「よく思われたくて服を着るわけじゃない」オールインは遊び尽くす

AFFECTUS No.631
ブランドを読む #3

2025年のLVMHプライズは、4月にファイナリスト8組が発表され、9月の最終審査でグランプリが決定する運びとなっている。今年の顔ぶれを見渡すなかで、ひときわ気になるブランドがあった。それが「オールイン(All-in)」だ。手がけるのは、ベンジャミン・バロン(Benjamin Barron)とブロール・オーガスト・ヴェストボ(Bror August Vestbø)の二人。私がこのブランドに強く惹かれた理由は、彼らが「ブランド」になるまでのプロセスにあった。

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そもそもオールインは、はじめからファッションブランドとして始まったわけではない。2015年、バロンが立ち上げたのは、インディペンデントなファッション誌としての「All-in」だった。ヴェストボと出会ったのも、その創刊パーティでのことだ。

では、オールインとはどのようなファッション誌なのか。

最大の特徴は、古着やアップサイクルを用いたエディトリアルにある。既製品の文脈を剥がし、過去に他者が着ていた服に、もう一度まなざしを与える編集感覚。創刊4号では、ロメオ・ジリ(Romeo Gigli)のアーカイブを取りあげたという。その審美眼に、思わず唸らされる。

ジリといえば、1980年代の華美なファッションの只中に、突如現れた異端の存在。ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)、ジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferré)といった名前が示すように、この時代は装飾性が極まった時代でもあった。そんななか、ジリは派手な色や柄とは無縁の、静謐で詩的な服を発表した。ショーも簡素だった。特別な演出はなく、ただ椅子を並べ、モデルたちが静かに歩くだけ。布を身体に巻きつけるような柔らかなカッティングと、軽やかに揺れるシルエットの服。それは、後に訪れるミニマリズムの先触れともいえる感性だった。

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忘れられたモードの先駆者。マルジェラやラングよりも早く、未来を提案した伝説のデザイナーをいま掘り起こす。

そのような歴史的文脈を持つジリの服を、素材としてエディトリアルに取り込む。それは単なるオマージュではなく、「ファションを読む」という行為を、読者に促すアプローチと言えよう。そしてバロンとヴェストボは、雑誌の制作を通して、服を「もっと作りたい」と思うようになる。2019年、オールインは正式にブランドとしての活動を始めた。スタイリングを手がけるのは、「ミュウミュウ(Miu Miu)」の快進撃を支えるキーパーソン、ロッタ・ヴォルコヴァ(Lotta Volkova)だ。

オールインのコレクションは、どこか雑多な印象を受ける。色落ちしたデニムジャケットは襟が後ろに抜け、肩が落ち、はだけたような構造で仕立てられている。しかもそれが、何着も重ね着されたような錯覚を与えるデザインになっている。シックなトーンのポロニットも、前立てが斜めに取り付けられているなど、既成概念を少しずつずらす細工が施されている。

ダークブラウンのパンツの上には、マイクロミニスカート?かと思いきや、それはカットオフされたデニムのウエストバンドに、白い布を折り畳んで縫い付けた擬似的なスカートだった。

既存の服の構造をズラし、組み替える。オールインのふたりは、好きなものは全部取り入れたい、という衝動に素直だ。だからこそ、服たちはまるで玩具箱をひっくり返したような愉しさがある。混沌としているのに、どこか愛らしい。

その「ごちゃ混ぜ」が、前衛的に見えないのはヴィンテージやデッドストック素材を使っているからかもしれない。シルエットは大胆でも、使われている素材はどこかノスタルジック。構造は新しいのに、手触りには時間が滲む。

ポップで、シニカルで、ガーリーで、シック。オールインの服は、いくつものムードを抱え、決してひとつにまとまろうとしない。その混乱が不思議と心地いい。誰かに「良く見られたい」ためではなく、全力で「自分が楽しむ」ための服。

「ファッションって、そういうものでしょ?」

彼女たちの笑い声が聞こえる気がした。ぐちゃぐちゃで最高に楽しい、あの着こなしの向こうから。

〈了〉

▶︎主張するのではなく、疑問を投げかけるキコ・コスタディノフ
快適の裏にひそむ不快感を受け入れた先に、新しい「好き」が生まれる。