AFFECTUS No.633
ファッションが読まれる #1
このカテゴリー「ファッションが読まれる」では、日々の暮らしの中でファッションから「感じる何か」「感じた何か」を、肩の力を抜いて語っていきたい。文体も、他のカテゴリーやメディアで書く記事よりソフトになると思う。おそらく、普段の自分に最も近い文章になるだろう。
服を買うとき、服を着るときの基準は何だろうか?(唐突に始まったけど)
▶︎アンリ・カルティエ=ブレッソンのような服
ファッションにおける「好き」のあり方をもう少し深く探るなら、偉大な写真家をテーマにしたAFFECTUS初回のエッセイもぜひ。感動とは、すぐに訪れないからこそ、心に残るのかもしれない。
おそらくその一つが「似合うか、似合わないか」だと思う。僕自身も新しい服の購入を検討する際は、試着して鏡の前で「似合うか、似合わないか」をよく考える。
僕は買った服を売ることが滅多にない。売ろうとすることはある。だけど、売ることをためらう。手離すことに寂しさを覚えてしまうから。そうは言っても、昔買って今も所有している服の中には、着ない服も出てきた。
2000年代前半、ミラン・ヴクミロヴィッチ(Milan Vukmirovic)が「ジル サンダー(Jil Sander)」のクリエイティブ・ディレクターを務めていたころ、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督『時計じかけのオレンジ』から着想されたブルゾンが発売された。シングルライダースを基盤にした黒いブルゾンは、なかなかにカッコよくて、僕はバーニーズニューヨークで購入する。
愛着ある一着だったが、今はもう、まったく着なくなった。今の自分が着るにはデザインが若すぎると感じてしまったからだ。服自体は好きなのに、着ることがない。所有していても、似合わないと感じるから着ない。なかなかに悲しい出来事だなと思う。
自分で似合わないと判断して着ない服がある一方で、その逆もある。
会社に勤めていたころ、黒 x 白ボーダーのカットソーを着て出社したことがあった。すると同僚の女性に「ボーダー、似合わないね」と言われた。その同僚だけでなく、同じ時期に母親にも「ボーダーが似合わない」と言われた。
でもね、無視して着たよ。ボーダーを。
ある日、再度ボーダーを着て、何ならトートバッグもボーダーにして出社した。
「いや、どんだけボーダー好きなんですか!?」
別の社員にそう言われた。実際はそこまで熱烈にボーダーが好きなわけではないんだけど、気楽に着られるのがいいし、2色の直線を平行に走らせるだけという、究極にシンプルなアイデアで、あれだけアイコニックになるのは本当にすごいなと思っていて、気に入っているデザインではある。だから、着たくなってしまう。
思うのは「似合うか、似合わないか」って、「人からどう見られるか」が基準になっているのではないか、ということ。なんだかその感覚は「自分がどんな服を着るか」の判断を人に委ねるように感じて違和感を覚えてしまう。
自分の着る服は、自分の意思で選びたい。誰かのために着るのではなく、自分のために着る。僕はファッションをそうやって楽しみたい。
▶︎マーガレット・ハウエルが着たくなる
8年前にも触れたジル サンダーのあの“ブルゾン”。今回のエッセイでは「似合うかどうか?」を語ったが、ハウエルのエッセイでは、「自分がどうありたいか?」を語っている。
たぶん現在の「キコ・コスタディノフ(Kiko Kostadinov)」は、今の僕には似合わない。でも、あの奇妙な色彩と造形感覚をスリムなシルエットに収めた服を着たくなってしまう。過去に目を向ければ、「ラフ シモンズ(Raf Simons)」が2017SSコレクションで発表した、写真家ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)の作品をプリントしたビッグシルエットのシャツは、今もかなり着たい。やはり、今の自分が着るにはデザイン性が強すぎるんだけど、あのシャツを着て街を歩きたい。似合う、似合わないはどうでもよくて。
やっぱり、自分が好きだと感じた服を着ることは気持ちいいし、楽しい。
もちろん、「似合う、似合わない」を完璧に無視することはない。でも、その基準にあまり囚われたくない。僕は、自分が着たいと思った服を素直に着たい。
だから、ボーダーを今も着ている。もし、ボーダーTシャツを着た僕と出会ったら、その際に言う言葉は、もう何かわかっていると思う。この文章をここまで読んだ人、そして僕をよく知る人なら、たぶん僕が何て言って欲しいか、もうわかっているはず。こう言ってくれたらいい。
「ボーダー、似合ってないね」
そう言ってもらい、笑い合いたい。その瞬間、ファッションは最高に楽しい。
〈了〉
▶︎好きな服に手を伸ばす
たとえ似合わなくても、好きな服は気持ちを支えてくれる。迷った時、落ち込んだ時、それでも服に手を伸ばす理由がここにある。