025年4月1日付でブランドアンバサダーに就任することも発表された。

新CCOのヴィターレは、「ミュウミュウ(Miu Miu)」ではデザイン&イメージディレクターを務めてきた人物だ。「ミュウミュウ」といえば今や世界一ホットなブランドと言ってもいい存在で、ご存知のとおりプラダ・グループの主軸ブランドだ。「ミュウミュウ」は、少女と大人、一人の女性の中に潜む二面性を「フェミニンな混沌」とも言うべきコレクションに昇華させてきた。そのようなブランドで重要な役割を果たしてきたデザイナーが、クリエイティブの指揮を取るポジションに就任したのだから、不安よりも期待が高まるというものだ。

ブランドがコングロマリットの傘下に入るとき、私たちはしばしば二つの感情の間で揺れる。一つは「ブランドの個性が失われるのではないか」という不安。そしてもう一つは、「新しい組織の中で、このブランドはどんなふうに生きるのか」という期待である。

現在は、前者について必要以上に不安に思うことはない。LVMH(Moet Hennessy Louis Vuitton)やケリング(Kering)のような巨大グループは、もはや個性を均すことを目指していない。むしろ、ブランドの歴史や美意識を深く理解し、ブランドの個性が最も輝くような環境を整えようとしている。ラグジュアリーブランドにとって、歴史や美学は単なる装飾ではない。ブランドの魂そのものだ。

「グループという集団の中で、個は本当に自由に、創造的に生きられるのだろうか?」

改めてこの問いを考えた時、ある集団の名を思い浮かべた。写真家集団「マグナム・フォト(Magnum Photos)」のことだ。ファッションと写真。ヴィジュアル表現という共通言語でつながる二つのジャンルは、「個と集団」の関係というテーマではいっそうその距離を縮める。

1947年、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デヴィッド・シーモアといった写真家たちによって創設されたマグナム・フォトは、20世紀を代表する写真集団である。だが、この集団は単なる「仲間」ではなかった。彼らはそれぞれ作風も価値観も違い、社会へのまなざしもバラバラだった。にもかかわらず、彼らは一つの組織となることを選んだ。

マグナム・フォトのユニークさは、集団でありながら「同調しない」という点にある。グループには明確な特徴があった。写真家の自律性と著作権を尊重し、組織が個の創造性を支える独特な構造を持つ。所属する写真家たちは、多様な表現を追求しながら、自身の視点と権利を守り、世界に作品を発信することができる。つまり、マグナム・フォトとは「個が組織に従属する」のではなく、「組織が個の自律性を支える」という構造だったのだ。

この構造は、現在のラグジュアリーグループのあり方に重ねることができる。そのことを最も深く理解しているのは、やはりLVMHだろう。クラフツマンシップが根づく「ロエベ(Loewe)」にロンドンの奇才ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)を起用し、ブランドのビジネス規模を爆発的に成長させたのは見事としか言いようがない。LVMH傘下のブランドは、まるで「同じ編集部に所属しながら、書きたいことを書いている文筆家たち」のように、ブランドたちは自分の声を失わずに生きている。

では、今回の「ヴェルサーチェ」はどうだろうか。「プラダ」とは対照的に、「ヴェルサーチェ」はゴージャスで、グラマラスなエネルギーで知られるブランドだ。新CCOのヴィターレは、フェミニンな混沌を作り出す「ミュウミュウ」で手腕をふるってきた。その経験と技術で「ヴェルサーチェ」を新しくて美しい混沌に導く可能性を秘めている。

マグナム・フォトは、戦争を撮る写真家もいれば、静物や都市の影を写真家もいた。それらが一堂に集まることで、「視点の多様性」自体が価値になっていた。集団の中で個は生きられるか。この問いは、単にブランドの買収劇にとどまらない。私たちは働くチームの中で、あるいは社会の中で、どのようにして自己を保つかという普遍的な命題を抱えている。未来を見つめるとき、マグナム・フォトの連帯から学べることは、想像以上に多いのではないだろうか。集団の中でこそ、本当の個性は立ち上がる。現代が、それを歓迎する世界であって欲しい。

〈了〉

【キーワード解説】
プラダ(Prada)
1913年設立のプラダは、イタリアのラグジュアリーブランドで、革製品をはじめ、服やアクセサリーを手掛ける。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、高級なレザー製品が時代に合わなくなり、経営危機を迎えるが、創業者の孫であるミウッチャ・プラダが参加したことで状況は好転する。工業素材だったナイロンを素材に使用したバッグが大ヒット。ミウッチャの革新的なアプローチによって世界的なブランドへと成長し、ラグジュアリー業界での影響力を確立。現在もグローバルに展開し、ファッション業界のトップブランドの一つとして君臨している。

ヴェルサーチェ(Versace)
ヴェルサーチェは、イタリアの高級ファッションブランドで、1978年にジャンニ・ヴェルサーチェが創設。セクシーかつ豪華なデザインで知られ、特に1980年代はブランドの名声と人気が飛躍的に高まった時期でもある。ヴェルサーチェは、上流階級向けの洗練された服を中心に、特にパーティードレスやファッションショーの華やかさで名を馳せた。1997年、創業者のジャンニが銃殺されるという悲劇に襲われるが、妹のドナテッラがブランドを受け継ぎ、27年間にわたり、兄の創業したブランドを支え続ける。

LVMH(Moët Hennessy Louis Vuitton)
1987年、モエ ヘネシーとルイ ヴィトンの合併で誕生したフランスのラグジュアリーグループ。現在70以上のブランドを所有し、ルイ ヴィトン、ディオール、フェンディなどのファッション&レザーグッズ、モエ・シャンドン、ヘネシーなどのワイン&スピリッツ、タグ ホイヤーやブルガリなどのウォッチ&ジュエリー、ゲランなどのパフューム&コスメティクスを展開。ベルナール・アルノー会長のもと、各ブランドの独自性を尊重しながら、卓越した品質と職人技で世界的なラグジュアリー産業をリードする。

ロバート・キャパ(Robert Capa)
20世紀を代表する戦争写真家で、1913年にハンガリーで生まれ、後にアメリカへ移住。彼の作品は、戦争の悲惨さと人間ドラマを鮮烈に捉え、特にスペイン内戦や第二次世界大戦での写真が有名。キャパは「もし写真が十分に良くないなら、それはあなたが十分に近づいていないからだ」という言葉を残し、戦争の現実を世界に伝えることに情熱を注いだ。1947年には「マグナムフォト」を共同創設し、報道写真の発展に貢献。1954年、インドシナ戦争の取材中に地雷を踏み40歳で命を落とした。

アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)
20世紀を代表するフランスの写真家。「決定的瞬間」の概念を提唱し、ライカと35mmフィルムを駆使して、世界各地で人間の日常や歴史的瞬間を捉える。第二次世界大戦ではドイツ軍の捕虜となり、脱走後はレジスタンス活動に参加した。1947年にはマグナム・フォトを共同設立し、報道写真の芸術性を高めた。晩年は写真から離れ、絵画に専念する。2004年に95歳で逝去。