AFFECTUS No.632
ブランドを読む #4
2025年3月、ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)が「ロエベ(Loewe)」を去るという報道が流れた。2013年に就任し(デビューは2015SSシーズン)、12年に及んだ任期は「クラフト」と「未来性」の両立、そして「ラグジュアリー」の更新というファッションの歴史を記録したものだと言える。新天地は、噂された「ディオール(Dior)」。アンダーソンは、メンズ・ウィメンズ・オートクチュールのすべてを束ねる、メゾン史上初の任に就く。
▶︎複雑さを漂白する──ロエベで描かれるアンダーソンの知性
複雑なものが、なぜかミニマルに感じられる。この矛盾をデザインするアンダーソンの知性。
ラグジュアリーブランドで繰り返されるディレクター交代劇が、アンダーソンとディオールによって一つの頂点に達した。彼がロエベで過ごした12年間を3つのフェーズに分けて振り返ると、その試みがいかに時代の空気と呼応しながらも、常に少し斜めから「いま」に語りかけていたかが見えてくる。
1. 2015年-2017年:「ストリートの頂点」と「クラシックの再構築」
2010年代半ば、ストリートと装飾がモードの中枢にあった。「ヴェトモン(Vetements)」や「グッチ(Gucci)」、「ルイ ヴィトン(Louis Vuitton)×「シュプリーム(Supreme)」。新世代のデザイナーたちは、モードに混在していた様々な境界を壊し始めていく。
そんななか、2015年に始動したアンダーソンのロエベは異質だった。2015年から2017年にかけて、ロエベのウィメンズコレクションに見られたのは、スエードやレザー、リネンといった素朴な素材を、切りっぱなしの縫製や流動的なシルエットで構築するクラシック。一方、ペアルックのようなスタイルを披露したメンズコレクションには、ジェンダーや親密さの問いかけが静かに滲んでいた。
クラフトを強調しながらも、未来的なサングラスやメタリック素材が差し込まれる。工芸とテクノロジーを並列で語るこの手法は、「壁を溶かす」という視点から見れば、ラグジュアリー x ストリートとは異なる次元の境界をなくしていく行為だ。メンズはデニム、ウィメンズはクラシックを軸に、アンダーソンは伝統に即しつつストリートが支配するトレンドに異議を唱えた。
2017年が訪れると、ロエベはメンズ・ウィメンズの双方でトレンドの装飾性に対して、新たなベクトルを示す。メンズルックはデニムカジュアルを継続しながら柄を多用する。ただし、その柄はプリミティブ型ではなく、チェック柄を繰り返し使い、イギリスのトラディショナルに根差したもの。
同年のウィメンズも従来通りクラシックは継続するが、装飾性の表現が変化する。それまでのプリミティブ型から1970年代的レトロへの移行である。ドット・チェック・ストライプなど伝統モチーフが登場し、トレンドのストリート流装飾術とは別の装飾アプローチを見せて、フーディやグラフィックTシャツとは異なるファッションを望む人たちの心を捉えた。
2. 2018年-2022年:コロナ禍を経て現れた、シュルレアリスム的編集デザイン
2018年から2020年にかけて、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)とマシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)がラグジュアリーブランドのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ストリートはハイファッションの中心に据えられた。スウェットやスニーカーが「ラグジュアリー」の象徴に変わり、ストリートが時代の頂点に立った瞬間だった。
その流れとは対照的に、アンダーソンが手がけるロエベは、クラシックやプレッピー、宮廷的なエレガンスやフェミニンといった要素を、じっくりと掘り下げていく。ストリートとは真逆の文脈を選びながら、そこに素材や構造の実験を重ね、伝統のスタイルを変形させていった。回帰ではなく、再構築。現代的なひねりを加えたクラシックがロエベの軸となる。
2020年、コロナ禍の影響でファッションショーが一時停止。多くのブランドが表現の場を模索するなか、アンダーソンは「フォルム」や「技巧」といった服そのものに集中する。発表方法にはモデルを使わず、トルソーで服を見せる簡素な試みを選択。コレクションは針金を使ってフォルムを歪ませたり、ギャザーやスモッキングなど立体的な技法を使ったりと、服を建築のように扱う姿勢が際立つ。この時期のロエベには、クラフトへの強いこだわりと、実験性の高いアヴァンギャルドな精神が同居していた。
そして2022SSシーズン。ショーの再開とともに、ロエベの表現は再び変化を見せる。造形と素材を組み合わせて個性を際立たせる手法は変わらないが、プリントや立体パーツといった要素を用いてシュルレアリスム的に編集する。このアプローチによって、視覚的なイリュージョンや意味のズレが生まれ、「シンプルなアヴァンギャルド」という言葉こそ、この時期のロエベを言い表すのに最もふさわしい。
▶︎現代シュルレアリスムの体現者、高橋盾のダークファンタジー
現代における“シュルレアリスム的デザイナー”高橋盾の傑作を再検証。
3. 2023年-2025年:トレンドに対峙する初めてのアンダーソン&ロエベ
パンデミックの終息とともに、日常がゆっくりと戻ってきた。それは「かつての日常」とは違う。だが、最初は違和感を覚えた新しい日常も、時間とともに人々に馴染み、「いつもの毎日」に変わっていった。
パンデミック以降の世界、ファッション界は長らく続いたビッグシルエットが収まりを見せ、ミニマルな服が主流になり始めてきた。それまでのアンダーソンはトレンドに対して捻れた姿勢を見せ、トレンドを真正面から取り組むことはなかった。しかし、2023年以降の彼は違う。時代の空気に反応する形でミニマルな方向に舵を切る。しかし、それは単なる引き算ではない。
アンダーソンは、ドレープ、素材、プロポーション、そして18世紀的なドレスシルエットなど、過去のファッション言語を積極的に引き寄せる。それらは、従来のミニマリズムの文脈にはなかったモチーフだ。
2025AWコレクションでは、花柄のファブリックに、ふくらみを帯びたパニエシルエットのドレスが登場する。そこには、一般的なミニマルに見られる特徴はほとんどない。それでも、コレクション全体から感じ取れるのは、アイデアの潔さだ。複雑な要素を排し、ひとつの発想に集中することで、服を強く個性化している。それはまさしくミニマルではないか?
かつてのミニマリズムとは違う。しかし、いつしか標準になる未来のミニマリズム。そうした試みの先に、アンダーソンによるロエベは終幕を迎えた。
ディオールという新たな舞台へ
そして、ディオールでの初コレクションは今月27日に発表される。アンダーソンによる新生ディオールは、メンズコレクションから始まる。
ロエベでの12年間、アンダーソンはトレンドに対してゲームを仕掛け続けてきた。反発し、時には正面から応じる。だが、「挑む」という言葉は少し違う。彼は、時代の流れを遊ぶように読み替えていた。その関心は、服をどう作るかではなく、創作の文脈をどう解釈するかにある。ファッションデザイナーというより、アーティストに近い存在だった。
ジョナサン・アンダーソン、この稀代の才能はファッション界最高のメゾンをどう「遊ぶ」のだろうか。
〈了〉
▶︎アンダーソンがロエベで問う、アヴァンギャルドの再定義
未来のディオールを考えるヒントは、やはり「ロエベ」にあるのかもしれない。